2013年04月17日

映画を政治的、道徳的に批判してはダメか

twitterでRTされたtweetを読むとこんなことが書いてある。映画「アルゴ」を政治的な理由で批判する人は政治を重視し、映画を軽視してるという批判だ。

正直またか・・・という気がする。つまり映画は社会的、政治的なものには一切関わらない、無謬の楼閣であり、映画を見る場合は政治的、道徳的価値決定に対してはあくまで中立的でなければならない。

映画を見る時は、あくまで映画に内在する美学的見地からしか映画を評してはいけないといいたいのだろう・・・・・アホじゃなかろうか。

では聞くが、はたして政治的、道徳的に完全に中立の立場から映画を見ることなどできるのだろうか。はっきりいってしまえば映画内の道徳的価値決定に対しては中立的でなければならないと言う奴は嘘をついているかバカか、そのどちらかでしかない。

もちろん映画に外在する現実の映画作家たち、クリント・イーストウッドが極右であろうが、ハワード・ホークスが反ユダヤ主義者であろうが、それは映画作品とは何の関係もない。彼らが人間のクズだとしても私は彼らの映画を楽しく見られる。

だがそれは映画内における道徳的価値決定に中立であることとは違うのだ。観客は映画を見る一瞬一瞬、一秒一秒に道徳的価値決定を下している。およそ作品に内在するものに道徳的価値決定を一切下さずにその作品を楽しむことなどできないのだ。

私たち映画を楽しむものが、ある作品に身をゆだねたり、ストーリーに翻弄されたり、登場人物に感情移入したりすることができるのも、映画に描写されるものすべてに道徳的価値決定をおこなっているからだ。道徳的価値決定せずに映画を楽しむことは不可能なのだ。

映画が社会や政治とは一切関係のない象牙の塔であることはできない。映画作品は作品に内在するものの美学的見地だけで評価しなければならないというのは錯覚か誤謬でしかない。

・・・え、私の「アルゴ」評?はっきりいって不愉快でした。特にイラン人の描き方が。そしてその不愉快さを上回る映画的な瞬間でもあれば、チャラにしてもよかったのですが、結局その不愉快さを上回る映画的瞬間などは微塵もなかった。
posted by シンジ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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