2025年06月28日

シャリア・ブルという男。マチュの希望。ジークアクスのニュータイプ論

シャリア・ブルという男。マチュの希望。ジークアクスのニュータイプ論

機動戦士Gundamジークアクスはシャリア・ブルを追っているだけで面白かったし、驚きに満ちているだけではなく、ガンダムシリーズがずっと描いてきた「ニュータイプ」とは何かを端的に表しているので目が離せなかった。

シャリアは最初はシャア・アズナブルという男に身も心も灼かれた男として描かれたように視聴者には見えていた。木星から帰ってきて空っぽになった虚無の男が野心に満ちた才能とカリスマだけでできているかのような男に魅了され、ただ戦争に利用されるだけのニュータイプの未来を変えてくれるかもしれない存在に見えたのは確かだろう。

そしてシャリア・ブルの目的である「ニュータイプが戦争の道具としてではなくニュータイプがニュータイプとして生きられる世界」をシャアになら託すことができるかもしれないと「その時」は思ったのかもしれない。

シャリアがどこで心変わりしていたのかはわからない。もしかしてビギニング部分(第2話)のどさくさにまぎれてシャアがグラナダにソロモンを落とそうとしたことをアルテイシアから聞かされたのかも。

しかし我々視聴者はずっとシャリアはキシリア、ギレンを暗殺してシャアをジオン公国の新しい総帥として擁立するとばかり思っていたのを最終回12話で実はアルテイシアを新しく擁立し邪魔なシャアを排そうとしていたと知り驚愕するのだ。

誰かがtwitterで書いていたがまるでミステリの叙述トリックを読んで騙されたかのような展開はジークアクスのストーリー上でも白眉といえる驚きの展開だった。

このシャリアの心変わりは視聴者に隠されているように見えて、実はシャリアのニュータイプ観が物語上で変わっていってることをジークアクスはちゃんと描いている。

シャリアが影響を受けたシャアのニュータイプ観を「大きい思想」と名付けよう。つまりニュータイプや人類すべてを統率するような大きい思想。理念。理想。人々を「高次元」に導く大きい思想。そしてその大きい思想のためなら他者を抑圧したり、強制できたりもする。それがシャアのニュータイプ観だ。

シャリアも最初はシャアの大きい思想=ニュータイプ観に魅せられていたのだろう。そうした大きい思想でしかニュータイプがニュータイプとして生きられる世界はやってこないと。だが必然的に大きい思想は他者を抑圧し強制をともなうとシャリアは理解していく。

シャアのふるまいは大きい思想が他者を抑圧し強制するものでしかないと理解されるに十分なものだった。グラナダでの人命を一顧だにしないふるまい、イオマグヌッソ開発。この男の掲げる大きい思想=ニュータイプ観は邪悪であると。

12話でシャアはシャリア・ブルに向かってこう言う。
「(シャロンの薔薇の彼女を排除する)人類をより良き時代に導くのはそれからのことだ」と。

シャアを愛しシャアのために運命を変えようとするララァを排除してからより良き時代に導く。まさにこれこそ大きい思想のためになら他者を抑圧し強制してもよいとするシャアのニュータイプ観に他ならない。

「他の人々を「より高い」レベルの自由にまで高めるために、ある人々によって加えられる強制を正当化する」(アイザイア・バーリン「自由論」)・・・それがシャアのそしてかってはシャリアのニュータイプ観だった。

それに対してシャリア・ブルはゾッとするほどの冷ややかさで応じる「・・・でしょうね」

シャリアは「独裁の下では人の革新など起こるはずもない」とシャアの大きい思想を全否定するに至るのだ。(ここでシャアとシャリアのBL的妄想に浸ってきた人は冷水を浴びせられたような気分になるのでは?)

シャリアとシャアが戦っているときのソドンのラシット艦長の言葉がシャアのニュータイプ観の限界を表していて面白い。
「ふん・・・結局争う事をやめられない。多少人よりモノが見えたところで撃たれりゃ死んじまうのに」

大きい思想のためにニュータイプを人殺しの道具として使うシャア。より「高い次元」に行くためなら人々を抑圧したり強制しても構わないというニュータイプ観。

そうしたニュータイプ観を打ち砕くのがマチュなのだ。

シュウジはララァを守るために彼女を殺さなきゃいけないという。マチュは言う。

「誰かに守られなきゃ生き残れないなんてそんなの本物のニュータイプじゃない」

ー温情的干渉主義(パターナリズム)は想像しうる限り最大の専制である(カント)なぜならそれは人間を自由なものとしてではなく自分にとっての材料であるかのごとく取り扱う。温情に満ちた改革者は自分自身の自由意志で採用した目的に従って、その人々を型にはめようとするのである。ーバーリン「自由論」・・・まさにシュウジの陥った心理だろう。

ララァは誰かに守ってもらおうなどとは微塵も思っていない。彼女は自分の願いのために自分の自由を、わがままをとおしているだけだ。

マチュもまた「私たちは毎日進化している。明日の私はもっと強くなる!」
強くなってやる。なんのために?誰かの大きい思想に導かれたり、誰かに守ってもらうためではなく自分の意志で道を切り開くために!

「自由のために傷つくものこそが本物のニュータイプなのだから」シャリア・ブル

大きい思想では運命を変えることはできない。運命を変えるには必然の網の目をぶち破ることができる唯一のもの「自由」こそが必要なのだ。

マチュの自由を求める強い心が大きい思想と運命を打ち破ることのできる新しいニュータイプ観なのだということを示したのが機動戦士Gundam GQuuuuuuX ジークアクスだ。

マチュがゼロキルカウントなのはみなさんご承知の通り。ガンダムシリーズはニュータイプ同士理解しあうことができるのに殺しあわなきゃいけないというジレンマを描いてきたが、ジークアクスでは理解しあえば殺しあう必要はないというところまで進んだのだ。理解しあっても殺しあわなきゃいけないのは「大きい思想」に従わされているからにすぎない。

マチュによって表現されるニュータイプ観は他者を抑圧し強制しようとする大きい思想を拒否し、運命=決定論を打ち破るものだ。そしてそれこそが真に自由と呼ばれるものなのである。

シャリア・ブルはマチュと共鳴しシャアのニュータイプ観から完全に脱することができたのだ。


あとがき。ジークアクスを2025年1月の公開から最終回6月の半年間楽しめたのは本当に幸せでした。なんか2016年7月にシンゴジラを見た時以来の熱狂の日々でした。もうこんなことはしばらくないだろうなと思えるほどの楽しさ。鶴巻和哉監督、脚本の榎戸洋司さん。スタジオカラー、サンライズのスタッフのみなさん(某弊社社長も)本当にありがとうございました。
posted by シンジ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ・コミック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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