2010年09月04日

伊藤大輔「斬人斬馬剣」について

伊藤大輔「斬人斬馬剣」(1929)を見た。

わずか20分ほどの断片にもかかわらず(オリジナルは120分程度)映画としてちゃんとスジが通るものになっていて、その面白さがはっきりと伝わるのに驚いた。いや、面白さが伝わるだけではきちんと言いあらわしてはいないな。映画として大傑作だと断言できる。ここでは20分版の斬人斬馬剣を出来る限り再現してメモする。

十時来三郎(月形龍之介)と相棒の左源太(天野刃一)は村人たちを苦しめる城代・大須賀(関操)と代官・山室(市川伝之助)の配下の奸臣たちを次々と襲っては血祭りに上げる。それに対抗して腕利きの浪人たちを集めて十時を襲わせる代官。だが、十時は襲ってくる刺客たちを軽くいなすと彼らを説得しはじめる。

十時「おまえはなぜ俺を斬ろうとする?」

浪人「食うためだ」

十時「その食う米は誰が作っている?」

悪政により百姓たちを苦しめている悪代官の手下であることを恥じる浪人たちを次々に説得し仲間に引き入れ白馬隊を結成する十時。

悪代官の暴虐は日増しにひどくなり、男たちを奴隷として連行するばかりでなく、ついには女たちまでもなぐさみものとして拉致していく。

これを助けに行くのが十時たちの味方になっていた城代の息子、頼母(石井貫治)。最初は頼母をスパイではないかと疑っていた十時たちだったが、頼母は代官の屋敷に押し入り女たちを救出する。

女たちを助けたものの、夫と子供を斬り殺され、拉致された女は気が狂い、子供ではないものを子供だと思い、それを抱きながらいつまでも子守歌を歌うのだった・・・・

もはや村人たちの怒りは頂点に達し、暴動寸前までになるが、代官の鉄砲隊の前では何も出来ない。

十時は城代とお杉の方(伊藤みはる)の謀略によって暗殺されるところだった世継ぎの松若丸(伊久田太郎)を救い出す。

頼母は悪政の元凶である実の父の城代とお杉の方を誅殺し、その首を家老に差し出し公正なる裁きを求める。

十時は白馬隊を率い、代官を襲撃する。馬で逃げる代官を追いかける凄まじい追跡シーン。十時は見事代官を仕留め、処刑されようと磔にかけられていた村人をすんでの所で助け出した。

見事一件落着し、百姓たちは喜々として何艘にもわたって曳き船の帆をあげてつらなっていく。頼母は世継ぎ松若丸のかたわらに仕えている。松若丸は頼母にたずねる。「十時の姿が見えぬが・・・」

平和が戻った村をひっそりと去る十時と左源太。左源太はなぜこそこそ出ていくのだ?と聞くと十時は「神様みたいに祭り上げられるのはかなわない」という。

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とにかく唐沢弘光のカメラが尋常じゃない。何が凄いって、パンが尋常じゃない。パンっていうのはご存じ撮影技法のPANでカメラを被写体を追って左右に振ること。そんなごく普通の技法がなんで尋常でないのか?いや、俺だってわかんないよ。なんでこんなありふれた撮影技法にドキッ!とするのか。

代官の暴虐に耐えかねた村人たち、その群衆シーンの迫力(こんな迫力のあるモブシーンは見たことがない)鉄砲隊が来たと知らせに来る村人が群衆の中を突っ切って行くシーンを右から左へパンするだけでなんでこんなに胸がざわつくのか?

クライマックス、馬で逃げる悪代官を追う月形龍之介(月形が上半身裸で槍を振りかざして馬で駆けるんだけど、これがまた何とも見事な肉体美!全く無駄のない鋼のような筋肉)このチェイスシーンのど迫力、スピード感もこれまた見たことがない凄さ。右から左へカメラをパンするだけでなんでこんなに興奮してしまうのか!

凄まじい勢いで右から左へ何度となく振られるカメラ、これ以上のものはないと断言できる馬上シーンの移動撮影での暴力的なまでのスピード感。そして極めつけ、画面下から上へ猛スピードで走る馬を俯瞰でとらえたショットにノックアウト。

画面下から唐突に出現する馬を絶妙なタイミングでとらえ、パンアップするカメラの挙動を例えるなら、加速装置を使う009・・・いや、「グンッ!!」と目の前に馬が急激あらわれる感覚ははじめて「アバター3D」を見たときの感覚かそれ以上の衝撃がある。(マジで)

比較したら怒られるかもしれないけど、モブシーンであるとか、馬と馬との追跡シーンで思い出すのは黒澤明の「隠し砦の三悪人」(1958)だけど、言っちゃあ悪いけど「斬人斬馬剣」とくらべると隠し砦は子供だましでしかない。見ればわかる。

パンのスピードが、百姓たちや十時の怒り、人間の爆発する情念を乗せて走るんだからその興奮たるや尋常ではないのだ。

しかし20分の断片版でここまで興奮するんだから、120分のオリジナル版はどんだけ凄い作品なんだ・・・・。これ完全版が存在してたら本当に「世界の伊藤大輔」になってたと思う。

カメラマンの唐沢弘光の革新性についてはTwitterで以前書いたので、ここに再掲載します。

伊藤大輔と組んで数々の傑作を撮った唐沢弘光カメラマンのアイモ使いっぷりは凄まじく「続大岡政談魔像篇第一」1930で生首が障子を突き破り投げ込まれる場面では天井にアイモをひもでつり下げ、そのままアイモを落下させ生首をアップで撮ったりしていた。

唐沢弘光はキャメラ本体へ望遠レンズを装着し、キャメラの左側にワイドレンズのアイモをガムテープで装着。右手で望遠レンズのキャメラのクランクを廻しながら同時に左手でアイモの自動回転を操作していた。ー伊藤大輔

当時のアイモってこれかな
121109707.jpg

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2010年08月18日

蓮實重彦・青山真治・黒沢清が語る「アウトレイジ」

真夜中 NO.10 映画長話より「アウトレイジ」評のみ抜粋。

黒沢清・カンヌで最初に見たのは北野武?

青山真治・はい、カンヌに入った翌日が「アウトレイジ」の公式上映で、そこで見せていただきました。いやぁ凄まじかったですよ。一切感動してないのが見え見えの拍手がわーっと湧いて。

蓮實重彦・たいへんな覚悟をもって撮られた映画でしたね。

青山・誰の共感も不要、という覚悟。その意味で非常に清々しい映画です。

蓮實・自分にも媚びてないのが凄い。作品の徹底した無感動ぶりが心に触れました。

青山・見ながらへんてこりんな映画だと思っていましたけど、余計な媚びがないので、もしかしたら現時点で最高傑作となるのではないかと。

黒沢・僕はまだ拝見してないんですが、あまりの暴力にカンヌも賛否両論みたいに言われてますね。

青山・暴力描写のアンソロジーみたいな側面もあるにはあります。どこかで見たことあるっていう技が羅列されてる。それとともに誰の共感も得られないのはなぜかと言うと、一つには台詞の最後は「このやろう」(笑)字幕ではつねに「ass hole」。いっそこっちをタイトルにしちゃえば、と思うくらい。しかし、その単調さが進むにつれてだんだん小津みたいに聞こえてくるんですね。台詞限定で暴力映画で小津をやるとこうなる、みたいな。

