今頃ドラマ「ウォーキング・デッド」を見始めて、やっぱりゾンビはのろのろ動くほうがいいな〜とつくづく思った。ダニー・ボイルの「28日後」(2002)からはじまった走るゾンビ、すばやく動くゾンビはザック・スナイダーの「ドーン・オブ・ザ・デッド」と共に新しいゾンビ映画のトレンドを作り出した。
しかし旧来のゾンビファンとしては、ゾンビがすさまじい勢いで走って追いかけてくるというムーブメントには正直疑問を感じていた。そこでドラマ「ウォーキング・デッド」を見て、やっぱフランク・ダラボンわかってるな〜と。
なんでゾンビがすばやく動くなどという非ゾンビ的ムーブメントが起きたかというと、端的に言って映画会社のビジネス的要請だろう。ゾンビがすばやく動けば映画にスピード感とサスペンス感が増す。映画のテンポを悪くする(!)人間ドラマをカットできるし、ゾンビがすばやく動けるだけでたいした演出の技量がなくても手っ取り早く興奮度が増すというビジネス的要請。映画の上映時間をできるだけ短くし、興奮度だけが増す興行的要請としてのゾンビのスピード化。
しかし、ゾンビスピード化はサスペンスとスピード感アップのために大事なことを忘れてしまった。ゾンビ映画の肝とは、ゾンビが「速い!怖い!」ではない。ゾンビが地上を埋め尽くす異常な状況下で最も恐ろしいのはゾンビではなく、人間だ。というゾンビ映画の創始者ジョージ・A・ロメロの思想がないがしろにされているのである。
ゾンビものの基本原則とは「真のモンスターはゾンビではなく人間である」ということに他ならない。
その基本原則を忘れず忠実に描いたのが「ウォーキング・デッド」である。大変好ましい作品といえよう。基本原則を忘れてスピードアップとサスペンス醸成のために最も重要なテーマを忘れたゾンビ物など見るに値しない。
ゾンビスピード化という世界的トレンドの中、それに呼応して描かれたのが花沢健吾「アイアムアヒーロー」という漫画だろう。しかし花沢はスピード化に呼応するとともに、まったく新しい思想をゾンビものに持ち込んだ。それは人類の進化にともなう「移行期的危機」としてのゾンビという思想である。
人類の歴史的変化としての「移行期的危機」という考え方はエマニュエル・トッドの「文明の接近」から得た。トッドは今起きているイスラム原理主義者のテロや中東の民主化を「近代化」という同じ歴史の流れとして捉えている。これら中東の混乱はすべて近代化へとつながる歴史的必然であるというのだ。トッドの分析を簡明に解説するとこうだ。
@教育による女性の識字率上昇
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A女性の識字率が高まると女性の社会進出が増加する。
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B女性の社会進出が増加すると出生率が下がる。
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C女性の社会進出と出生率低下によって男性権威が失墜し男性中心主義社会が崩壊する。
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D社会混乱
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E近代化へ
この識字率上昇→出生率低下→社会混乱というコンボはフランス革命やロシア革命でも証明されている。
今、中東で起こっていることは、かってフランスやロシアや日本で起きたことが遅れてやってきただけなのだ。それまでの伝統社会が変化を迫られ、近代社会に移行するとき、社会は必ず流血と混乱の局面に入ることをトッドは見事に論証している。
アラブ世界によるイスラム原理主義の動きは決して歴史の退行や逆行を意味するのではなく、近代化の生みの苦しみであり、近代化へといたる避けては通れない「移行期イデオロギー」の発露なのである。このテロや騒乱を経て旧来の伝統社会は近代社会へと移行するのである。
「アイアムアヒーロー」もまったく同じである。旧来の世界から、新世界へと移行するその移行期的危機をゾンビを通して描いているのだ。それを「アイアムアヒーロー」は旧人類から新人類へのメタモルフォーゼとして描く。新人類とは女子高生の比呂美であり、来栖(クルス)のことである。彼らはゾンビウィルスに感染したにもかかわらず発症せず、人間を超越した能力を手に入れる(人間をはるかに超える膂力、言葉を通さないコミュニケーション能力など)。旧人類から新人類への「移行期イデオロギー」としてのゾンビ「ZQN(ゾキュン)」なのだ。
「アイアムアヒーロー」をトッド風に(マルサス風か)分析してみよう。
@人口の爆発的増加
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A食料や資源の不足
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B飢餓や資源争奪戦争
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C人工的あるいは自然的、どちらかの介入によるゾンビウィルスの発生。
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D社会混乱
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E人口は抑制され新人類の誕生へ
Cの人工的介入はどこかの国が作成したウィルスが外に流出した場合。自然的介入はいわゆる自然の摂理=神の介入のこと。
ゾンビは増えすぎた人口を抑制するためと、人口が激減した後でも生きていける超越した能力を持つ新人類を生誕させるための移行期的危機といえるのだ。
Eに関しては楽観的な見方が人口の抑制と新人類の誕生。悲観的な見方だと人類は絶滅するか、生き残っても新人類の奴隷となる。
人類が伝統的世界から近代的世界へと移行するとき多大な犠牲を出すことは歴史が証明している。「アイアム・ア・ヒーロー」が描くのは近代的世界というシステムから人類のメタモルフォーゼによってまったく別の世界へと姿を変える移行期的危機である。「アイアム・ア・ヒーロー」はゾンビを人類の移行期的危機=移行期イデオロギーとしてとらえた事により新しい息吹をゾンビものに与えたのだ。