その1「自由意志と決定論」
その2「量子力学」
シュレーディンガーの猫のパラドックスのもうひとつの解決法がライプニッツの可能世界論だ。可能世界論では現実化した世界だけではなく、現実化しなかった無数の可能世界がモナドの中に存在する。箱の中の猫は50%生きていて50%死んでいるような状態で存在しているのではなく、猫が死んだ状態の世界と猫が生きている状態の世界とに分岐するのである。シュレーディンガーの猫のパラドックスはモナドの無数に存在する可能世界が実はすべて現実化しているのだと考えればよいのだ。
ヒュー・エヴェレット三世(多世界解釈を最初にとなえた物理学者)は猫が生きていると同時に死んでいるという状態がふたつの別個の宇宙でなら可能かもしれないと論じた。−ミチオ・カク「パラレルワールド」
生きた猫が観測された世界と死んだ猫が観測された世界の二つに分岐するのである。世界は決してひとつではない。世界には無数の可能世界があり、そして量子力学の世界ではその無数の可能世界はすべて現実化する。量子論的には世界はどこまでもはてしなく分岐し続ける。そしてそのすべての分岐した可能世界は我々には見えないだけで我々と共存している。これが量子力学における「多世界論」である。
なんて奇怪な説だと思うかもしれない。しかしこの多世界論ならシュレーディンガーの猫のパラドックスだけではなく、タイムマシンのパラドックスまで一気に解決できるのである。タイムトラベルのパラドックスで有名なのは祖父殺しのパラドックスだろう。タイムマシンに乗って(ちなみに物理的な条件が厳しすぎるだけで理論上だけなら過去へのタイムトラベルは可能である。)過去にタイムトラベルし、子供のころの自分の祖父を殺したとしよう。・・・でははたして祖父を殺したわたしはいったい誰から生まれたのだろうか?これが祖父殺しのタイムパラドックス。
しかしこれも多世界論ならパラドックスにはならない。過去にタイムトラベルした時点で自分の元いた世界とはちがう並行世界に来た事になるからだ。自分の殺した祖父は自分の元いた世界の祖父ではなく、並行した別の世界の祖父であり、だから祖父を殺しても自分の存在にパラドックスは起きない。こうして多世界論は量子力学とタイムトラベルのパラドックスを一気に解決することができる。
それでもそんなことは信じられないという人が多いだろう。だが、
物理学者のプライス・デウィットは決定をおこなうたびに自分が複数の別個のコピーに「分裂する」とはどうしても感じられない、と述べた。ヒュー・エヴェレットの返事はガリレオと異端審問所のあいだの論争を踏まえたものだった。「あなたは地球が動いていると感じますか?」と彼はたずねた。彼が言いたかったのは、人が地球の動きを感じないのはなぜかをガリレオの慣性の法則の理論が説明しているのと同じだ、ということだった。デウィットは敗北を認めた。ーディヴィッド・ドイッチュ「世界の究極理論は存在するか」
人は地球が超高速(時速1700km)で動いているなどとは実感できない。しかしそれでも地球は超高速で回転している。それを人が感じないのは慣性の法則があるからだ。それと同じようにわたしたちは世界が決断ごとに分裂するなどとは感じられない。しかし人の感覚や実感よりもいつだって科学理論のほうが正しいのである。多世界論はたとえ奇怪だったり、不可思議に思えてもパラドックスを解決する以上存在するものとみなさなければならない。多世界理論はSFではない。現実なのである。
エヴァンゲリオンファンならばこの多世界論はすんなり受けとめてもらえるだろう。TV版、旧劇場版、新劇場版のストーリーの違いは、碇シンジやネルフの人々のもつ無数の可能世界が現実化した多世界=並行世界をそれぞれ映し出したものなのである。
しかしそうなるとシン・エヴァンゲリオン劇場版:‖もまた旧劇場版とは違う欝展開が待ち受けているのではないかと戦々恐々としているファンも多いと思う。だがしかし、これも多世界理論の面白いところで、それぞれ無数に枝分かれしていく可能世界は、それぞれ別個の世界として無関係に存在するのではなく、分岐した無数の多世界はそれぞれ量子干渉を起こしている。TV版の最終回のように学園ラブコメのようなエヴァ世界も並行世界には存在するし、人類が滅亡してひとつに解け合った並行世界も存在する。それぞれの世界はお互いに見ることも、触ることもできないが、並行世界同士はお互いに量子干渉を起こし、影響しあっているのだ。
そうした多世界間の干渉を利用するのが「量子コンピュータ」である。量子コンピュータの計算は並行世界にまたがる量子干渉を通じてなされる。そうすることによってスーパーコンピュータでも数千年かかるような計算でも数十秒でできるようになるといわれている。