黒沢・暴力をふるう理由は説明されているんですか。

青山・無意味な暴力はないんです。なにしろ暴力の行使による権力奪取ゲームがすべてですから。実は誰も求めてないのにゲームだけが進行していく。

蓮實・そして役者がみんな素晴らしい。

青山・北野監督がいるとみんなちゃんとするんだ、と思いました(笑)ほら見ろ、日本の役者は素晴らしいんだって言いたくなりましたよ。椎名桔平のあれほどいいのも久方ぶりです。カンヌで見た日本女子たちはみんな椎名桔平に目がハートマークでした。個人的には三浦友和が・・・・・。

蓮實・いやぁ、三浦友和が素晴らしい。うまいとか下手とかじゃなく。

青山・妙なところにいて、この人何をしようとしてるの?っていう顔なんですけど、ずっとそれでひっぱる。何もしてないのに座りが悪くて変に怖い。

蓮實・車のガラスが下りてみんながハッとする。あの時の三浦友和の顔。なんにもしてないんですけどね。加瀬亮の鮮明なイメージにも驚かされました。

青山・それと北野さんの芝居というか動作は、あの年齢の俳優さんであれだけ動ける人はいないだろうと思わされるものでしたね。あの殺気のたてかた。いきなり殴るとか、ドキッとさせられました。「その男凶暴につき」(1989)から二十年くらいたつけど、何も変わってない。

黒沢・そうか、傑作なんだ。マスコミの情報だけではわかりませんでしたね。

蓮實・誰も面白かったとは言っていません。フランスでもほとんど否定的な評価で映画祭に出回っている恒例の星取評でも「カイエ・デュ・シネマ」と「レザンロック Les Inrocks」の批評家だけが比較的いい点をつけていた。

青山・求められてないものをあえて出した、という感じです。直前に勲章なんかもらったから、みんな「感動もの」なんだろうと期待してたのか。

蓮實・これまでの北野さんの作品は抒情に流れるなら流れてもいいっていうところがあるじゃないですか。ところが今回はそれを全部切っている。抒情一切なし。

青山・ギャグでさえ、これ笑っていいものかとつい悩んでしまう。あの笑いにこだわる人が、そこさえもサービスしないのかと。黒沢さん嫉妬するかもしれませんよ。

黒沢・え、そこまで?やくざ映画に嫉妬するかなぁ。

青山・いや、やくざ映画と呼べるかどうかさえわからないんですから。

蓮實・背景はやくざ社会だけれど、やくざ映画に特有の情念なんてない、というのが黒沢的かも知れませんね。情念によって殺すのではない。組の論理でゲームのように殺さなきゃいけない。

青山・いまこの権力を取らなきゃ俺が殺されるとわかっていて殺されてしまう。つまり本気で権力が欲しいわけじゃない、という空回りした権謀術数だけが延々つづくわけです。そこだけ聞くと実に黒沢的でしょ。

黒沢・そうかなぁ、まあそういう映画は好きですけど「パワープレイ」(1978マーティン・バーグ)とかね。

蓮實・北野武監督も六十歳をこえておられるので、もうまわりの期待など気にせず勝手にやっているんだなと、しみじみ思います。

青山・そうだといいんですが、もう撮らないのかな、とも思いました。

蓮實・たしかに、どこか遺作めいていますものね。しかしあのただならぬ気配を感じられない奴は、映画なんか見るなってつくづく思います。私は二度見ましたが、二度目のほうがはるかに緊張しました。冒頭の自動車なんてすごいじゃないですか。

青山・あれはいきなりびっくりしましたね。そして閉幕もお見事ですよ。

(話題が変わって第九地区の話の後)

青山・〜最後傭兵のボスがエビに囲まれて食い殺されるのをロングで見せられるのも感動的でした。

蓮實・ロングといえば「アウトレイジ」のあのソフトボールのロングの俯瞰もよかった。いま、あそこでわざわざロングを撮ろうとする人あまりいないでしょう。地上に戻ったキャメラが囚人のビートたけしの死ぬところまでは見せませんが、何が起こったかわかる。最後に彼が自ら死に赴かず最もみっともない死に方を受け入れるというところに心を動かされました。ところでヤン・イクチュンの「息もできない」はご覧になりました?「アウトレイジ」とは正反対の暴力映画です。武さんの映画では暴力を振るうのはとりあえずの役割としてでしかない。それに対して、この韓国の新人監督の処女長編「息もできない」の暴力は実存の条件としてある。だったらその暴力は遠景に退き、中心は暴力を振るわない人たちの出会いであるべきだと思いました。そのほうが、暴力性が際立つはずですよね。ヤン・イクチュン自身の演じている凶暴な取り立て屋と女子高生の出会いとか、主人公がなんども歩いていく坂道の勾配なんかは素晴らしい。しかしどこか古さを感じました。武さんの暴力はいつ爆発するかわからないし、爆発する真の心理的な理由も持ってないのに対して、「息もできない」の場合はそうせざる得ないというところが単純に見えてしまう。
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2010年07月17日

溝口健二の狂恋の女師匠はどこにある?

映畫読本溝口健二(フィルムアート社)を読んでいると「狂恋の女師匠」がオムニバス映画「ニッポン」の中に入っていてパリのシネマテークに保存されていると書いてある。

驚いて検索してみると蓮實重彦がこんなことを書いている。

シネマテーク・フランセーズには、故淀川長治さんを狂わせた『狂恋の女師匠』(1926)の断片もほぼ間違いなく残っていると見当をつけ、しかるべき人脈をたどりながら調査に入っています。ーあなたに映画を愛してるとは言わせない


溝口健二の幻の映画「狂恋の女師匠」(1926)とはなにか?

狂恋の女師匠は真景累ヶ淵の「豊志賀の死」のくだりを翻案。
清元(きよもと・三味線音楽のひとつで浄瑠璃の一種)の師匠、延志賀(酒井米子)は年下の男、新吉(中野英治)を口説き落とし自分のものにした。二人の噂が広まり弟子は次第にいなくなったが、お久(岡田嘉子)だけは毎日通ってくる。もしや新吉はお久と出来ているのではと邪推した延志賀は新吉を責めるうち、あやまって三味線のバチが目にあたり顔半分が黒く腫れ上がる。懸命に看病する新吉だったが、延志賀の嫉妬は手のつけられないものとなり、いつしか新吉はお久といい仲に。ある日延志賀は足をすべらせ頭を打って死んだ。新吉とお久はこれ幸いとばかりに駆け落ちするが、延志賀の怨霊が二人を追いつめる・・・・・。

狂恋の女師匠の歴史的意味合いは、溝口健二が初期の傑作「霧の港」「夜」(共に1923年)以降ずっと続いていたスランプからようやく脱した作品という意味もさることながら、「紙人形春の囁き」「狂恋の女師匠」と江戸、下町情緒を描いたことで溝口健二のスタイルを決定づけた最初の作品といえる点だ。

またこの狂恋の女師匠を見て熱狂した映画青年がいる。当時17歳の淀川長治である。

(狂恋の女師匠を見て)ビックリ仰天したの。何ていいものか、思って。これ全部口で映写できるよ(笑)〜これが僕の溝口健二への開眼となった作品。ー映画に目が眩んで口語篇より


