朝井リョウの小説「武道館」は今売り出し中のアイドル「NEXT YOU」のメンバー愛子の心象を追いながらも、実際に作者が書きたいのは、アイドルとそのファンの関係性、アイドル現象もろもろ。つまり「アイドル論」である。
この作品内において描かれるアイドル論やアイドルの抱えている問題の数々は、今現在アイドルムーヴメントの中で語られていることのほとんどを網羅しているといっていい。
たとえばアイドルのダイエット問題であるならば、すぐに思い浮かぶのがモーニング娘。の鈴木香音の劇的なダイエットだろう。そうした現実のアイドル事情が作品にダイレクトに反映されている。作者はそうした現実にあるアイドルの問題をひとつひとつ物語の登場人物たちに語らせていくのである。

鈴木香音ダイエット前後
アイドルの体型、ダイエット問題に対しては作者(の声を借りた登場人物)はこう答える。
10代の女の子の体型が変わるのは自然なことであり、むしろ無理なダイエットをすることにより体力が落ちてしまう。
「いま変なダイエットしてるでしょ?体力がないときって、振りを踊ることよりも体を止めることのほうができなくなるから」
とそれをいさめるのである。
そして今のアイドル問題の中核をなす「CD付握手券」の是非について、作者は登場人物を借りてこう語る。
「今、ほんっとうにCDって売れないの。音楽だけだと、誰も買ってくれないの。すぐネットにあげられちゃったりして、とにかく音楽が、お金を出して手に入れるものって思われてない感じなんだよね」
「・・・そんな状態でさ、うちらがさ、CDに握手券つけてやっと買ってもらったり、同じ人が何枚も同じCDを買ってくれたりすることって、そんなに悪いことなのかな」
CD付握手券なるものは、音楽を無料だと思っている大多数の連中に対しての精一杯の抵抗だというのだ。あなた方がただで手に入れているものは、多くの人の多くの労力を費やして作られたもののはずなのに。CD付握手券は音楽を「ただ」だと思っている私たち消費者へのカウンターなのである。
アイドル論の中には当然「アイドルファン論」も入る。ここではアイドルファンはかなり手厳しく書かれる。
アイドルファンはアイドルを応援するうちに勘違いし始める。
ファンは「やがて、ファン以上の役割を自負し始める」
アイドルという対象に欲望していただけの一方的な関係性をまるで双方向性のように錯覚しはじめ
「応援はしているけれど、自分たちよりもいい生活をすることは許さない」という視線。
「応援はしているけれど、アイドル以外の道で生きていけるほどの商品価値はないことはきちんと知らしめておきたい」という視線。
「アイドルから一歩踏み出そうとした途端、不幸を見たいっていう視線が増える気はする」
ファンの欲望どおりに従わないアイドルに不満をぶつけるいびつなアイドルファン像が語られていくのである。
・・・しかしである。このような作者が考えるアイドル問題とアイドル論を登場人物の口を借りて語らせてしまった結果、登場人物がまるで作者の口寄せ人形にしか感じられなくなり、単に作者の考えを代弁しているだけのまったく血の通わない道具のような存在になってしまっているのである。
これは物語としては致命的な欠陥となる。登場人物の誰一人として血が通ってない物語を読むのは大変な苦痛で、正直に言うとこの作品を途中までどうしようもない駄作だと思いながら読みすすめていたのが偽らざる気持ちです。
しかしある展開からこの小説「武道館」は完全に化けるのです。
その展開とは主人公の愛子が幼馴染の大地とSEXをすることによってです。
ここから驚くほど急激に登場人物に血が通い始めるのです。ありきたりなアイドル論を作者に代わって代弁するだけの存在だった愛子は愛する人とのSEXを経て一気に「血肉化」する。
私はこれを愛子がアイドルとして「欲望の対象」から「欲望の主体」へと転化したことのあらわれだと感じました。
アイドルという虚構存在はファンの一方的な欲望と議論の「対象」=「モノ」でしかなかった。そうした空っぽなモノが、愛する人とのSEXを通じて欲望の対象であることから脱し、欲望の主体的存在へと変貌を遂げることによってアイドル愛子は「人間愛子」として「血肉化」するのです。
小説「武道館」にはアイドル「NEXT YOU」の有名ヲタ、「サムライ」が出てくる。このサムライはハロプロの有名ヲタである「サムライ」氏からきているのだろう。(私も1回だけハロ現場で見かけたことがある)

そのハロヲタ「サムライ」氏はかって℃-ute鈴木愛理の恋人発覚か?というニュースが流れたとき(結局デマだったが)こうtwitterに書いたと記憶している。
「恋人がいることを認めればアイドル史が変わったのにね」と。
当時は意味がわからなかったが、今になってその意味がわかったと思う。
わが愛する℃-uteのメンバー矢島舞美や鈴木愛理が欲望の対象としてだけではなく、欲望の主体としても私たちを認めてほしいということを主張したらどうなるのか?

舞美や愛理が「好きな人ができました。でもアイドル続けます」とファンの前で宣言すること。私はそのことを恐れながらも、どこかで期待している自分も感じるのだ。
それは欲望の対象としてのアイドルではなく、主体的存在としてのアイドル像を認めること。アイドルの「人間宣言」を受容することでもある。
そして朝井リョウは物語の最後に心憎い場面をもってくる。NEXT YOUの愛子と碧(あおい)は大事な武道館公演の直前に恋人が発覚して、武道館公演を待たずにNEXT YOUから脱退する。そこから何年もの月日がたち、NEXT YOUは13期メンバーをお披露目する武道館公演の最中である。その公演に姿を見せファンの喝采を浴びるのは、NEXT YOUを脱退したはずの愛子と碧である。二人はすでに結婚し、子供もいる。二人はNEXT YOUの栄えある第一期生としてファンからリスペクトされながら武道館で歌い踊るのだ。
夫がいて、子供もいる女性がいちアイドルとして武道館の舞台に立ちファンから尊敬のまなざしを受けながら喝采を浴びる光景。朝井はこれこそが理想のアイドルとアイドルファンとの関係であると高らかに宣言するのである。これにはもちろんモーニング娘。OG=ドリームモーニング娘。という存在が意識されているのはいうまでもない。
これは朝井リョウのアイドルに対するひとつの理想的結論であり、またハロヲタに対する問いかけでもある。ハロヲタは期せずしてアイドルとファンの理想的な関係を体現している。つまりハロヲタこそがアイドルファンの先陣を切ってアイドル像を積極的に更新すべき責を負っているのではないかと問うているのだ。
朝井リョウは全ハロヲタに問う。アイドルの「人間宣言」に答えよと。