オスカーでの人種差別を米メディアが書かない訳
「失礼だったが、人種差別とは限らない」
https://toyokeizai.net/articles/-/740839
冷泉彰彦
「こうした事件を取り上げて、ハリウッドやアメリカで社会的なアジア系差別があるとか、自分も被害者だとして憤ったり、アメリカへの不快感、距離感を表明したりするのは、やや過剰な反応と思います」
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2024/03/post-1346.php
ビルマで警官をしていた作家のジョージ・オーウェルは白人よりも白人に仕える現地の人々のほうが同胞であるビルマ人に対し苛烈なあつかいをすることを見てきた。彼らは支配階級(白人)の文化を受容し自分たちを白人に擬すれば擬するほど自分の出自に引け目を感じることになる。
そしてその引け目があるからこそますます支配的価値への同化と忠誠を強めていく(ジョージ・オーウェル評論集1解説)私はこれでいわゆる欧米出羽守のほとんどすべての説明はできると思っている。
これらの人々をロドニー・スタークは「人がふたつの集団に属しているとき、そのことで矛盾を抱えたり、どちらの集団においても低い地位に押しやられる圧力を受けたりすることを周縁化という。人々は周縁化された位置からの逃避あるいは解消を試みるだろう」
周縁化された位置からの逃避あるいは解消の試みこそが「支配的価値観」への同化と忠誠に。そしてそうした価値観に染まらない「劣った」ものに対する苛烈な扱いにつながるのだろう。
人種差別的扱いを受けたとき、どうすればよいのかもジョージ・オーウェルは教えてくれる。
「人種差別が実際に起こったら、いつでもできるだけ仰々しく騒ぎ立てることが極めて重要である。なぜならこれは騒ぎ立てることが何かを成し遂げうるような事柄のひとつだからだ。」−ジョージ・オーウェル「有色人種立ち入り禁止」