淀川長治は狂恋の女師匠のオープニングをこう語っている

夏の晩の庭が映りました。キャメラが寄ってきました。誰もいない離れ。だんだん寄ってきました。濡れ縁があってそこの隅に何か煙が出てました。何だろうと思うと、それは蚊取り線香。そこから煙が流れてました。キャメラがどんどん寄ってきました。誰もいない離れです。その庇に白い岐阜提灯が、無地の提灯が吊ってありました。ずーっとずーっと寄ってきました。シーンとしてます。まだタイトルないね。あら、なんだろう、なんだろう思ってると、その提灯がバァァアッと燃えて、火が出て、バサァッと落ちたところから「狂恋の女師匠」というタイトルが出ました。うまいなぁ。面白いタイトルだなぁ。ー淀川長治映画塾最終講演より「サヨナラ特集淀川長治」河出書房


恐怖演出についてはこんなことを

(延志賀が死んで、それを知らせに行く新吉)「えらいこっちゃ。お師匠はんが死んだんでっせ」そしたら、「何言うてんの。人力車で今来たとこや」言うのね。「そこで寝てますがな」いうとこが怖いなぁ。キャメラがそっち向くのね。「そんなはずない」言いながら這い上がっていくところがいいんだね。ずっとふすま開けるとこ、ぞっとしたよ。ー映画に目が眩んで口語篇より

新吉とお久が駆け落ちしていく。二人は船に乗るのね。「はぁ怖い、はぁ暑い」いうて女が手を水に浸けるの。その手に櫛がひっかかった。その櫛に毛がついとるの。そういう瞬間の怖さったらないの。ー同上


溝口健二初期の傑作「狂恋の女師匠」がオムニバス映画「ニッポン」としてパリのシネマテークにあるという話。映画「ニッポン」は「怪盗沙弥麿」「大都会 労働篇」「狂恋の女師匠」の三本を編集して「ニッポン」という映画にしてベルリンとパリで公開したという映畫読本溝口健二の記述

さらに蓮實重彦氏が書いた前記の文章、おかしいのは蓮實氏がこの文章を書いたのが2003年6月。となれば、溝口の失われたフィルムがパリにあるなら溝口好きのフランス人がやっきになって探してとっくに見つけているはずである。

しかし今現在そのようなことは伝わってきてない。

一体どうして映畫読本溝口健二にこのような記述があるのか?実は映畫読本溝口健二の記述はある有名な方の著作を元に書かれたと思われる。

溝口健二の「狂恋の女師匠」「怪盗沙弥麿」「大都会 労働篇」の三本をカール・コッホに編集させて「ニッポン」という映画を作りベルリンとパリで公開した。ー川喜多かしこ「映画ひとすじに」(講談社)〜溝口健二全作品解説4巻より


そもそもこの川喜多かしこの記述が間違いではないかという証拠がある。2007年01月20日早稲田大学小野記念講堂で「失われた映画を求めて」という上映会があった。その上映会を見た人のブログ

川喜多長政氏が3本の作品をくっつけてヨーロッパに紹介したオムニバス映画『ニッポン』の中の@『怪盗沙弥麿』(1928、小石栄一)とA『篝火』(1928、星哲六)(残る1本は『大都会 労働篇』)ー日暮し地図より

さらに佐相勉の溝口健二全作品解説4巻にもこんな決定的な記述が

「NFC」第40号(東京国立美術館フィルムセンター2001年12月)に2001年10月に開催されたポルデノーネ無声映画祭に出品された作品リストが載っているのだが、そのなかに、
ーNIPPON(1932、東和)*シネマテーク・フランセーズ提供、「怪盗沙弥麿」(1928年、松竹キネマ、小石栄一監督)+「篝火」(1928年、衣笠映画聯盟・松竹キネマ、星哲六監督)+「大都会 労働篇」(1929年、松竹キネマ、牛原虚彦監督)のコンピレーションーという記載がある。


オムニバス映画「ニッポン」の中には「狂恋の女師匠」は入ってない!

事実はまるで川喜多かしこの書いたことと違ってくる。どうやら川喜多かしこの勘違いか、記憶違いによりこのような間違いが起こったよう。ではどうしてこのような勘違いが起こったかというのを考えると、当時日本最大の映画輸入業者と言われた川喜多長政が外国に日本を紹介するために最初に輸出した記念すべき作品が「狂恋の女師匠」だったことが、川喜多かしこの記憶を混同させたのではないかと想像するが・・・。

経緯はこうなる

@1929年3月川喜多長政が「狂恋の女師匠」を持ってドイツに行く。

A川喜多長政は2ヶ月後に帰国。その夏、東和の出資者でもあったドイツのフォン・スティテンクロン男爵が来日して松竹の城戸四郎社長との間に東和、松竹協同体としてベルリンに事務所を置く松竹映画欧州配給株式会社が設立。そして三本の松竹作品をドイツに送る。ー溝口健二全作品解説より

川喜多かしこはこの二つを混同していると考えられるのだ。欧州の松竹配給会社で松竹以外の(狂恋の女師匠は日活作品)作品を配給するとは考えられない。

というわけで残念ながら「狂恋の女師匠」はオムニバス映画「ニッポン」の中には入っておらず。見ることは夢のまた夢ということになりそう。

追記・さっき気づいたんだけど真景累ヶ淵の「豊志賀の死」のくだりを映画化した作品がつい最近あった。中田秀夫監督の「怪談」(2007)。新吉が尾上菊之助、豊志賀が黒木瞳でお久が井上真央だってよ!これ見てなかった、見るべきかな〜。
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2010年05月17日

カンヌ映画祭北野武公式インタビュー書きおこし

カンヌ公式北野武インタビューを書きおこし
http://www.festival-cannes.fr/jp.html

カンヌ国際映画祭kitano.jpg

インタビュアー・今回ヤクザ映画に戻ってきたのはどういう理由なんですか。

北野武・ヤクザ映画しばらくやりたいなと思ってたんだけど、その前にヤクザ映画ばっかり撮ってると言われるのも嫌なんで、しばらく違う映画を撮ってたんだけど、あまり評判がよくなくて、前よりもいいヤクザ映画を撮れそうなんで撮った。

インタビュアー・今回のアウトレイジという映画なんですけど、ヤクザ映画の範囲というかジャンルの境界線を極端なところまで押し広げようとする意志が感じられたんですが、その見方はあってますか?

カンヌ国際映画祭kitano02.jpg

北野・暴力の使い方とかを極端にしたのは、よくいわれているヤクザ映画から飛び出そうとは相当思った。

インタビュアー・今回は一人の主人公に焦点を当てた物語ではなく群像劇という形になっているのが特徴だと思うんですけど、これはどういった狙いがあったんですか?

北野・自分が主役でやることはよくある映画になる可能性があるんで、自分は傍役で、他のメンバーでいかに構成できるかで台本を作っていったんで、誰か主役だか傍役だかわからないような出番にした。あとで撮影が始まったらあまりにも自分の出番が少ないんで増やした。

カンヌ国際映画祭01 .jpg

インタビュアー・監督はご自身の演出される作品で主演されるっていうのはどういうところが気に入ってますか?

北野・他にうまい人がいることは間違いないんだけど、もしその映画が当たった場合、自分が損すると思った(笑)

インタビュアー・非常に印象的なシーンで歯医者のシーンがあるんですけど、監督は歯医者に行くのは嫌いですか?

北野・あのシーンは自分が歯医者に通っていて思いついたんで、あれは痛いと思う。

インタビュアー・バイオレンスというテーマをとりあげることに魅力を感じているのは?

