フランス革命とはリーダーにそそのかされた群衆が起こした事象ではないとルフェーヴルはいう。フランス革命は大衆の「集団心性」という情念の働きなしには考えられない。集団心性が醸成されるために重要なのは民衆の「語らい」である。村々でのミサの集まり、酒場での語らい、またアンシアン・レジーム下の農村では村人が集まって老人の昔話に耳を傾ける「夜の集い」なるものもあった。こうした口伝えによる伝承は「平準化」と「抽象化」という作用をもたらす。
「平準化」とは農民ひとりひとりのさまざまな理由からなる苦境をシンプルな事象に単純化することである。たとえば私たち農民の生活が苦しいのは全部領主が悪いんだ!というように。
「抽象化」とは、たとえ領主が農民にやさしい親切な人だろうが、そうした個性は一切無視され、典型的悪役像としての「領主」として抽象化すること。「領主」は無条件で「悪」とされるのである。
こうした「語らい」によって「集団心性」は形作られていくが、この集団心性が最終的に民衆蜂起という形となるのには何がきっかけとなるか。それは情報の歪曲や偽りの情報=デマがきっかけとなる。
フランス革命時における「大恐怖」とは貴族が盗賊や浮浪者を雇い自分たち農民を襲撃するのではないかというまったくのデマからフランス全土で農民の領主たちに対する反乱が起こったことをいう。
我々農民は貴族をこんなにも憎んでいるのだから、貴族も同じように我々農民を憎んでいるにちがいないという不安と恐怖が生んだ錯覚。「相手の力を過大評価し、大いに恐れた」(G・ルフェーヴル)農民たちの誤解は恐るべきスピードでフランス全土に波及したのである。
この民衆の不安と恐怖が作り上げた幻想の「貴族の陰謀」(アリストクラートの陰謀)という観念が革命期を通じて民衆の集団心性を支配していた。
「語らい」という口コミにより平準化と抽象化がなされた結果、諸悪の根源である「敵という階級」が創造される。この敵によって虐げられてきた貧しい民衆はルソー主義や文学などによって、ありとあらゆる栄光と徳を付与される。そして社会正義を実現するためには、この貧しく虐げられた民衆の敵対階級を抹殺、根絶しさえすればそれでよいということになるのである。
フランス革命期、民衆の集合心性を支配していたのが「貴族の陰謀」という観念なら、ワイマール共和国時代のドイツ民衆の集合心性を支配していたのは、ヴェルサイユ条約とユダヤ人に対する憎悪だった。第一次大戦の敗北によりさまざまな形で噴き出た社会問題が平準化され、抽象化されるうち、ドイツ経済に壊滅的打撃をもたらすヴェルサイユ条約と、ロシア・東欧でのユダヤ人大弾圧(ポグロム)によるドイツへの大量のユダヤ人難民の流入という事象が集約化され集合心性となる。その結果ヴェルサイユ条約とユダヤ人とがドイツ人にとって「絶対的敵」として作り出されるのだ。
当時ワイマール共和国の政治家たちはヴェルサイユ条約の緩和に必死になって取り組んだといってよい。だがそんな彼らの努力も、「絶対的敵」に対する妥協とみられてしまい大衆の非合理的情念はワイマール共和国を否定することとなる。ワイマール共和国の司法大臣だったラートブルフは自叙伝でこう自己批判する。ワイマール共和国が崩壊したのは「人々のあいだに根強く存在している非理性的な国民感情に顧慮を払わなかった」からであると(林健太郎「ワイマル共和国」)。そしていうまでもなく国民の非理性的感情を利用して政権を奪取したのがナチスである。
政治家も知識人もジャーナリズムも大衆の非合理的情念を馬鹿にし、黙殺し、まともに取り扱うことを避けてきた。彼らは大衆の非合理的情念に対してはなすすべがない。大衆の非合理的情念をコントロールすることは誰にも出来ない。大衆の非合理的情念は最悪の事態を引き起こすことを想定しなければならない。ハンナ・アレントはフランス革命についてこういっている。
この見世物のなかでもっとも際立って見えたことは、その主役の誰一人として事件の成り行きをコントロールできなかったということであり、その成り行きが人々の意志的な目的とまるで関係ない方向に進んだだけでなく、逆に生き残ろうと思えば自分たちの意志や目的を革命の匿名の力に従属させなければならなかったということであった。ーアレント「革命について」
フランス革命発生時点では誰一人として王制を廃止しようなどと考えていたものはいなかった。民衆は敬愛する国王とともに革命を戦うつもりだったのである。またロベスピエールが存在しなければ恐怖政治は起こらなかったか、という問いがある。答えはNOだ。ロベスピエールがいようがいまいが、恐怖政治は起きた。なぜなら恐怖政治を望んだのは大衆自身だったからである。
1928年以前、ドイツでナチスが政権を獲るなどと考えたものはいなかった。政治家も知識人もジャーナリズムもみなナチスを馬鹿げたものとみなしていた。実際1928年5月の総選挙でナチスの得票率は2.3%でしかなかった。フランス革命期においても、ワイマール共和国期においても、誰一人として大衆の非合理的情念がこれほどまでに事態を悪化させるとは想像すらしていなかったのだ。
大衆の非合理的情念を抑制することは不可能であるという結論は、必然的にアジア情勢に対する悲観的未来を予測させることになる。端的に言えば尖閣諸島を巡る日中間の軍事衝突の現実性である。多くの専門家たちは軍事衝突の可能性は低いとみなしているが、彼らがその分析から除外しているものは他ならぬ大衆の非合理的情念である。ダントンは「民衆が恐るべき存在とならないよう、われわれが恐るべき存在となろう」と演説して革命裁判所の設置を推進した。ジャコバン派は大衆の非合理的情念の圧力に抗しきれずに恐怖政治へと舵を切ったのである。フランス革命やワイマール共和国はそうした大衆の情念が最悪の事態を引き起こした歴史的事象なのだ。
では実際日中間で軍事衝突が起きた場合どうなるのか。米海軍大学のジェームズ・ホルムス准教授はこう分析する。
@日中両国軍が尖閣をめぐり実際に戦闘となった際、日本側は必要な主要兵力をほぼすべて集中できるが、中国海軍は他の防衛海域が広大で、集中は出来ない。
A日本側は単に尖閣防衛を貫けばよく、中国軍を追撃して撃滅する必要はないが、中国側は尖閣を占拠しなければ勝利とならない。
B中国首脳は対日戦争が勝利できない場合、自国の将来がかかる海軍力の破局をもたらしかねないことを認識している。
以上の諸点からもホルムス准教授は「この日中海戦での勝者は日本となる見通しが強い」との展望を明らかにする。(週刊文春2012年9月6日号)
こうして日本が勝利し、中国が敗北した場合、起こりうることは、中国民衆の非合理的情念の爆発による民衆蜂起であり、その結果としての中国共産党政権の瓦解である。
第一次大戦が終わって以来、戦争に敗北してもなおかつ生き残るほど強力な政府や国家あるいは統治形態は存在しない。日露戦争の敗北につづくロシアの1905年の革命が、軍事的に敗北した場合に政府の運命はどうなるかを示した不吉な兆候だったことは間違いない。−ハンナ・アレント「革命について」
戦争に負けて政権を維持できる国家などどこにも存在しないのである。
そこでこう言う人もいるだろう。中国共産党が瓦解するならそれは喜ばしいことじゃないかと。だがそんなことは口が裂けても言うことはできない。大衆の非合理的な情念はフランス革命においては血の粛清を、ワイマール共和国においてはナチス台頭を招いたのであるから。
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