2013年06月02日

アイドルコンサート幸福論・℃-uteコンサートにおける幸福論考察

アイドルコンサート幸福論・℃-uteコンサートにおける幸福論考察

2013年5月26日日曜日名古屋。日本特殊陶業市民会館フォレストホール℃-uteコンサートツアートレジャーボックス昼、夜の二回公演に行ってきました。・・・といってもこのブログをコンサート感想日誌にするつもりはありません。あくまで私なりの「幸福」に関する論考になります。

私にとって日常生活はただつらく、苦痛と退屈とのせめぎあいの中にある。そんな私にとって唯一の“ハレ”の日がLiveやコンサートに足を運ぶことだ。私が℃-ute(キュート)というアイドルグループを好きになったのは偶然にすぎない。ある日Tumblrを眺めているとものすごい美女の写真が流れてきてこれ誰だ?とびっくりしたのがきっかけだ。彼女の名前は「矢島舞美」。さっそく「矢島舞美」で検索するとYouTubeのURLが出たのでそれをクリックして出てきたのがー℃-ute「君は自転車 私は電車で帰宅」矢島舞美ソロバージョンのMVだった。

私は彼女に夢中になり、動画を漁り、CDを買うようになり、コンサートに足を運ぶようになった。それ以来℃-uteのコンサートに行くことが、苦痛に満ちた生活から抜け出せる唯一の“ハレ”の日となったのだ。

@幸福の第一段階「逃避」
私がコンサートに足を運ぶのは「生活」という苦痛からの逃避に他ならない。つらい現実を忘れさせてくれる避難場所としてのアイドル。人にとって苦痛を避けること、苦痛のない生活は生きていく上での必須条件だろう。だが苦痛を避けることイコール幸福といえるだろうか。ほしいものがあったとき、それを簡単に手に入れるのと苦労して手に入れるのとでは喜びが違うだろう。苦痛を避けることが幸福につながるとは限らないのである。

A幸福の第二段階「興奮」
℃-uteトレジャーボックスツアーの白眉はCG映像を駆使した活劇からツアータイトルにもなっている曲「ザ☆トレジャーボックス」へとなだれ込む展開だろう。この秀逸とも言える演出に興奮度はMAXになり、脳内麻薬物質ドーパミンが全身を駆け巡る。いままで人生で経験したことのない興奮が持続し続けるのである。・・・これが幸福なのだろうか?

「退屈の反対は快楽ではなく興奮である」とB・ラッセルがいうように退屈という苦痛から逃れるためには興奮が必要だとするならば、人間は常に興奮していれば幸福なのであろうか。これに対しロバート・ノージックは最大級の興奮や快楽を経験できるような「経験機械」に私たちをつなげば、つながれた私たちが寝たきりだったり、意識がないような状態でも私たちは幸せであるということになってしまうという(映画「マトリックス」を思い出してほしい)。興奮は決して幸福の条件ではないのである。

B幸福の第三段階「満足」
普段は鬱屈した不満だらけの日常を送る私も℃-uteのコンサートにだけは心からの満足感をおぼえる。この上なく満ち足りた気分にひたれるのだ。・・・これか、この感じが幸せなのか?

だが、J.S.ミルは「幸福」と「満足」とを混同してはならないという。ミルの有名な言葉に「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい」というのがある。例えば囚人の幸福というものを考えてみよう。人間としての尊厳もなく、自由を奪われ、常に抑圧された状態にある囚人ですら幸せを感じたり、満足ともいえるような感情を抱くことがある。ではそんな囚人は幸せといえるだろうか。囚人の満足とはあまりにもつらく厳しい環境から自分の精神を守るためにほんの些細なことでも喜びや満足を感じとれるようにする自己防衛にすぎないだろう。ゲーテは「最悪の日に生まれたものには悪い日も快いであろう」という。満足は幸福とは違う。幸福はより高次のものなのだ。