北野・男と女を取り上げるのも暴力もエンターテイメントのひとつだと思ってて、自分は恋愛映画よりも暴力のほうがうまいかなぁというだけで。

インタビュアー・アウトレイジの中で描かれるヤクザ社会の中で服従であるとか、支配であったり、裏切りがテーマとして大きく扱われていると思うんですが、これはヤクザ社会に特有のものというより日本社会に共通するものとして切り取ったものなんでしょうか?

北野・ヤクザの親分子分の関係というのは封建制、戦国時代のやり方であって、その流れは日本の企業の中でそういう部分を利用して成り立っているというのはかなりあると思う。

インタビュアー・今作で描かれるヤクザはお互い敬意を欠いています、また外交官も馬鹿にした扱いです。日本文化特有のリスペクトというものがない描き方、それは意識して描かれたのですか?

北野・外交官の問題は日本の裏社会ではわりかし有名というか常識で、その人たちを利用して悪いことをしているというのは日本の犯罪組織でよくある話。自分はそういうことを壊し始めた時代が始まっているなぁと、リスペクトがなくなった時代になった。

インタビュアー・敬意の欠如というのは広く一般の日本社会に広がっていると感じてアウトレイジで描いたのでしょうか?

北野・今かなりアジア的な、儒教的な思想というのがなくなってきて、最近よく起こる事件は子供が実の母親父親を殺す事件がやたら目についてきた。親の権威とか尊敬されることがなくなってきた。かなりひどい時代になってきたなぁということ。

インタビュアー・今回アウトレイジでもうひとつ特徴的なことはセリフの多さだと思うんですけど、今までの北野作品というのは寡黙な登場人物が多かったんですけど、今回は全員が全員しゃべり倒すというか、どういうところを意識してこういう形にしたんですか?

北野・自分は出身がスタンダップ・コメディアンなんだけども、それも二人でやるやつで、セリフのかけ合いが自分の売れた原因。それだから映画ではセリフを言わぬように意識して作ったんだけど、だいぶセリフのないのを作ったので、今度はセリフをじゃんじゃんしゃべる映画にしようと。

インタビュアー・今でも映画を作るという作業を楽しんでますか?

北野武・半分半分(笑)

インタビュアー・メルシボク、キタノ。
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2010年04月30日

浦辺粂子をなめるなよ!大正14年の人気スター番付

大正14年(1925)の日本映画俳優人気番付女優篇(講座日本映画より)

東・女優
横綱・川田芳子(松竹)
張出横綱・五月信子
大関・浦辺粂子(日活)
関脇・歌川八重子(アシヤ)
小結・筑波雪子(松竹)
前頭・酒井米子(日活)
前頭・津守玉恵(帝キネ)
前頭・高島愛子(日活)
前頭・松枝鶴子(マキノ)
前頭・水木京子(日活)
前頭・絵島千歌子(東亜)
前頭・東栄子(松竹)
前頭・岡田嘉子(日活)

西・女優
横綱・梅村蓉子(日活)
張出横綱・栗島すみ子(松竹)
大関・柳さく子(松竹)
関脇・澤蘭子(アシヤ)
小結・森静子
前頭・若葉照子(松竹)
前頭・澤村春子(日活)
前頭・英百合子(松竹)
前頭・マキノ輝子(マキノ)
前頭・鈴木歌子
前頭・夏川静江(日活)
前頭・環歌子
前頭・瀧澤静子(日活)
前頭・岡島艶子(東亜)


なんで2010年に1925年の映画スター番付なんだよ!と思いになるでしょう・・説明しよう!以前Twitterのタイムライン上をこんなtweetが流れてきた。

成瀬巳喜男の「稲妻」観たけど浦辺粂子大根だったな〜

はぁ〜!?ふ・ざ・け・ん・な・よ。

だいたい日本映画界において浦辺粂子ほど過小評価されてる女優はいないよ。というような個人的な憤りをおぼえたのでここに反論する。
urabe.JPG
まず上記の大正14年映画俳優人気番付を見よ。堂々の大関である。それもただの大関ではない。この番付に並ぶ人たちのほとんどはいわゆる美人女優である。しかし、浦辺粂子は当時の写真を見てもお世辞にも美人女優とはいえない。
浦辺粂子、鈴木伝明(大正13年).jpg
浦辺粂子と鈴木伝明(金色夜叉)

しかも日活入社当初(1923年)は役名もつかない大部屋女優。それが巨匠村田実の「清作の妻」(1924)に抜擢されて大ブレイク。当時の「清作の妻」の浦辺粂子の衝撃を古川緑波はこう書いている。

誇張ではない。僕はこの映画における嬢(浦辺粂子)の演技を見た時、日本にも、これだけ演れる女優がいてくれたかと涙ぐましいほどうれしかったー古川緑波「日本映画発達史」より

また同業者である他の俳優の評価も高く、当時を代表する二枚目スターの鈴木伝明は他の美人女優との共演を蹴って「お粂さんとやらせてくれ」と撮影所長に直訴するくらいだった。

当時の日本映画界はお人形さんのような美人女優が主流だったが、浦辺粂子は演技力だけでトップスターになったという意味で映画女優の世界を革新したといえないだろうか。

また息の長い女優になりたいと若いうちから老け役に挑んだのも慧眼だった。

あと注目すべきは溝口健二との関係で、「赤線地帯」(1956)撮影の時。浦辺はなんと溝口を訪ねて自らを売り込み、吉原のやり手婆の役をゲットする。1920年代からの古い付きあいとはいえ直接溝口にかけあって役を得た人などこの人しかいないだろう。しかももっとすごいこともやっている。やり手婆の役があまり見せ場もなく退屈なのでいいシーンを作ってくれと溝口に直訴!溝口はその時「フフッ」と笑い、翌日〜

セットで成沢昌茂(脚本)さんが目真っ赤にしてきて「こらっ」なんていうんですよ。「あら、どしたの、イワシの腐ったような目をして。何かあったんですか」と言ったら、「君のために、おれはオヤジに一晩かかってホンを書かせられて、君と若尾文子の芝居書いたんだ」ー浦辺粂子インタビュー「講座日本映画」より

そのシーンがまたいいシーンで、若尾文子が数々の男たちをだまして手に入れた大金を見て、茶筒のふたをスポッとはずしながらこの中にお金を入れて抱いて寝なよと言う。当時の大映で神のごとくあがめられていた溝口健二(大映の撮影所長は溝口のことを天皇様と言っていた)に自分のためだけの場面を作らせる女優は浦辺粂子だけ!

