2014年08月08日

神木隆之介愛あるいはすべての映画はアイドル映画である「るろうに剣心京都大火編」をめぐって

神木隆之介愛あるいはすべての映画はアイドル映画である「るろうに剣心京都大火編」をめぐって

真の純粋な愛とは、愛される側のものの完全性と幸福とを知ることの内に喜びを味わう状態のこと。ーライプニッツ「理性に基づく自然と恩寵の原理」


正直前作にはあまり感心しなかった私が続編である「るろうに剣心京都大火編」を観に行った理由はひとつしかない。

“大天使”神木隆之介サマを見るためである。

今私にとって最も重要なアイドルは℃-uteでもなければ、Juice=Juiceでもない。・・・神木隆之介である。

男として考えてみれば自明のことなのだが、女性アイドルは「アイドル」としては弱い。なぜならそこには応援したいという気持ちの奥底のどこかにゲスい「性欲」みたいなものが蠢いていることが否めないからだ。

ようするに男が女性アイドルをいちファンとして無心かつ純粋に応援することは不可能で、そこにはかならずいわゆる「ガチ恋」系という罠が待ち構えている。

いくら女性アイドルを応援しても、自分はただの大勢いるファンの“点”にしかすぎず、当然のごとく付き合えるわけでもなく、ただむなしくお金と時間を費やしてしまい自分の貴重な実人生を削り取られていくだけだ。

私は悟ったのだ。ダメだ、いい年したおっさんが女性アイドルに夢中になっていては!と。

そうした葛藤に苦しんでいるさなか、私のポッカリ空いた心の隙間を埋めるように飛び込んできたのが瀬田宗次郎役の神木キュンの写真である。

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「カ、カ、カワイイ!!!!」

この時私の運命は定まったといっていい。ここに究極のアイドルがいると。女性アイドルに対する時のようにガチ恋に苦しまなくてもすむ究極の形而上的アイドルがここにいるではないかと。

そしてここにひとりの#神木クラスタが誕生したのである。

もちろん神木宗次郎を見る前にも、若くして映画界で確固たる地位を築いている神木キュンのことは認めていました。彼の幼いころの代表作「妖怪大戦争」(2005)も大好きだし、ジブリ作品での声優仕事も素晴らしい。近年になっての代表作「桐島、部活やめるってよ」(2012)はいうまでもなく傑作でした。

でもその当時の私はバカでしたね。当時の自分の偶像愛の対象はすべて女性でした。しかしよく考えればそうした女性への偶像愛は一種の性欲の変形したものでしかない。不純である、不潔なのである。

真の偶像愛−アイドル愛とは純粋かつ無償のものでなければならない。

つまり「これだけ愛しているんだから、お返しに何かクレ」という態度はドルヲタとして唾棄すべきものでしかないのである。

アイドルへの愛は見返りを求めない無償の愛、霊的な愛、形而上的な愛でなければならない。

そこがゆえに男にとっての女性アイドルは「アイドルとして弱い」のだ。もっとはっきりいってしまえば、男にとって女性アイドルは欠陥品なのである。(いや、女性アイドルにとって男性ファン自体が欠陥品なのだろう)

そこで神木キュンである。私は彼に見返りを求めない。私は彼にとって何者でなくともかまわない。・・・でも好きという気持ちに偽りはない。

私は恋と苦しみは表裏一体だと思っていた。だが違っていた。人を好きになっても全然苦しくない。これこそが無償の愛、霊的な愛、形而上的な愛−究極のアイドルの嗜み方なのだと。

ここで「アイドル」とは何かという定義をせねばなるまい。
「アイドルとは空っぽの器である」
これが私のアイドルの定義である。

アイドルとは本質をもたない、意味のない、形式だけの存在。つまり空っぽの器である。(アイドル形式論についてはこちらに書きました

その空の器を私たちファンが思い思いに好きな色に染めたり、自分の想いで満たしていくものなのだ。そこにあるのは本質もなく、意味もない、未完成なままの存在を私たちファンの愛によって満たしていく能動的な営みである。

むろん私たちがアイドルという存在を愛したところでアイドルが個人個人に対し微笑み返してくれたり、愛してくれたりするわけではない。アイドルを愛するという営みはそのような見返りを求めるものではなく、アイドルという本質もなければ意味もない空の器をファンの能動的な参画によって、つまり共同幻想によって、本質のある、意味のつまった現実存在に育て上げるという実に観念的かつ形而上的な働きのダイナミズムに魅了されてのことに他ならない。私たちはただ完成されたものを無理やり口に押し込まれるようなことは好まない。未完成なものを育て上げるという共同参画に無上の喜びを感じるのである。

そしてこうした見方は「アイドル映画」にも通じる。アイドル映画もアイドルと同じように空っぽの器である。私たちアイドルを愛するファンが「映画」の器を埋めなくてはならないのだ。そしてここに「るろうに剣心」というまぎれもないアイドル映画をアイドルファン、神木隆之介ファンである私がどう埋めるかという話になる。

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映画冒頭、シルエットだけの剣客が官憲の犬どもをバッタバッタと斬り伏せていく。顔は影になっていて映らないんだけど、シルエットだけでわかる−大天使神木キュンであると・・・。そうか神木キュンは腐った政府に反逆する反体制のヒーローなのか。そしてしばらく官憲の犬どもの話が続いて、ついに大天使神木キュンのご尊顔が拝める時がやってきます。腐った政府の巨悪大久保利通を暗殺したのは神木宗次郎だったのだ!驚くべき歴史の真実が明かされる。大久保を暗殺する時の走りがまた抜群で、袴をはいてあそこまで早く動ける人を見たのははじめてです。さすが天使!