C幸福の最終段階「アウラ」
私はフォレストホールでチーム℃-ute(℃-uteのメンバーはスタッフや℃-uteファンのことをこう呼ぶ)との一体感に身をゆだねながら、逃避→興奮→満足という段階を経てある境地に達する。いままでの幸福の諸段階ー逃避、興奮、満足はいずれも消極的体験であって、受身の行為である。いわばアイドルという親鳥がくれるものを口を開けて待っているだけの雛のような受動的行為でしかない。しかし幸福の最終段階では急激な「転回」がはじまる。アイドルの「アウラ」(ベンヤミンの用語だが、わたしはこれを唯一一回性(ゆいついっかいせい)と解釈する)を受け取った私たちはそれを投げ返そうとするのである。ただ受身のまま、よだれをたらしながらアイドルから得られるものを物欲しげに要求していただけのファンが、逆にアイドルに「アウラ」を投げ与えるのである。

図にすると、従来のアイドル受容体験である
アイドル→→→ファン(矢印はアウラが送られる向き)
という図式から
アイドル←←←ファン
へと転回しアウラが送り返されるのである。

ファンがアイドルに送り返す「アウラ」とは何か。それは

「この一瞬のためになら全生涯を投げだしてもいい」という企投に他ならない。

今この瞬間が全生涯にも匹敵するという心境。今ここで℃-uteのコンサートを楽しんでいるこの一瞬が永遠にも値する瞬間であるという確信・・・

「ああ、この一瞬のためになら全生涯を投げだしてもいい!とはっきり意識的に言うことができれば、もちろんこの一瞬それ自体は全生涯に値するものなのである。」ードストエフスキー「白痴」


アイドルがアウラをファンに向かって投げると、ファンもまたアウラ(唯一一回性)をアイドルに投げかえす。アイドルとファンの間でアウラがやりとりされるようになってコンサート会場はあの独特の空間になる。また℃-uteのコンサートの特徴としてファンの振りコピ(℃-uteのダンスをファンが真似る)という行為がある。これはまさしく古代ギリシアの芸術概念「ミメーシス」(模倣、再現)に他ならない。ミメーシスとは事物の本質やイデアを模倣しようとする芸術の根源的働きのこと。すべての芸術の根源にあるのはこの「ミメーシス」=「模倣」なのである。ファンのミメーシス行為が舞台上の℃-uteをより高い次元の存在として輝かさせるのだ。

「この一瞬のためになら全生涯を投げだしてもいい」という企投がコンサート会場に「唯一一回性」というアウラ空間を生み、ファンの振りコピがミメーシス空間を作り出す。芸術は個人で作り出されるものではなくなり、集団によって生み出されるものとなる。アウラとアウラが相互に企投されることによってアイドルコンサートはコミュニケーションを超えたコミュニケーションとして現前するのである。

幸福とはこの「アウラ」、唯一一回性という企投のことに他ならない。℃-uteコンサートの一瞬は全生涯に値すると自覚すること。ただ、この一瞬を得るためだけに今までの人生を生きてきたのだと思えること。この一瞬が永遠にも匹敵するのだと自覚すること。単なる受動体験から転回して能動的に企投することこそが幸福なのではないでしょうか。

なにを大げさなことを言っているのかと笑う人もいるでしょう。しかし無意味で鬱屈した人生を送ってきたと自覚する私が今、死なずにこうしてこの文章を書いていることがなによりの証拠となるのではないでしょうか。生きる意味はここにある。幸福はここにある。

ドキドキさせるぜトレジャーボックス
ここんとこ(頭の中)にある夢の箱♪ーザ☆トレジャーボックス

幸福が形而上学的なものであるのは、アイドルを好きになるという行為自体が形而上学的な行為であることとも重なる。すべては「頭の中にある夢の箱」につまっているのである。
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-------おまけ---------
ここから先は℃-uteファン以外は読まなくていいです。

℃-uteコンサート記

℃-uteコンサート5/26名古屋昼の部。昼はゴゴスマの取材が入ってるので岡井ちゃんが2回ほどゴゴスマでぶっこんでくる「ゴゴスマ!」とファンにコールさせるのと、「ゴゴスマ見るのは」ファン「今でしょ!」打ち合わせなしで息のあったコールをするファンたち。チーム℃-uteはよく訓練されている。

