リベラル・デモクラシー最大の欠陥は公的領域と私的領域の分断にある。ワイマール共和国時代を生きたユダヤ人哲学者レオ・シュトラウスはワイマール共和国というリベラル・デモクラシーに夢と希望を抱いていた。リベラル・デモクラシーこそが長きに渡るユダヤ人差別を解消してくれるのだと、シュトラウスだけでなく多くのユダヤ人が楽観的に考えていたのだ。たしかにワイマール共和国下ではユダヤ人にドイツ人と同等の市民権があたえられ、法的平等の下に置かれた。(ワイマール共和国憲法を書いたのはユダヤ人フーゴー・プロイスである。)
だが、「リベラルな解決がもたらすのは法的平等であって社会的平等ではない」(スピノザの宗教批判)
つまり公的領域ではユダヤ人差別は存在しなくても、私的領域では差別は依然としてなくならないどころか、むしろ助長されるのである。なぜなら、リベラル・デモクラシーにおいては私的領域は不可侵の領域である。個人の思想、信条、自由はなんぴとたりとも犯してはならないのがリベラル・デモクラシーの根幹だからだ。
私的領域が法に保護されつつも法の及ばないものであることを認めないならば、リベラリズムは成り立たない。ー「スピノザの宗教批判」
だがしかし、こうした私的領域の聖域化がなにをもたらすのか
こうした意味での私的領域の承認は、私的な「差別」を許容し、これを保護し、つまるところ助長する。ーシュトラウス
公的領域の私的領域への不可侵性ゆえに国家はユダヤ人差別を止めることはできない。ではこの私的領域の聖域化をやめ、私的領域を制限すればどうなるのか。それは公的領域の私的領域への侵犯を容認するということになる。歴史を見ればわかるように、公的領域が私的領域を侵犯することを容認する政治体制は一般に宗教国家や共産主義国家、独裁国家といわれる。
ユダヤ人問題を解決するには、あらゆる種類の「差別」の法的禁止が必要となり、それは私的領域の放棄にほかならず、リベラルな国家の破壊を意味する。ーシュトラウス
ヨーロッパ近代の歴史はいうなれば公的領域から私的領域を守る長い長い戦いだったと言っていい。その始まりは宗教改革期にある。アンリ・オーゼールは「十六世紀の近代性」で「良心の自由は命をかけても守らなければならない」という考え方はプロテスタンティズムから来たという。だがカルヴァンは信仰に誤りがあった場合、公権力による強制と処罰を容認し、三位一体説を批判したミシェル・セルヴェを生きながら火刑にしている。それを痛烈に批判したセバスチャン・カステリョは最初の「私的領域」の擁護者といっていい。ヨーロッパ近代はおびただしい血を流しながら「私的領域」を勝ち取ってきた時代なのだ。
そうした私的領域を過去最大級に拡大し、逆転したのが近代最初の個人主義者であり、自由主義者であるスピノザである。スピノザの同時代人ホッブズは公的領域のために私的領域を制限しなければいわゆる「万人の万人に対する戦争状態」になるとしたが、スピノザはそれを逆転させ、公的領域は私的領域を守るために存在するとした。つまり国家は人民の私的領域を守るために存在するのであり、その逆ではない。「国家の目的は最終的には自由にある」−スピノザ「神学政治論第20章」
このリベラル・デモクラシーの袋小路はリベラル・デモクラシーを最初に打ち出したユダヤ人哲学者スピノザの思想にすでに内包されていたのだ。
読んだ本ベスト10、解説がどんどん長くなる・・・。小難しい本ばかりですが、ベスト10上位はエンターテイメントですのでご安心を。まだ続く。
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