また「楊貴妃」(1955)で戦前の大女優入江たか子を途中で降ろした溝口を直接叱責もしている。あののんびりした外見とは裏腹の気骨のある女優でもあった。

というわけで浦辺粂子の凄さの一端がおわかりいただけたでしょうか。この大正14年の人気俳優番付の話題はまた次週に。
posted by シンジ at 17:15| Comment(1) | TrackBack(1) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

押井守の「映画的とは何か」

映画っていうのは引用でしか成立しないし、映画独自が生み出したピースっていうか、要素はいまだにないと思ってる。ある種の写真的なレイアウトの価値とか、演劇的な役者の力とか、言葉の力とか、音楽とか、自分のジャンルじゃない「映画の外側」から全部輸入し続けているんだからさ。映画が独自の価値を生み出したなんてこと、ただのいっぺんもないよ。

もしあるとすれば、それは「映画的である」という漠然としたものだよね。だから僕は「映画的なるものの本質というのは何なんだ」ということ、それだけを追求してる。それが極められれば、たぶん映画は変わるだろうし。

それをやった男が僕の知る限り一人だけいるんだよ。それがジャン=リュック・ゴダールなの。彼もまた引用魔だからね。彼はベートーベンを引用し、モーツァルトを引用し、ときにはバッハも引用し、膨大な言葉を引用し、もちろん役者も引用し、政治的言語まで全部引用した。もちろん意図的にやってる。「映画は編集なんだ」って。エディットして、引用をいかに整理して新しい価値を生み出すか。それが映画なんだよ。そこには当然「誰が、何のために」っていう自意識が必要なんだよ。ゴダールというのは突き詰めて言えばそれだけのことをやった男で、それをいまだにやってる。ー勝つために戦え監督篇・押井守

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押井守のいう「映画的」とは引用であり、編集である。という考えは正しい。しかし現実に映画を見て自分に起こっている出来事とは違う。編集の巧みさに感心したりはするが、それは映画的な感動とは違う。私にとっての「映画的」体験は映像演出そのものから得られる。

映画の感想を言ったり書いたりするときに、思わず「なんて映画的なんだ!」とあまり考えもせずに口をついて出てしまうことがあるが、映画を見ていて確かに「映画的」としかいいようのない感動をおぼえることがある。

映画的な感動とは、誰かが死んだから悲しいとか、愛が成就したからうれしい、とかいう感動ではなく、一体自分はこの映画の何に感動しているのかよくわからないが、とにかくこの眼前に広がるスクリーンにうつるなにかに感応してうち震えているという状態。

たとえば、黒沢清の「トウキョウソナタ」のオープニング。開いた窓から吹き込む風でカーテンが揺れるだけでどうしてこんなにも心がざわめくのだろう・・・。私は映画が始まった瞬間から「なんて映画的なんだ、最後まで見なくてもわかる、トウキョウソナタは傑作だ」と思ってしまった。この説明のつかない異様な体験はなんだというのか。

または、F.W.ムルナウの「サンライズ」路面電車がすべるように走り出し、電車の窓から景色が動いていく様をみつめているだけで酩酊してしまうのはなぜか。

フリッツ・ラング「暗黒街の弾痕」で死刑執行前の牢屋から脱走しようとするヘンリー・フォンダの顔のアップを延々うつしつづけているだけでなぜ体が震えるのか、同じようにカール・テオドール・ドライヤー「裁かるるジャンヌ」のジャンヌの顔のアップだけで涙を流してしまうのはなぜか。

いままで安易に「映画的」と口にしてきたものを、なぜ「映画的」だと感じたのかを必死に考えることは(錯覚かもしれないが)自分にとって映画にコミットしていると感じさせてくれるのだ。

「映画的とは何か」を考えることが、映画そのもの、ひいては映画批評そのものを考えることにつながるのではないか。

・・・なんか難しいこと言ってるようですが、単純に言うと「この映画のどこが映画的か説明してみろ!」というドS女王様の言葉責めを必死になって考えるのが楽しい・・・ということです。
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2010年04月15日

細田守はフランク・キャプラである。

フランク・キャプラの「我が家の楽園」(1938)観て思うことあり。

映画はライオネル・バリモア一家の基地外っぷりが存分に描かれていて最高に楽しい。でも物語自体は利益追求の銀行家が失っていた人間の善性というものを愉快なバリモア一家とのかかわりあいのなかで取り戻すという、いかにもキャプラ風の結末を迎える。いい映画だ、いい映画だけれども、しかし自分はいつからこういう人間の善性や善意が勝利するという話に眉唾をつけるようになったのだろう。実際今の日本で人間の善意や善性を信じる!みたいな映画が出てくるとまず間違いなく拒絶反応がくるだろう。

頭のよろしい方々にとって人間の善意や善性を肯定するというのは欺瞞に感じられるからなのか、また楽観的に人間や世界を肯定的に描くことは現状肯定につながる、反動だとでも言いたいのか。

おそらくキャプラが「素晴らしき哉、人生!」(1948)で興行的に失敗したのも、時代錯誤的というような冷めた批評があったからではないのだろうか。まるで目に浮かぶようだ、インテリ批評家連中が、キャプラを偽善、時代錯誤、反動などと批判するさまが。

だが、キャプラ作品はそんな批判をものともせず、甦った。むしろすべてをニヒリスティックに嘲笑するこの世界でこそキャプラ作品は光り輝く。

そしてフランク・キャプラのことを考えると、ある一人の現代の映画作家を思い出す・・・細田守のことである。

細田守はこう言う。
現代の日本の家族がテーマっていうと、たいがいシリアスでヘヴィーな問題として描かれてますよね。「家族の再生と喪失」とかさ。肯定的に現在の家族を捉えること自体、現代の日本映画で少ないと思ったわけ。家族同士で傷つけ合うとか、同じ家族なのにどうしてこんなに分かり合えないのか、とかっていうアプローチの方が、たぶん共感は得やすいんです。でもそうなってしまう状況そのものが、今の日本で家族を肯定的に捉えることの難しさの表れなんです。であるならばさ、現代の、ひょっとしたら問題大ありかもしれない日本の家族というものを、なかなか肯定する気になれないような世の中で、どうエンターテイメントとして肯定するか。それが現代日本で最も難しいチャレンジなんじゃないのかなって。もし自分に「家族」というモチーフを与えられたら、どう作るか。自分だったらどうやって家族に励まされたいかと考えた。それが一番今の世界で大事なことだと思えたので。ーサマーウォーズ公式ガイドブックより


キャプラの人間性や世界に対する肯定は時代の趨勢にあらがう蜂の一刺しだった。まさにそれはキャプラの精一杯の抵抗だった。

そして今また、時代の嘲笑にあらがう、たった一人だけの抵抗をこころみる映画作家細田守がいる。

映画誌「この映画がすごい」のサマーウォーズDVD紹介のページで森直人氏は保守的なところが受けたのだろうと揶揄したように書いていたが、森直人氏のその物言いはまるでキャプラをバカにしたかっての批評家たちと同じようだ。

細田守のあえてこの混沌とした世界を丸ごと肯定してやろうじゃないかというのは、蛮勇以外のなにものでもない。世界を肯定する=保守的=反動と考えるような頭の固い“保守的な”批評家にはそれがわからないのだ。

細田守よ、キャプラのように軽やかに世界を肯定せよ!