宝物のコーナーは舞美が安倍なつみさんからプレゼントされたタオル。5年間ぶりに開けてにおいをかぐ舞美は「オーガニックの香りがする!」というがマイマイは冷酷に「押入れの臭いだ」そこからちっさーは押入れに寝ている話へ。

夜、宝物MCはなっきぃの寝顔写真とマイマイ姐さん美人さんの3枚。最後の1枚で落ちがつく(マイマイ変顔)。MCは夜より昼の方が面白かったかな。特に昼はゴゴスマの取材で確実にゴゴスマの℃-ute特集で使われると思うので絶対録画もの。

℃-ute紺今回は構成が抜群だった。地球からの三重奏なんてCDで聞いたときは印象に残らなかったのに紺ではファン全員にハンドクラップさせることにより一体感を持たせることに成功している。この曲はクラップともども紺の定番曲にしてもいいのではないか。

トレジャーメドレーではあの可愛い名曲世界一HAPPYな女の子が激しい曲調にアレンジされていて新鮮な驚きだった。Bye Bye Bye!、ディスコクイーン、Midnight Temptationを聞いて℃-uteの路線はこれだよなと確信。つんくさんこの路線でヨロ

そしてこの公演の白眉中の白眉がCG活劇であることは言うを待たない。いざ、進め! Steady go!が途中で終わるとCG海賊が現れ℃-uteメンとバトルを繰り広げ見事打ち倒すとまたSteady goに戻る構成の見事さ!しかしまだ続きがある。

宝島に到着した℃-uteメンは重い扉をファンのコールと共に開けるとそこにトレジャーボックスを見つける。そしてザ☆トレジャーボックスになだれ込むのである。ここで脳内麻薬物質ドーパミンが一気に噴出する、いわゆる「アガル」というやつである。

映画を見たりライブに行くのはこの「あがる」を体験したいがためである。ザ☆トレジャーボックスの「オイオイオイオイオイ」を叫んでるときあまりの気持ちよさに「このままここで死んでも悔いはないな」なんてことが脳裏をよぎる。空前絶後至福の体験。

トレジャーボックスツアーは以前のツアーと比べてもお金の使い方が段違い。乱れ飛ぶレーザー光線、一体何回着替えるんだという衣装チェンジ。衣装のデザインも過去最高ではないだろうか。オープニングの半短パン半長パンツのなっきぃの衣装がお気に入り。

Midnight Temptationでは曲の途中で衣装の早換え。女性の柔肌が大胆に露出された衣装で℃-uteメンが出てきた時にはあまりの美しさ神々しさに呆然とした。新曲「悲しき雨降り」の衣装もシックな感じで素晴らしい、好みである。

研修生ではやはりななみん(田辺奈菜美)がその美しさ、オーラでスターの素質十分。色が抜けるように白くて身長も高い(見たところ舞美と変わらない)昼の部ではななみんが出てくると歓声が大きい。マイマイが黄色が会場に多いのはななみんがいるからなのねと嫉妬するほど(笑)

℃-ute名古屋公演に昼夜入ったが、とにかくまた行きたい。またCG活劇からのザ☆トレジャーボックスの高速「オイオイ」を体験してアガりまくりたい。℃-ute紺の中毒性はちょっとヤバイくらいだ。夜公演最後は℃-ute最高→オツカレーライス→万歳三唱でシメ。チーム℃-ute最高!

ごめんまだ続く。昼は3列目(1列はライトとカメラ場所なので実質2列目)で見たがとにかくあまりにも間近に℃-uteメンがいるので誰を見ればいいのか迷った。夜は17列。はっきりいって前と後ろで見るのでは質的には違うが幸福の量的には全く同じだといえる。

前の席で見ると5人の美しさにばかり目がいって演出や構成を見る余裕がなくなる。後ろの席では演出だけでなくファンの熱気やコール、サイの美しさや振りコピなども見られるので楽しさは倍増する。つまり℃-ute紺は前で見ようが後ろで見ようがどっちでも楽しめる。
posted by シンジ at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | アイドル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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