この量子コンピュータの仕組みは何も計算だけに限られるわけではない。こうした多世界にまたがる量子干渉は人間の知識をも干渉しあう。旧約聖書の昔から人間の道徳律の基礎である「殺すな、盗むな、嘘をつくな」という命令や、17世紀ヨーロッパで生まれた「自然権」「人権」という概念もたまたま生まれたわけではない。無数にある多世界にまたがって人々の知識の干渉が起こり、その干渉の結果、この道徳律が多くの多世界間で採用されたと推測できるのだ。
こうした多世界間にまたがる量子干渉により無数に存在するエヴァの並行世界でも相互に干渉が起こり倫理的、美的、人間的価値に基づいた「より良い」選択と判断をした世界が無数の多世界で多数を占めることになる。多世界間で知識の多数決みたいなものが起きていて、より良い知識が勝利を収めるとその知識が多世界間にまたがり広まっていくのだ。そこでは誰も納得できないような理不尽な世界は多世界間の量子干渉により、現実度が低くなる。
・・・これは何を意味するのか。映画エヴァンゲリオンQのテーマが自由意志と決定論だったのはすでに「エヴァンゲリオンQと自由意志問題」で書いた。エヴァQでは自由意志は決定論的世界の前にもろくも崩れ去る。庵野秀明はさらにシン・エヴァでも同じようなテーマを繰り返すだろうか?わたしはそれはないと予測する。多世界理論による量子干渉の理論が正しければ、次のシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖は決定論に対し自由意志が勝利する展開となるはずだ。そして多世界理論の量子干渉によりシン・エヴァは誰もが納得するような倫理的かつ美学的にもすぐれた価値をともなった大団円を迎えるに違いない。つまり・・・・
ハッピーエンドとなる可能性が高い!!!
ライプニッツ可能世界論の量子力学的解釈による多世界理論はこう「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖」を予測する。
・・・・と思ったら9月5日放映のTV版「エヴァンゲリオンQ」の最後に出てきたこれ

「EVANGELION:3.0+1.0」!?いろいろ推測してみよう。
まずEVANGELIONのNの字が二重に重なっていることからもこれは多世界理論の並行世界のことを表しているのは間違いない。+1.0は・・・これエヴァQ=3.0、エヴァ序=1.0という意味ならループするという意味になるが、多世界理論と円環構造世界のループとは理論的に相容れないので、ちょっとそれは考えにくい。おそらくこれは、次回作はエヴァQの続きと一応の完結を示した後で、さらにあらたな並行世界の物語「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖1.0」が始まるのだとみる。そしてこれからはシンジやアスカやレイのいた世界とは違う並行世界の登場人物たちの物語「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖1.0」→「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖2.0」→「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖3.0」と続いていくのではないだろうか。
・・・いやらしい話、カラー(庵野秀明の会社)にとってエヴァンゲリオンはドル箱シリーズであり、会社の経営にとって絶対必要なコンテンツだ。ビジネス的な要請上、決して庵野はエヴァから離れられないのだ。だが、わたしとしては庵野にオリジナル長編アニメ作品を撮って欲しいと思っているので「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖」は他人に任せて、庵野自身はオリジナル作品を製作して欲しい。
ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測はこれにて完結です。
【関連する記事】
- ポリコレと検閲
- コスモポリタンへの違和感
- リベラリズムとグローバリズム最大の批判者カール・シュミット「政治的なものの概念」..
- 批評における作者の復権。ノエル・キャロル「批評について」
- マイケル・ウォルツァー「正しい戦争と不正な戦争」を読んでみた。
- トクヴィル「フランス二月革命の日々」の現代性・ボナパルティズムとは何か?
- ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その2・量..
- ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その1
- イエスは神か人か・ミシェル・セルヴェ「三位一体論の誤謬」について
- リベラル・デモクラシーは差別を助長するか。レオ・シュトラウス「スピノザの宗教批判..