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後記・・以前からフランク・キャプラ=細田守説は思いついていたのですが、Twitterをやっていてその考えがまとまったので書きました。そのヒントをくれた方々のtweetを感謝を込めてここに残します。

「我が家の楽園」しかし俺はいつからこういう人間の善性や善意が勝利するという話に眉唾をつけるようになったのだろう。実際今人間の善意や善性を信じる!みたいな映画が出てくると途端に拒絶反応がくる。まずは散々否定されてきた家族や世界を肯定してあげるところからはじめるキャプラアプローチ。その後継者が細田守じゃないのか。キャプラも晩年は時代錯誤と笑われ、仕事を失っていった。でもいまだにキャプラ作品は見続けられている。以前思いついたF・キャプラ=細田守が結びついた。ーシンジのtweet


1950年代にアンチハッピーエンディングが登場した以降の世界を生きているからではないでしょうか。ただ世界はそれ以降、2週も3週もしている気がする。ー@kmrtwitさんのtweet


細田さんは『時かけ』のときに『素晴らしき哉、人生!』に言及されてましたものね。http://bit.ly/buHXAN (左記リンク「Q. 二十代後半の独身女性が観て面白い映画があれば教えてください」という質問への返答)ー@ryokikuzakiさんのtweet


細田 「色々とさっきから考えてたんですけどね。フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉人生』という古い映画がありますので、良かったら是非観てみてください。何か感じるものがあるかもわかりません。シナリオを作ってた時に、『素晴らしき哉人生』は良いよねって話をしてたんですよ。」

渡邊(プロデューサー) 「スタッフ内ブームが起きてましたね。」ー時をかける少女オールナイトの質疑応答


おお、自分の勝手な思いつきではなく、細田さんは明確にキャプラを意識してたんですね。世界や人間の暗黒を描く作家は腐るほど大勢います、そしてそれを過剰に評価する批評家も。細田さんには時代錯誤と言われようとキャプラを意識して欲しい。ーシンジ


細田守は幼児のころに『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』を観てしまった世代だと思うんです。その彼が敢てキャプラを推しかつ自らもキャプラで行こうと考えておりかつまた観るものにキャプラを感じさせるのだとしたら、そこに至る相当な思考があるように思います。ー@kmrtwitさんのtweet


自分はセブンや怪奇大作戦世代ではないのでわかりませんが、世界に対する失望や無関心をくぐりぬけて、世界を肯定しようとするまでにいたる細田守の思考というか心意気に感動します。ーシンジ
posted by シンジ at 18:17| Comment(17) | TrackBack(1) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

山中貞雄のデビュー作「抱寝の長脇差」はどこにある?

2009年11月にNHK-BSで放映した山中貞雄生誕100年記念番組「チト サビシイ〜残された3本に輝く天才〜」で山中のデビュー作である「磯の源太 抱寝の長脇差」(1932)を再現するこころみをしているが、その再現ドラマの監督をした山本晋也氏が昭和50年頃に福生のアニメコレクター宅で「抱寝の長脇差(だきねのながどす)」を観たという衝撃的な発言をしている。

山中貞雄衝撃のデビュー作である「磯の源太 抱寝の長脇差」とは。
昭和7(1932)年、長谷川伸の「源太時雨」を自ら脚本化、22歳で監督デビュー。「鉄の花環」(曽根純三監督)の併映作品として公開。寛プロというB級映画専門の映画会社の添え物映画という批評家が見向きもしない作品だったにもかかわらず、キネマ旬報の批評家岸松雄が偶然見てびっくり、大絶賛の論陣を張る。
「われわれは此の映画によって、山中貞雄という一人のすぐれたる監督をば新しく発見し得た。こんな映画の中にこんな有能の監督が発見されようなどとは・・・」
「山中貞雄は今、伊藤大輔のそのユニークな境地に力強く肉薄して行っているのである」
「これは近来になくすき間のない傑作時代劇である。監督者山中貞雄の将来には、われわれは少なからぬ期待をかけてよいと思う」ー岸松雄

2009年12月に亡くなられた日本映画界最古参の批評家双葉十三郎氏も「抱寝の長脇差」をオールタイムベスト10の1本にあげている。
「まるで嵐寛の声が聞こえてくるような見事さで、シーンと字幕のマッチングの素晴らしさに圧倒された」ー双葉十三郎
そして新人監督のデビュー作としては異例のキネマ旬報8位に選出。(ちなみにその年のキネ旬1位は小津安二郎の「生れてはみたけれど」)
そんなすでに失われたと思われていた幻の傑作を山本監督は1975年頃観たというのだ。番組内での山本晋也監督の発言を書き出してみよう。

ー抱寝の長脇差の再現ドラマを撮影中の山本監督、有名なシーン、お露が地面に「こいししたわしげんたろ」(恋し慕わし源太郎)と書いて、足で消す場面をモニターで見るとこう言う「思い出した、こういうカットあったよ!40年前だよ・・・」

(ナレーション)実は山本監督は山中のデビュー作「抱寝の長脇差」を見ているのです。この幻の映画を見たのは昭和50年頃です。

(山本晋也監督インタビュー中)
「ある人が福生(東京都福生市)に住んでいた、フィルムコレクターが。そこへ行ったら、まぁ〜福生の方のうちは家が傾いてるくらいフィルムの山!それで行ったら、コレクター自慢だよ。(その人は)本来アニメのすごいコレクターなんだけど、俺なんのアニメにも興味ないわけですよ」
福生のコレクター「山中貞雄なんて知ってる?」
山本晋也「知ってるよ」
コレクター「抱寝の長脇差なんて、これは貴重品だぞ」

山本監督は再現ドラマを撮っているとき、「思い出した、こういうカットあったよ!」と言っています、ということは、その福生のコレクターの家で抱寝の長脇差を映写してもらったということでしょうか。

無声映画時代に詳しい人によると、寛プロ(嵐寛寿郎プロ)のようなマイナーは、新人映画監督のデビュー作は2本くらいしか上映プリントを作らなかったそうで、その映画が公開巡業を終える頃には、プリントはボロボロになっていたはず。山本晋也監督が見たという「抱き寝の長脇差」が完全な形で残っていると言うことは有り得ず、おそらくは短縮ダイジェスト版か、せいぜい10分程度の断片的なプリントを見たのではないかと推測されるそうです。ー山中貞雄掲示板より


では気になるその福生のアニメコレクターとは誰なのか?
伝説のフィルム・コレクターとして知られる杉本五郎氏のことである。
杉本 五郎(すぎもと ごろう、1924年 - 1987年6月13日)は、東京都出身の男性。アニメーション研究家、映画フィルム収集家、漫画家、アニメーター、著作家。漫画執筆時のペンネームは、つゆき・サブロー、露木三郎。大日本フィルム社取締役、青山デザイン専門学校講師、東京工学院専門学校講師、アニドウ顧問などを務めた。wikiより


さらに山中貞雄掲示板では
彼は埼玉の大宮市に住んでおりましたが、1971年に火災があり、所有コレクションの一万五千本のフィルムを焼失し、その際の隣人トラブルで、福生市に引っ越し、再びコレクションを始めて5千本まで集め直したそうです。山本監督が「抱き寝」を見たというのは、明らかに火災後の福生市に引っ越してからですから、このフィルムは焼失を受けていません。ー集まれ! 山中貞雄ファン掲示板

これはかなり抱き寝のフィルムの生存率が高くなってきた。あとは杉本氏が亡くなられた後その膨大な数のフィルムコレクションがどこへいったのか?それも掲示板に答えがありました。

ー現在は、大日本フィルム社の金子けいじ氏がその遺産を管理、運営している。

で、この大日本フィルム社。検索すれどもすれどもいっこうに出てこない。さてどうするべと悩んでいたところ、たまとわさんがヒントをくれました。

アニドウのオフィシャルHPにはBBSもあるので、杉本コレクションの現状について質問してみるのも手かも。ー@tamatowa

なるほど!杉本五郎氏はアニドウ顧問とwikiにある。

アニドウとは・・アニドウは1967年に東映動画(現東映アニメーション)、虫プロ、東京ムービー(現トムスエンターテイメント)、スタジオゼロ、TCJ(現エイケン)、Aプロダクション(現シンエイ動画)などに働くプロのアニメーター達によって設立された組織。アニドウが主催した上映会は今までに400回を超え、専門書の出版やフィルムのコレクション、ジャンルを問わないアニメ資料の収集、さらに世界の新作アニメの配給など行っている。アニドウ・フィルム代表取締役なみきたかしーアニドウHPより


