12位大崎善生「赦す人」
作家団鬼六の生涯を「聖の青春」の大崎善生が描き出す。鬼六の放蕩三昧、欲望むき出しの人生に影響を与えた数々の出来事。まずは父親からの影響。父がことあるごとに口ずさんでいた室町時代の閑吟集「何せうぞ くすんで 一期の夢よ ただ狂え」(この世はどうせ夢なんだからひたすら遊べ)が強く印象に残っていた鬼六。ある日鬼六の経営していた酒場に松竹のスター高橋貞二が来る。高橋は鬼六に遊びに行こうと誘ったが、鬼六は用事があったためにそれを断る。そして高橋は車に乗って出て行ったその直後に交通事故を起こして死亡するのだ。この衝撃から鬼六は教訓を得る。人生なんて一寸先は闇、ならばただ遊べ、ただ狂え。自己の欲望を決して抑圧することなく全開にして生きるのだ。そして鬼六に多大な影響を与えたもう一人の人物、真剣師「小池重明」。平然と人を裏切り続け、金と女のために身を持ち崩しながらも、アマチュア最強の棋士やプロの棋士たちを次から次へ滅多斬りしていく怪物。鬼六は彼らに影響を受け、自分の欲望に忠実に生きることによって激しい人生の浮き沈みを経験することになる。放蕩三昧の人生を送ってきた鬼六も晩年は病におかされ愚痴もでる。「不公平や、もっともっと遊びたかった」。あれだけ狂ったように遊び呆けてきた人が、まだまだ遊び足りないというのである。なんという人間の業の深さよ。
11位アラン・ロブ=グリエ「消しゴム」
あの映画「去年マリエンバートで」の人なので、ハイコンテクスト読解的なやっかいな小説なんかな〜と思っていたらさにあらず。変種の探偵ものとして面白くグイグイ読み進めることができた。死体の存在しない殺人事件を真犯人らしき刑事があてどなく捜査するという不条理コメディが展開されていくのだ。ベケットやカフカをミステリ化したといえばいいか。ロラン・バルトが絶賛したとか、エクリチュールだとか一切考えることなく楽しめる。
10位ハイデッガー「芸術作品の根源」
はい、読んだ人みんな頭が痛くなるドイツのおじさんですよ。哲学のだめな部分が全面的に展開されているように見えるハイデッガー哲学。「学問」というものの定義を「検証可能であるかどうか」であるとするならば、ハイデッガー哲学は学問ではない。ハイデッガーのやってることは検証不可能であり、学問というより一種の「詩」みたいなものだ。だが、この「芸術作品の根源」ではハイデッガーの詩的さがゴッホの「靴」を評する上で最大級の力を発揮しているのである。ゴッホの「靴」を評するハイデッガーの言葉はいままで見たことも、読んだことも、経験したことすらない輝くような豊穣さに満ち溢れている。その言葉の魔力は衝撃的。「存在と時間」を挫折した人でもゴッホの「靴」評だけは読んでほしい。
9位フローベール「感情教育」
フランス二月革命期(1848年〜)当時のフランスの恋愛事情では、結婚と恋愛とはまったく別物であった。「結婚」とはあくまで地位や財産目当てのものであり、恋愛の入る余地はない。真の「恋愛」とは結婚が介在する余地のない「既婚者」とするべきものなのである。だから主人公フレデリック・モローの恋愛対象はすべて人妻。結婚など野暮な男がするものでしかないのだ。そしてモローの恋愛模様に否応なくフランス二月革命という現実が影響を与える。激情に身をまかす「恋愛」と「革命」。理性の抑制が働く「結婚」と「保守」。モローとフランスはこの二つの間を行き来するのだ。モローの恋愛はいつしか財産目当ての打算的なものへと変化し、フランス二月革命の情熱はいつしか安定と平穏の保守反動に飲み込まれていく。モローの情熱から打算への変節は、革命の情熱から保守反動への道(ナポレオン三世誕生)をたどった二月革命以降のフランス社会の動きとぴったり連動するのである。恋愛小説の傑作であり、革命期のフランス人の変節を見事に活写した歴史小説でもある。