詳しい説明は、Amazon(KDP)による電子書籍『「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)』シリーズの《基礎論》(ASIN:B019FR2XBC)、《詳細論》(ASIN:B019QNGL4K)、《真如論》(ASIN:B01EGRQXC6)、《独在論》(ASIN:B01EJ2URXO)の中にあります。
まず、特定の1つの状態として全知全能の「神」を定義しようとすると、解無しです。「神」を「○○○である」と定義すると、「神」は「○○○でない」を放棄し、全知全能でなくなってしまうからです。「神」が全知全能であるためには、「○○○である」と「○○○でない」の両方を満たさねばなりませんが、これだと矛盾が生じてしまい、「神」とは何かを議論する事自体が無意味になってしまいます。
これを超越する方法が1つ有ります。量子力学の多世界解釈です。「神」は、この世界で「○○○である」を、別の世界で「○○○でない」を実現し、両者は線形の重ね合わせであって互いに相互作用しないので、個々の世界に矛盾は無い、と考えれば良いのです。つまり「神」を、様々な状態の集合として定義することになります。
「全知全能の「神」は、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験しているか?」と尋ねてみます。もちろんYESです。NOだったら全知全能とは言えません。つまり、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要条件です。では、これ以外にも条件が必要でしょうか? それは不要です。仮にこれ以外に「○○○であること」が必要だと仮定してみても、結局これは、「「○○○である」と認識している心を体験すること」になるからです。従って、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要十分条件です。そして全知全能の「神」の定義は、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」になります。
M0が完全な無意識状態の「空」であり、M1、M2、M3、…が特定の有意識状態「色」であり、M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕。大乗仏教でいう「真如」の超越状態がM0、束縛状態がM1、M2、M3、…。西田幾多郎のいう「絶対無」がM0、「絶対有」がM1、M2、M3、…、「絶対矛盾的自己同一」がM0=M1+M2+M3+…です。
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%A5%9E%E3%80%8D%E3%82%92%E5%AE%8C%E5%85%A8%E3%81%AB%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-SB%E9%87%8F%E5%AD%90%E7%A5%9E%E5%AD%A6-%E3%80%8A%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E8%AB%96%E3%80%8B-%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E7%B4%94%E9%9B%84-ebook/dp/B019FR2XBC?ie=UTF8&dpID=51HD4AQtVjL&dpSrc=sims&preST=_AC_UL160_SR100%2C160_&refRID=1AE797ZBXPK1TGRXQ6WZ&ref_=pd_sim_sbs_351_1
Amazon(KDP)による電子書籍『「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)』の《詳細論》(ASIN:B019QNGL4K)からの引用です。
ライプニッツのモナドロジーに則り、実在するのは個々の心(モナド)だけであり、客観的物質世界なるものは実在しないと考えます。さらに量子力学の多世界解釈を取り、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…が実在していると考え、その集合{M}を「神」と定義します。人間の心は要素の1つです。「神」は、あらゆる心の状態を体験しているという意味で「全知全能」です。個々の心が持てる情報をNビットとし、個々のビットが独立して「0」、「1」、「?」(=「0」+「1」)の3つを取り得るとすると、全部で3^N種類の心になります(N→∞)。
2つの心MiとMjが、シュレディンガーの猫の「生きた状態を知覚した心」と「死んだ状態を知覚した心」のように矛盾する情報を持つとき、<Mi|Mi>=<Mj|Mj>=1(自分にとって自分の存在確率は1)ですが、<Mi|Mj>=<Mj|Mi>=0(自分にとって相手の存在確率は0)です。つまり個々の心Mi(i=0、1、2、3、…)は、「「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」」、「「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」」のダブル・トートロジーを満たしています。これを「半存在」と呼びます。こう考えると、「なぜ存在するのか?」、「なぜ存在しないのか?」という謎自体が消滅します。
1人の人間である自分の心M1は、「なぜ自分の心M1は、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」、「なぜ自分の心は、他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」、「なぜ自分が住む世界の物理法則は、他の物理法則ではなくこの物理法則なのか?」、…等の謎を感じますが、「神」の視点に立てば、すべての謎が消滅します。「神」は全知全能であり、あらゆる○○○に対し、「○○○である」と認識する心と「○○○でない」と認識する心の両方を作っています。そして、「「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」と認識する」、「「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」と認識する」というダブル・トートロジーが成立しているだけです。「神」に謎は何も有りません。
さらに、自分が体験しているのは1人の人間の心M1だけだと考えると、M1に対し「もっとこうありたかったのに…」という不満が生じます。実は自分こそが「神」であり、本当は存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだと悟れば、何一つ不満も無くなります。これが究極の悟りです。「神」は完全な「無」M0であると同時に、すべての「有」M1、M2、M3、…でもあります。これがM0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕。「神」もまた「半存在」であり、「存在する」と「存在しない」の両方を実現しています。一方だけ実現して他方を放棄すると、全知全能でなくなってしまいますから。
長文のコメント、失礼いたしました。
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%A5%9E%E3%80%8D%E3%82%92%E5%AE%8C%E5%85%A8%E3%81%AB%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F-SB%E9%87%8F%E5%AD%90%E7%A5%9E%E5%AD%A6-%E3%80%8A%E8%A9%B3%E7%B4%B0%E8%AB%96%E3%80%8B-%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E7%B4%94%E9%9B%84-ebook/dp/B019QNGL4K?ie=UTF8&*Version*=1&*entries*=0