というわけでアニドウBBSに突撃。

シンジーかってアニドウ顧問をつとめられた杉本五郎氏のフィルムコレクションの中に山中貞雄監督の「抱寝の長脇差」(1932年)があるのではないかと思い書き込みをしました。くわしく説明すると、NHK-BSで放映された山中貞雄生誕100年記念のドキュメンタリー「チトサビシイ」の中で山本晋也監督が1975年頃福生のアニメコレクター宅で「抱寝の長脇差」を観たと証言しているのです。当時福生在住で高名なアニメコレクターというと杉本五郎氏以外にはいないと思われます。杉本氏のフィルムコレクションの中に「抱寝の長脇差」があるかどうか確認はできないものでしょうか?

アニドウー少なくとも、僕は見たどころか聞いたこともない話しです。この番組の制作社からも問い合わせがありましたが、そうお答えしました。もし、存在するなら所有者は世に出す義務があると思います。

シンジー早速のお答えありがとうございました。>杉本五郎氏は1971年に大日本フィルム社を設立し、同年、自宅の火災でコレクションの大半を焼失。火災後、福生市に引っ越す。ということでしたので、抱寝の長脇差は火災からまぬがれ、山本晋也監督の目に触れたのかと思われたのですが・・・。残念です。

アニドウー杉本さんは火災後にも収集していましたので、あったとすれば比較的新しく収集したものでしょう。ただ、他にも何人かの評論家・研究家の方が出入りしましたので、その方々が見ていない(見せられていない)というのが疑問です。僕はアニメーション専門ですから、自慢されてもわからないので見る機会は最初からなかったでしょうけれど、時代劇に詳しい方が他にいましたから、本当に幻の作品があれば杉本さんからすすんで見せていたはずです。
山本晋也監督を疑うことになって申し訳ないのですが、話し半分という気持ちです。


いきなりの不躾な質問にお答えくださったアニドウ様本当にありがとうございました。

・・・・というわけで晋也〜w
確かにそうなんだよな、もし杉本五郎氏が抱き寝のフィルムを持っていたなら、山本監督以外にも見せていたはずなんだよ。でもNHKの特集で山本監督が嘘をついていたとは思えない、というか嘘をつく理由がない。となると考えられるのは・・

@山本監督は確かに杉本氏から「抱寝の長脇差」を見せられたが、その後すぐに杉本氏が誰かに譲ったか、あるいは紛失、最悪の場合盗まれた可能性。

Aそもそも山本監督が福生で会ったアニメコレクターは杉本氏ではなかった可能性。

@の場合はどうしようもない。Aは山本晋也監督に尋ねればすむことだが、さて・・。
とりあえず調査はここまで。私としては山中貞雄の「抱寝の長脇差」のフィルムが現存するという一縷の望みを捨ててはいない。
posted by シンジ at 17:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

黒澤明「白痴」完全版はどこにある?

「ぶれない男 熊井啓」西村雄一郎著に黒澤明の「白痴」(1951)完全版の行方のことが書かれており、興味深いのでここに記す。

黒澤は「羅生門」(1950)を撮った後、松竹で「白痴」を撮るが、最初に編集し終えた時点で「白痴」は計4時間26分になっていた。松竹は興行上の理由からカットを要求。そこで黒澤が切ったのが3時間2分の版。その3時間2分版で封切ったもののあまりの評判の悪さに三日で興行が打ち切りに。

松竹は全国封切の際にさらなるカットを黒澤に要求。そのときに黒澤明の有名な言葉が飛び出す。
「これ以上切りたければフィルムを縦に切れ!」

そのカットされた短縮版が2時間46分。現在流通しているのもこの2時間46分版である。

熊井啓監督がキネマ旬報黒澤明追悼号で「白痴」完全版を確認したと書いたのは、最初に黒澤が編集したバージョンの4時間26分のことである。

熊井監督は独自の調査により、とある中部地方、そして四国に足を運び、情報提供者、フィルムの所持者に会ってきたそうである。そして「白痴」4時間完全版の存在をその目で確認した。

では、なぜその所在が明らかになっていながら、フィルムが表に出てこないのか・・・つまりは法律に触れるからである、そこで犯罪が行われたからである。何者かが白痴完全版を盗み出し所持しているのだ。

そこで検索してみると、いろいろと新事実が浮かび上がってくる。

4時間以上ある『白痴』完全版は、東劇と札幌小樽でロードショー公開したときに使用したプリントで全部で3本あった。
その後、2番館3番館でも上映されたが、損傷のため2本がジャンクされた。
残り1本が不明な訳だが、1960年代に長野県で短縮版(現在観られるバージョン)にないシーンを観たとの証言があった。
熊井啓は、その証言を元に探し出した可能性が高いとのこと。
地方の映画館があい次いで閉館した時、映画好きが手に入れたのではないか。〜曲軒の福岡映画日記より抜粋

この記述でだいぶわかってきたような。つまりこのジャンクされなかった一本を誰かが秘かに持ち出したのだ。熊井啓監督はそれを中部地方、つまり長野県の情報提供者に教えられ、実際に所持してる人は四国にいるということか・・・。
ん、ちょっと待て、最初に東劇で公開されたバージョンは3時間2分版ではないのか?ちょっとわからなくなってきた・・。

追記・Twitterでやりとりしているうちにいろんなことがわかってきた。
まず東劇、札幌で上映された「白痴」は4時間版ではなく3時間版とのこと。
黒澤明『白痴』について。KAWADE夢ムック『黒澤明』の「黒澤明 フィルモグラフィ&全作品解題」(鶴田浩司さんという方が書いています)によると、東劇(他、北海道の劇場)で上映されたのは「3時間版」とのことでした。ー@daratenさんのtweetより

ということは、東劇、札幌で上映された三本のうちの一本がその4時間完全版である可能性は低くなった。
「ぶれない男 熊井啓」では、はっきりと現存しているのは4時間26分版の「白痴」であると書かれているからだ。

となると恐ろしい事実が浮かび上がってくる。今現存しているのが4時間版の白痴なら、それは黒澤が編集した直後に盗まれたとしか考えられないからである。4時間版のフィルムは上映されてない。東劇で上映されたバージョンは3時間版なのだから。編集したてホヤホヤの4時間版を盗めるのは一体誰か。

公開前、流通前のフィルムを盗むのに一体どんな理由があるというのか?ここからは完全に安楽椅子探偵ごっこなので、適当なこと書いてるな、と読み流してください。

黒澤が心血をそそぎ、魂を削って完成した4時間26分の芸術。それは見事な完璧な作品だった。だが、そのあまりの長さから会社からはカットしろという命令が下る。カットするということはその完璧なフィルムを切り刻むということだけではなく、カットしたフィルムをジャンクとして永遠に葬り去ることを意味する。