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神木宗次郎が仕える志々雄は非常にまじめな革命家で悪逆非道のかぎりをつくす明治政府を倒そうと一生懸命頑張っているだけにいつもピリピリした緊張感を漂わせています。でもそうした志々雄一派のなかでいつも笑みを絶やさずニコニコ笑って場をなごますのが神木キュンの役どころでもあるのです。いわば革命家たちの癒しというやつです。

革命に立ち上がった理想に燃える若者たちをくされ政府の犬どもが蹂躙する映画のなかで宗次郎の存在だけがホッと一息つける箇所でもあります。いわば敗北という悲壮感を背負った革命派の中でただひとりそうした悲壮な運命を打ち破ることのできる可能性としての存在が神木宗次郎なのです。

圧巻は新月村での宗次郎と官憲の犬との一騎打ちだ。このシーンはYOUTUBEでも少し見られますが作品中の白眉といえるすごい迫力です。神木キュンの運動神経に瞠目します。この新月村で宗次郎は見事な剣技で政府から送り込まれた刺客を撃退しますが、情けをかけて命を助けます。心優しき志々雄一派。しかしこの官憲の犬は宗次郎に命を助けられてもそれに感謝するでもなく、恩に着るわけでもなく、さらに革命派をつぶそうと躍起になるのだ。けしからん。人としての情がないのかこの十字傷のついた外道は。


4分30秒頃神木宗次郎と刺客との対決。

神木宗次郎の魅力は強いとかカワイイだけではない。官憲と戦った時に使った刀がボロボロに刃こぼれした時、その刀が名刀「虎徹」だと知らないアホっぷりを見せている。虎徹とは当時誰もが知る名刀中の名刀であり新撰組の近藤勇が所有したことでも知られている(近藤勇が持っていたのは偽物だったようですが、当時から偽物が出回るくらいに有名だったということです)。この宗次郎の見せるアホっぷりがなぜいいのか説明しよう。アイドルファンというのはことのほかアホの子が大好物という法則がある。

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神木宗次郎のキャラ設定
@美少年
Aめちゃ強い
Bアホ
この「アホ」がアイドルにとってどれほど重要な要素か説明しよう。美しさと強さというのはいわば完成品であり、その人の本質であり、意味なわけです。ここにはアイドルファンが埋めるべき空白はありません。しかしこの「アホ」という要素が入ることよって、その人自身にギャップが生まれる。そしてそのギャップをドルヲタはことのほか愛でるのです。完璧というしかない神木宗次郎のキャラ設定、いや、完璧でないがゆえに秀逸なキャラクターなのです。

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・・・・とこのようにドルヲタは映画を見るのです。決してふざけて書いたわけではなく、気が違ってるわけでもありません。

アイドルファンは自分の好きなアイドルを見るためだけに映画館に足を運びます。アイドル存在はファンがアイドル現象に能動的に参画することによって現実存在として具象化します。アイドル映画も同じことです。アイドル映画もアイドルファンが能動的に参画し、積極的に映画の足りない部分を肉付けすることによって映画として始めて完成するのです。

映画は映画製作者の意図や計算を正確に読み取って見るべき受動的なものではありません。町山智浩的映画の見方(作者=作品という見方、いわゆる表出主義)などアイドルファンにとってみれば論外でしかないのです。製作者の意図や計算など作品全体から見れば微々たるものでしかない。作品は(またアイドルも)作者の意図をはるかに超えて観客の欲望や社会状況をも飲み込み雪だるま式に大きくなるものなのです。つまり決めゼリフ的に言わせてもらえば

シネフィルは引っ込んでろ、映画はドルヲタが完成させる。

「この世の中で、愛の対象がなんであろうと、そんなことはたいした問題ではないと思いますわ。しかし、何かは愛さなければならないでしょう」−マンスフィールド短編集
posted by シンジ at 20:44| Comment(2) | TrackBack(0) | アイドル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。
古代ギリシャではホモこそエロスを含んだアイドル(イデア)だと思います。
女性アイドルと付き合いたいと思う人は、対象の性別を変えても、やはり付き合いたくなってしまうのではないでしょうか?

愛理ちゃんが金澤様とデートしたときの女ヲタの騒動を見てると同性アイドルだからと言って「純粋」なアイドルとも思えません
Posted by いであ@team℃-ute at 2014年08月25日 14:10
豊田利晃や三池崇史、塚本晋也にとっては、松田龍平がアイドルなんだろうなぁと初めて腑に落ちました
Posted by サオリ at 2015年06月22日 10:08
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