8位デニス・ルヘイン「夜に生きる」
「運命の日」の続編だけど、読んでなくてもOK。今作はどストレートなエンターテイメント。ギャングの成り上がりもので、近年のルヘイン作で最も娯楽色が強い。私はルヘインではこれが一番好きです。この作品には魅力的な必殺のパターンがあって、バイオレンス一歩手前のネゴシエーション場面がすばらしいのだ。敵を制する前に@綿密な下準備→A敵とのタフネゴシエーション→B一対一のブラフ合戦→C交渉で敵をノックアウト!という一連のパターンのやりとりが「夜を生きる」の面白さの大半を占めている。またルヘインの格言めいたセリフや文章の切れ味もするどい。たとえば
「犯罪は割に合わない。制度的なレベルでやらないかぎり」
「第一に自分はギャングではなく無法者だ。第二にすばらしい家(ハウス)はあるが、すばらしい居場所(ホーム)はない」
「中庸は人々に考えることを要求する。みんなそれで頭が痛くなる。人々が好きなのは両極端であって細やかな心配りではない」
名言、格言のオンパレード。読みながらいちいちメモしてしまう。
7位フリードリヒ・デュレンマット「失脚/巫女の死」
全体主義、社会主義を描いた作品として、G・オーウェルの諸作品に匹敵する傑作「失脚」。こんな台詞がある。
「苦しむことがあっても飢えることがあっても、迫害されたり拷問されたりしても、自分は平気だった。むしろ誇らしいくらいだった。なぜなら自分は貧しい者たち、搾取されている者たちの味方になる術を心得ていたのだから。正しい側にいることはすばらしい気分だった。けれども勝利を収めた今、党が権力を掌握した今、急に自分は正しい側にはついていないことになってしまった。急に自分は権力者の側につくことになってしまったのだ。」
弱者憑依という最大の武器を使って権力を奪取したものは必然的に正しさを失う。正しさを失った支配者が次に求めるものは何か。それは「威信」である。
G・オーウェルは独裁者は「威信」に支配されるという。「威信」を追求するとき独裁者は自分のふるまいを支配できないというのだ。デニス・ルヘインは「夜に生きる」でこう書く。
「刑務所内で最も凶暴な男たちがもっとも怯えていた。彼らは臆病者と見なされることに怯えていた」
威信を追及するとき、人は「威信」に支配される。威信を失った彼らの力はあっけなく霧散するがゆえに、支配者は必死になって「威信」にすがりつき、結果的に「威信」に支配される。彼らに自由はないのである。
「故障−まだ可能な物語」不条理劇の傑作。すべての短編がすこぶる面白い。おすすめ。
6位コニー・ウィリス「混沌ホテル」
わが最愛の作家コニー・ウィリス傑作短編集。彼女の作品の中でも二大傑作短編といっていい「インサイダー疑惑」と「まれびとこぞりて」の度を越した面白さに狂喜乱舞。両作とも度肝を抜くようなアイデアとユーモア炸裂で楽しませてくれます。インチキ霊能者を追及する主人公がインチキチャネラーの嘘を暴こうとするが、そのチャネラーに乗り移ったのがオカルトやニセ科学を糾弾する実在の人物H.L.メンケンだったことから事態は紛糾する。インチキを見破ろうとする主人公はインチキチャネラーにのりうつったインチキを徹底的に糾弾したH.L.メンケンに葛藤するのだ。アイデアが天才的で巧みな文章で笑わせてくれるのだから言うことなし。楽しい!