ショックと怒りで打ち震える黒澤。それを見た黒澤の熱烈な信奉者は悪魔のような考えを思いつく。この芸術を切り刻んで永遠に葬り去ることなど許されることではない。俺が、この俺が、4時間版のフィルムを黙って持ち出してしまえばいいのだ・・・。かくして幻の4時間版白痴は私たちの前から消え去った。

そしてなぜか4時間版白痴が消え去ったことを、黒澤をはじめ誰も騒ぎ立てようとしなかった・・・。

さらにこんな事実まで

更に、かねてより噂のある、完全版「白痴」について訊いてみましたら、黒澤プロとして、完全版「白痴」のフィルムの実在を認めており保有者も判明しているが、明らかに出来る事は、これ限りの旨の返信を受けました。更に突っ込んで、此の件に関して質問をしたら、以後ぱったりと田畑氏(黒澤プロ代表取締役の田畑稔氏)からのメイルが途切れました。ー集まれ! 山中貞雄ファン掲示板より

なんと黒澤プロでは「白痴」完全版の保持者を把握しているとのこと。法律面はすでに時効になってると思うので、あとは名誉の問題ということになるのかな?いずれにしろ自分が生きている間に「白痴」完全版が出てこればいいなぁ。

追記・たまとわさんがTwitterでの「白痴」完全版の推理合戦の模様をまとめてくれました。「黒澤明監督『白痴』4時間25分完全版の行方を探して」
posted by シンジ at 21:18| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

押井守が語る北野武

押井守の「勝つために戦え監督篇」が死ぬほど面白い。古今東西の映画監督を押井守独自の勝敗論から語るという一冊。色んな著名監督、ヒッチコックだとか、タルコフスキーだとかJ・キャメロンを語っているんだけど、自分は北野武ファンなので押井守の語る北野武が一番気になる。ということでどんなことを語っているのかというと・・・

押井守・基本的に全部見てるし好きな監督の一人。僕としてはかなりシンパシーを感じてる監督だよ。

僕は基本的に(北野武は)間合いの人だと思ってるよ。あと意外にもと言うか、実はカメラワークに長けた人。それは「キッズ・リターン」なんかを観ればわかるよ。あのカメラワークはすごいなと思ったもん。

ー(質問者)カメラマンにはどれぐらい指示してるんですかね。

押井・納富貴久男さん(銃の発砲、弾着など特殊効果の第一人者)に聞いたんだけど、やっぱりかなり指示してるらしいよ。

押井・納富さんの話ではとにかく段取りのいい人で無駄なことをしないんだって。忙しい人だから、最小限の時間で最大の成果をいかに獲得するかを考えてるみたい。だからカメラのポジションから撮る順番から段取りまで、すべてがとにかくクレバーな監督だって。もっとも納富さんはクレバーな監督しか評価しないんだけどさ(笑)

確かにキッズ・リターンのキャメラワークは秀逸。オープニングの移動撮影にもしびれたけど、なんてことはないボクシングジムに入っていく安藤政信を後ろから追ってゆくシーンにステディカムを使用したりしていた。殿は(早く帰りたいから)早撮りフィックスだけの作家じゃね〜ぞ!(枠内シンジ)

押井・異業種の監督でなぜたけしだけが成功したのかっていうと、彼の映画を作っちゃったからだよ。僕がよく言ってる<発明>だけど、「キタノ映画」っていうものを発明しちゃったんだよね。憧れなんかでは全然作ってない。他の監督はだいたい、いいシーンを撮ろうとか、いいショットを撮ろうとか、名シーンを撮ろうとか考えてる。でもいい絵を撮ろうと思ってる限りいい絵にならないのが映画なんだから。PVだったらそれでいいんだけど。あの人は頭のいい人だから、自分がどこで勝負すべきなのかっていうのを考えたと思うよ。だって一本目から確立されてるからね。

これもわかる。北野武は初期の作品ではいいシーンとかいいショットを撮ろうなんてこれっぽっちも考えてはいなかったはず。ソナチネなんかでは意識しなくても凄いショットが撮れていたのが、「HANA-BI」(1998)以降、ショットや間合いにずれが・・・

ー(北野映画の暴力は)それまでの深作欣二さんとか、日本映画の暴力映画の系譜から見ても・・・・・。

押井・全然異質だと思うね。たけしの映画からは怒りとかそういうものをいっさい感じないし、むしろ虚無的だよね。あの呆気なさというか、情もなければ怒りもない。人間の生の暴力っていうか。「ソナチネ」だったかな?エレベーターのなかでボカンボカンというのがあったけど「すげえな」と思ったもん。ああいうのはやっぱり日本映画の系譜には全然ないよね。ペキンパーとも違うと思う。ペキンパーの場合はもっと情緒みたいなのが出るからね。暴力そのものに悲しさみたいなのが出てくるけど、たけしにはないもん。ずっと虚無的なまんま。なんか風景のようにというか、みんな日常行為と同じように撮ってるというかさ。もちろん明らかに意識的にやってる。あえてロングで撮ったりとかね。あるいはワンショット入ったりとかね。すごく「風景」なんだよね。

北野映画の暴力を「風景」というのは、まさにそのとおりだな〜と。黒沢清監督ももろにそうですよね。暴力や死をなんてことはない「風景」や「日常行為」のように描く。最近黒沢清の「蛇の道」(1998)を見たんですけど、心底ぞっとしました。人の命は羽毛より軽いことを「風景」として描くことの恐ろしさ。

ーたけしの映画の中には、評価のしにくいお笑い系の映画があるじゃないですか。

押井・たけしの中ではやる理由がきっとあるんだろうね。たけしの場合は自他共に認める自分の作風みたいなものがあるわけだけど、「そういう監督なんだ」って思われちゃうのが自分自身で嫌なんじゃないかな。

ーフィルモグラフィーを並べた時に「そろそろこういうのが入っとかないとな」という感じで撮ってる感じがします。

押井・明らかに意図的に撮ってるよね。3〜4本に1本ぐらい必ず入ってくる、世に言うたけしのしょうもない映画っていうのは、僕は全体のなかで機能してると思うよ。あれによって、時々とんでもないものを作っちゃって大失敗するんだ、という評価を世間的に獲得してるんだから。次々と失敗できない企画が回ってくるハリウッドの監督に比べたら全然プレッシャーないもん。

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押井守の北野武論で最も核心を突いているのが、ここ。北野武は意図的に失敗作を定期的に作っている。そしてそのしょうもない失敗作が北野武のフィルモグラフィー全体でみれば見事に機能している。

北野武は「座頭市」(2003)がヒットした時こう言っている「これであと2本は失敗できるな」と。その予言どおり、立て続けに酷評、大コケの作品を撮った後、今年6月公開の「アウトレイジ」で評価を一変させるつもりなのだ(予定)。これは北野武/ビートたけしファンにはおなじみの「振り子理論」というやつです。(とは言ってもアウトレイジが駄作なら、殿のもくろみも崩れ去るんだけどw)

北野武が自身のフィルモグラフィーやキャリアを全体として考えているとするなら、北野がどんな作品を自身の遺作にするかは想像がつく。間違いなく、どうしようもないほどくだらない、しょうもないバカ映画を撮って自身のフィルモグラフィーを完成させ、世界中の北野映画ファンを煙にまいて、最後っ屁をかますつもりだろう。いままで映画作家づらしてきたけど、全部嘘なんだよ〜だ。バッカじゃね〜の、と。

「こんなえいがにまじになっちゃってどうするの」


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posted by シンジ at 17:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする