ジ・アート・オブ・シン・ゴジラはただのアートブックでも、映画制作を資料を並べながら解説する本でもない。ここには庵野秀明という異物がいかに映画スタッフから憎まれ、嫌われながら、それでもなお映画の現場を蹂躙していったかの記録が残されている。
この本は庵野秀明がいかにして現場の主導権を傍若無人に奪い取ったかのあまりにも赤裸々な記録なのだ。
そもそもシン・ゴジラ撮影現場での大混乱は庵野秀明自身も樋口真嗣やそのスタッフも庵野本人が撮影現場に出張ってくるとは誰も考えていなかったことにある。
「(庵野は)脚本とプリヴィズと編集だけやるから、現場は任せた」という話だった。−樋口真嗣監督(p482)
しかしなぜか庵野は撮影現場につきっきりとなる。このことに騒然とする樋口組スタッフ。当たり前である。現場スタッフは進撃の巨人からのスタッフが多く、みな樋口を「親分」とする樋口組のスタッフで構成されているからだ。
当たり前ですけど、(現場は)「監督」である樋口君の意見を尊重します。ー尾上克郎准監督(p478)
しかし「監督」であるはずの樋口がOKを出しても庵野が首を振らないということが現場でたびたび起こるようになる。
それによって、かなり混乱があったようですし、「約束と違います」という話も漏れ聞こえてきました。−佐藤敦紀編集・VFXスーパーバイザーp456
最初のころ現場のスタッフ、全キャストが庵野さんに対して「あの人、なんなの」みたいな感じで、それをなだめすかすのが自分の役割でした。「樋口さんは、それでいいわけ?」なんて聞かれる。−樋口真嗣p485
招かれざる闖入者庵野秀明に対する現場の風当たりは庵野子飼いのスタッフ、轟木一騎、摩砂雪が撮影D班として現場に入った時に頂点に達する。映画撮影というのは大きなメインカメラがひとつドカッとあってそれを中心に撮影班が動いていく。しかしそれでは機動力が足りないと庵野は小型カメラのキャノンXC10だけではなくiPhoneをも導入するのである。そして現場では撮影A班B班C班だけではなく庵野子飼いのD班が急遽導入され撮影現場では常時6台以上のカメラが回っているという状況になってしまう。このことを撮影のクオリティに人一倍気を使う撮影班が面白く思うはずがなかった。
「(自分たちは)他のスタッフにはメイキング班以下に感じられていたみたいですね。」−摩砂雪・画コンテ・D班監督p342
「(D班は)イレギュラーなチームだったので、現場スタッフには戸惑いや反発もあったようです。僕の反省として、D班に関する周知を、もっとかみ砕いてスタッフに話しておけばよかったなというのがあります。」−尾上克郎p479
この証言だけでも庵野と庵野子飼いのスタッフが樋口組の中で完全に孤立していたというのがわかる。
シン・ゴジラ現場は招かれざる客庵野秀明により破綻寸前だった。しかしシンゴジラは完成した。それはなぜか?常識では考えられないほどのお人よし=樋口真嗣監督のおかげである。
「現場からすれば、庵野さんの陣取るベースを敵視するようなムードになる時だってあったわけですが、そんな時には、樋口監督が、素晴らしいリエゾン(連絡、関係の意)的能力を発揮していただいて、ありがたかったですね。」ー中川和博監督助手p327
「普通だったら、ヤケクソになって、「もうなんでもいいや、やっときゃいいんだろう」ってなりそうな所を、ムードを鋭く察知した樋口監督が絶妙にフォローしてくださったのでそうはならずに、ベストのことが成し遂げられたと思います」−大庭功睦監督助手p327
普通であれば現場責任者は樋口真嗣であるし、樋口の権限で庵野を撮影現場から追い出すこともできたはずだ。だが、樋口は庵野との長年の友情からか、庵野を切ることができなかった。樋口のその優柔不断さがまたスタッフの怒りや苛立ちを煽ったこともあるかもしれない。しかし樋口の常軌を逸したお人よしさはこう考えるまでにいたる。
「おれが助けようと。(庵野に)尽くそう。尽くします。」ー樋口真嗣p485
樋口真嗣が最終的に折れたことで、庵野は現場での実権を奪い取ることに成功するのである。庵野は樋口真嗣、樋口組から映画を奪い取ったのだ。
撮影現場で蛇蝎のごとく嫌われた庵野秀明だったが、この庵野の傍若無人な暴れぶりはプリプロダクションでも、ポストプロダクションでも同じだった。
プリプロダクションでは他の脚本家が書いてきた内容(恋愛、家族ドラマたっぷり)に激怒して2014年9月の段階でゴジラから降板するという電話を東宝映画社長の市川南にしている。
ポストプロダクションでは次のような証言をネットで見つけた。

「面白かったのはシンゴジの焦土東京の衛星高度からの夜の画でプリビズから出来上がっていく進行過程が全部貼ってある横の監督の指示がもうgdgd 修正させた挙句 前の段階の画に「これでいいです」打ち上げで「1つ前に戻るのはよくある事」 あーこれじゃ人が離れてくのも無理ないわ…」
どうやら庵野秀明の悪評は業界の隅々にまで周知されているようだ。
庵野秀明はこのようにありとあらゆるスタッフから嫌われ、憎まれ、現場は怒りと不安と苛立ちで包まれていた、にもかかわらずシン・ゴジラは興行的にも批評的にも大成功を収めた稀有な作品となった。なぜなのか?庵野は自分がスタッフから憎まれていることなど一切関知できないほどの鈍感な人間だったのだろうか?
そうではなかった。庵野秀明は自分の行動がスタッフ間にさざなみを立てさせ、怒りや憎しみを生むことになることをはっきりと自覚していた。
(最初は現場に出る予定はなかったが)いくつかの段階と転機と理由があり「可能な限り現場に出るしかない」と判断しました。実は理由のひとつに現場の意識改革を試みるしかないと思ったこともありました。当初スタッフは、ルーティンワークで動いていました。もちろん全員がそうではないんですが、基本的にスタッフの意識は「年に何本かある仕事の一本」なんです。
ルーティンからは面白さも新しさも生まれにくいんです。普段と違うことで、何か引っかかるというか面白さや変革がそこに生まれると思うんです。ですから現場でのルーティンの否定と破壊から始めようと。スタッフにはパラダイムシフトを起こして欲しかったんですねー庵野秀明脚本・総監督
庵野は意識的にスタッフとの間に緊張関係を作り出していたのだ。そしてそのために庵野はつらい状況に置かれることにもなった。
「自業自得の状況なんですが、正直辛くて、あまり良い記憶がない現場でした。それが作品の緊張感になっていれば、幸いです。」
庵野は撮影に入って早い段階から、現場の主導権を樋口から奪おうと画策していた。二人には長年の友情があるのではっきりとは言わないが、赤の他人の私なら遠慮なしに書ける。庵野は早い段階で樋口真嗣と樋口組にまかせていてはシン・ゴジラは駄作になると確信したのだ。そして庵野は自覚的に映画を樋口の手から奪った。これがシン・ゴジラ簒奪劇の真相だ。
こうして映画は樋口組スタッフによるものでありながら、樋口真嗣の影はどこにも存在しない、どこを切っても庵野秀明の刻印が押された作品となってしまった。あれほどまでにスタッフから反発され、嫌悪されても庵野印の作品になってしまうのかと、映画の恐ろしさを痛感するばかりだ。
ジ・アート・オブ・シン・ゴジラは庵野秀明とスタッフとの壮絶なバトルを描いたドキュメントであり、2017年最大の読書体験を私たちにもたらす大事件だ。
この記事は樋口監督に対する理解があって庵野を叩いているわけではなく、アンチ庵野なだけ。
しかもその庵野批判も”みんなに嫌われてんだ”という小学生並みの内容。
心が文化作品どころかただの記述を読める段階にまで成長していないようですね。
絵本から始めろ。
これは正しいと思う。ただ、樋口の映画を庵野が簒奪したという解釈はおかしい。あくまで庵野監督作品であることは樋口も納得していて、ゴジラの監督をやるようにと庵野を説得したのも樋口。だからむしろ樋口としては庵野が出てきてくれて喜んでいたと思う。その証拠に各インタビューで樋口は「完成した映像を見せたら全員黙った」というようなことを書いている。別に樋口が庵野から嫌がらせを受けていたわけではなく、むしろ庵野を現場に呼んだのが樋口であることは間違いないと思う。
このような記事を書くゲスな人間によって文化、エンターテイメントが歪められ貶められていく。
悔しくてたまりません。
庵野監督の才能だけではなく、縁の下の力持ちとして樋口監督が奔走してくれたおかげで出来上がった映画。本当に素晴らしい一本でした。
シン・ゴジラ見てないのかな?
樋口組いかに無能揃いで庵野組がいかに優秀かがわかりますね。
あくまで方法が暴力的であったというだけで結果映画は傑作として完成してるんだから。
ただ、何度も使えない暴力的な方法を使っただけに、ダシに使われた樋口監督とそのクルーは二度と庵野秀明と一緒にやりたがらないだろうし、庵野監督自身も「続編はもういいです」と言ってるのも結局そういうことだろう。
次をもし作るなら全部庵野秀明の責任で人集めて作りなさいよ、と。
そう言う事があったってだけで出来上がってきた庵野が細かく修正しまくった映像で圧倒されて許してると思いますよ
そうじゃないと舞台挨拶でこんな事笑って言えませんよ
そもそも樋口はずっと一緒にやってきてるのに今回でもう二度と一緒にやらないとか2人の関わり知らな過ぎでしょ
このコメントに驚愕。この人がまともに映画をみているように思えないんだがwww
樋口監督も嫌がる庵野監督を引き入れた時点でリスクは感じていたはず。
何より納得できるのは、誰もが認める庵野作品の持つ既存概念を吹き飛ばしてしまう作品力≠ニ、その多くに参加して来た樋口監督の絆ですね。
樋口監督は特撮カットにOKをだす際「カッコいいー!!」と嬉しそうに言います。そして日本で最高にカッコいい映画を撮るクリエイターが庵野秀明だという事も知っている≠です。
だからこそ、庵野監督に火がついた瞬間、シン・ゴジラが無事に完成する為のサポート監督として尽くす決心をしたのだと思います。
シン・ゴジラにおいて…
樋口なくして庵野は無く、庵野なくして傑作の誕生は無かった…
またまた、御二人に奇跡を見せてもらいました。
ありがとう!庵野秀明!ありがとう!樋口真嗣!
Twitter:@ala_smi
実写の人を悪く言いたくはないけど作品へのこだわりがないんだろう。
漫画実写化で叩かれるような作品しか生まれない理由がよく分かった。
それ恐らくコピペで映画すら観てないと思いますよ。
無視した方がいいです。
あああんた素人か・・・・・
俺たちが見たいのは面白い映画だから
でも嫌われた分の対価は十分貰っただろう、クリエイターとして
樋口真嗣も家長に支配される貞淑妻みたいになってるけど
樋口がいなきゃエヴァQのような駄作になったろうな
結果的にいい方向に着陸できてよかったねと、庵野メソッドも運に救われたと。映画のラストみたいに
で、ここで喚いてる映画玄人さんたちは何が気に入らないのか。意味不明理解不能。
怖過ぎ
庵野だったら破や序もあるのに意味が分からん
どっちかとういと庵野がいなかったらリテイクなしで実写進撃の巨人みたいな映像が出来上がって叩かれてたよ
とりあえずあの本を読んでこんなわけのわからん考察するなら、君の脳が病気だから病院いけば?
エヴァ公式サイトの庵野のコメントでは
東宝の方から直接「ゴジラの新作映画の監督をお願いしたい」と、依頼を受けました。
と書いてあるのですが?
天才肌の庵野監督がこだわり続けたおかげでかの名作ができあがったのに、実力不足の現場スタッフの愚痴のオンパレードですか。。
自分もスタッフにだめだしする側の立場ですが、だめだしされて影で愚痴をはくような人間とは仕事したくありませんね。文句言う前に、天才をうならせる仕事をしてみせろと言いたい。
○庵野すげえ! けど辛かったんだね
○樋口やさしい!
○樋口組にはごめんやで
ってくらいでしょ?
コメント欄は何が気に食わないのかサッパリ分からん。
要約『俺たちが見たい面白い映画が出来るんなら、それで庵野が嫌われようがどうでもいいよね』
とは自称映画素人らしい至極浅はかなお言葉ですねw
お前絶対ぼっちだろwwwww