5位 アンデシュ・ルースルンド、ベリエ・ヘルストレム「三秒間の死角」
スウェーデン製大脱獄サスペンス。とにかく刑務所内のディテールが圧巻。刑務所内のありとあらゆる細部が事細かに描写されていて凄まじい。なんでこんなにくわしく描けるんだと思ったら、作者の一人が元受刑者だった。上巻は丁寧に複線を張り巡らし、リアリティあふれる細部の描写を積み重ねていって、下巻で驚天動地の大ハッタリをかますという、物語で大嘘をかますときの正しい手法を用いていて爽快。大嘘、はったりをかますときは小さな事実を積み重ねろという詐欺師のいろはを教えられた気分。
4位フィリップ・K・ディック「ユービック」
フィリップ・K・ディックの作品ではこれがダントツで面白い。SF初心者だけど、SFには文学にはない面白さがあるとだんだん掴めてきた。文学は気づかなかったことをふと教えてくれるような、感情を拡張してくれるようなところがあるんだけど、SFは今まで考えもつかなかったこと、思考を拡張してくれるようなところがある。1992年の現代から、1939年の過去へ「物」だけが古くなっていく。人間が過去にタイムスリップするのではない。「物」だけがどんどん過去へと戻っていくのである。油圧式エレベータはいつしか手動式エレベータとなり、最新の自動車は、クラシックカーへと変貌する。いったい何がどうなっているのか。奇想天外なアイデアひとつでこんなにも面白い物語が誕生する。思考が、世界が拡張されていく。
3位コニー・ウィリス「犬は勘定に入れません―あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」
はい、また愛するコニーおばさんですよ。オックスフォード史学科タイムトラベルシリーズ中の最高傑作にして、コニー・ウィリス作品中でもトップクラスの面白さを誇る。コニー・ウィリスは何から読めばいいですかと問われればためらうことなく「航路」(2013年4位)とこの「犬は勘定に入れません」をあげる。よほどの読書家でも本を読んでいて声を上げて笑ったり、吹き出したりという経験はあまりないだろう。だが「犬は〜」では大げさに書いているのではなく、実際に読み進める5ページごとに吹き出したり、笑いをこらえられない場面が頻出する。そう「犬は〜」は私が読んだ本のなかでも屈指にして史上最高のコメディ小説なのである。もちろんウィリスならではの複雑な伏線をちりばめそれを回収していくプロットの巧みさ、一寸先の展開さえも読ませないストーリーも至高。これほど読んでいて幸福感を得られる小説はないと断言する。・・・なんか書いているうちにもう一回読みたくなってきた。
2位イアン・マキューアン「贖罪」
この文学的たくらみに満ちた小説には驚きを隠せない。精緻な文章表現と波乱のストーリー展開で純文学としてだけではなくエンターテイメントとしても一級。上巻では少女の妄想と誤解により無実の罪に貶められていく男の悲喜劇をこれ以上ない精緻さで描き、下巻では凄絶な戦争描写と波乱万丈の展開にワクワクドキドキしっぱなし。これだけでもこの作品は極上のエンターテイメントとして成功しただろう。・・・だが、これらのことすべてはマキューアンの「罠」にしかすぎなかった・・・。マキューアンはおもわず頭の中が真っ白になるような文学的トリックを仕掛けることによってすべてをちゃぶ台返しし、読者をあ然呆然とさせるのだ。これは文学手法的には「信用できない語り手」とよばれるもの。自分の妄想によって生まれた罪をさらに妄想で塗りつぶそうというこころみ。作品内作者のブライオニーはそれを「弱さやごまかしではなく、最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗」(下巻p306)というが、読者はそうは見ない。ブライオニーの行為は卑劣極まりない自己欺瞞にしかすぎないと読者(わたし)には見える。だがこうした「作品内作者」の卑劣な自己欺瞞を、「作品外作者」のマキューアンがさらに塗りつぶしていくのである。ブライオニーの「妄想」はマキューアンによって崇高なる「創作」へと塗り替えられ、ブライオニーの欺瞞的な創作は、マキューアンによって創作=「忘却と絶望への抵抗」へと変わる。作品内テーマを作品外の作者であるマキューアンが強引なまでに塗り替えていくのである。これほど高度な文学的たくらみに満ちた小説は空前絶後であるといえる。私が書いたことの意味がわからないとか関係ない、読め!
1位アレクシス・ド・トクヴィル「フランス二月革命の日々―トクヴィル回想録」
2014年のベスト1はトクヴィル!これに関してはかなり長文になるので後日書きます。現代の日本や世界の状況と似通いすぎていて今後の歴史的な見通しにも参考になるんじゃないかな。
トクヴィル「フランス二月革命の日々」の現代性を書きました。
2014年ベストBOOKでしたが、これ以外にももっと面白い作品はいっぱいありました。ミシェル・ウエルベックの「地図と領土」とか、ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」、ジョージ・オーウェル「パリ・ロンドン放浪記」、ライプニッツも面白かった。でもどれも書き始めると長文になるのでベスト12で勘弁してくれ。
1位アレクシス・ド・トクヴィル「フランス二月革命の日々―トクヴィル回想録」
2位イアン・マキューアン「贖罪」
3位コニー・ウィリス「犬は勘定に入れません―あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」
4位フィリップ・K・ディック「ユービック」
5位 アンデシュ・ルースルンド、ベリエ・ヘルストレム「三秒間の死角」
6位コニー・ウィリス「混沌ホテル」
7位フリードリヒ・デュレンマット「失脚/巫女の死」
8位デニス・ルヘイン「夜に生きる」
9位フローベール「感情教育」
10位ハイデッガー「芸術作品の根源」
11位アラン・ロブ=グリエ「消しゴム」
12位大崎善生「赦す人」