2012年08月06日

ポピュリズム拡大の原因とは何か・シャンタル・ムフから読み解く

世界的な右翼ポピュリズムの伸張と拡大の原因をシャンタル・ムフの「政治的なものについて」から読み解く。

シャンタル・ムフは現代の危機的状況−右翼ポピュリズム、テロリズム、文明の衝突を招いているものの原因をその著作「政治的なものについて」で分析している。ムフは現代は政治的な対立を隠蔽し、すべてが道徳的対立に置きかえられてしまった時代だという。その置きかえを行う犯人は−「リベラリズム」である。

リベラリズムが掲げるのはこういう考え方だ−「党派性を超えて」、「対話型民主主義」、「コスモポリタン主義」、「グローバル市民社会」。こうしたリベラリズムの代表とでもいうべきハ−バーマスの考え方は以下のものである。

−「討議」によって唯一妥当な合意を作り出すこと。そうした合意にもとづいた民主主義の価値は普遍的なものであり、この普遍的な価値観の下、世界の差異や対立は解消され世界はひとつになる。−

ムフはまさにこうしたリベラリズムの考え方こそが政治的なものを隠蔽して道徳的なものに置きかえることに他ならないとし、この置き換えこそが、ポピュリズムやテロリズムなど現代の情念的な大衆運動の原因だというのだ。

「討議」によって唯一妥当な合意を形成し、誰もがその合意に従うことが正義であるなら、もう誰もその合意に異議を唱えることができなくなる。合意という正義に反すれば、反した人間は「道徳的に劣った存在」というレッテルを貼られるのだ。このようなリベラリズムの普遍主義は必然的に「反政治的」なものとならざるをえない。

党派性を超え、対立を超えた討議による合意に基づく理想の社会が見逃しているのは、人間の情念の集団的同一化(集団的アイデンティティ)である。リベラリズムというものが唯一の妥当で、普遍的な価値であり、もうそれに抗するものがないとすれば、大衆が自分たちの怒りや不満を向け、同一化できる対象がないということになる。

すなわちリベラリズム、キャピタリズムに対抗するオルタナティブが存在しない。自由主義的、資本主義的であることが唯一妥当な価値観であると合意された世界にはそれに代わるオルタナティブが存在できないのだ。

このとき大衆の集団的同一化傾向は「反体制主義」、「反エリート主義」という「ポピュリズム」というかたちで噴出する。

リベラリズムが政治的対立を道徳的対立に置きかえ、世界を一元化したとき、大衆の不満や怒りはポピュリズムという情念の集団的同一化を形成し、一元化された世界に対抗する。

今、世界的に右翼ポピュリズムが伸張しているのも、ほとんどどの国も似たような事情があるからだ。

1999年イェルク・ハイダー率いる極右政党、自由党が躍進したオーストリアでは、長年にわたり連立政権が政権を維持してきた。

オーストリアの政治体制はプロポルツ(比例配分主義:Proporz)に特徴づけられる。これは政治的に重要なポストは社会党と国民党の党員に平等に分配されるというものである。−wikipediaより


すなわち政治的対立があっても正面から衝突することがなく、国民の不満や怒りが宙に浮いてしまう。

2002年のフランス国民戦線ジャン=マリー・ル・ペンの躍進もかって「左」に位置していた政党が中道へ移動して左/右の対立が不鮮明になったことが上げられる。

ルペンはシラク(得票率19.71%)に次ぐ16.86%を記録し、社会党有力候補リオネル・ジョスパン(16.12%)を上回り決選投票まで残った。この結果にEU諸国は騒然とし、マスコミは「ルペン・ショック」と呼んだ。この選挙ではトロツキスト政党である革命的共産主義者同盟のオリヴィエ・ブザンスノ候補が共産党のロベール・ユー候補の得票を上回るなど、極左も得票を伸ばしており、「コアビタシオン」(保革共存)への不満が両極に集まったとの見方も出た。−wikipediaより


ベルギーの極右政党フラームス・ブラングの成功も、同じように社会主義政党とキリスト教民主主義政党の連合が何十年もの長きにわたり政権を維持してきたことによる国民の不満が原因だとされる。

ポピュリズム極右政党が伸張してきた国々はいずれも党派的対立が避けられ、中道政権という一元化の状態にあったのだ。これは国民の様々な欲求や不満を既成政党がすくいあげることができなくなったことを意味する。そこに「反体制」「反エリート」を掲げた極右ポピュリズムが台頭する隙が出てくるのだ。

イェルク・ハイダーの言説上の戦略は、地道な勤労者や国民の価値を尊重する者であるすべての善きオーストリア人としての「われわれ」と権力の座にある政党、労働組合、官僚、さらには外国人、左派の知識人、あるいは芸術家など真の民主主義的討論を妨げる者とみなされるありとあらゆる者からなる「彼ら」とのあいだに境界線を構築することにある。−シャンタル・ムフ「政治的なものについて」


今日、支配的な普遍的リベラリズムの一元化はそれに反する者、異議を唱える者を「道徳的に劣ったもの」とする。本来、多様な価値観同士の「政治的対立」であったものが、リベラリズム的価値観の一元化により、「道徳的対立」へとすりかえられる。

それが道徳的対立である以上、リベラリズムの敵は「在来的な敵」=対抗者ではなく、「絶対的な敵」=非人間的で怪物的な存在となる。(カール・シュミット)

政治的な対立を道徳的対立にすり替える行為は現代の日本でもよく見られる。たとえば昨今の原発論争ではそういうすり替えが頻繁に行われる。

Twitter - 香山リカ氏の壇上アピール.jpg


敵対者たちが政治用語ではなく道徳用語で定義されるとき、その者たちは「対抗者」ではなく「敵」とみなされるのである。「悪しき彼ら」とはいかなる闘技的な討論も不可能であり、ただ抹殺されなければならない。そのうえ彼らはしばしばある種の「道徳的な病」のあらわれとみなされるため、彼らが出現し、そして成功をおさめつつあることについての説明さえもなされるべきではない。−シャンタル・ムフ


ジョージ・W・ブッシュはアメリカと対立するもの、従わないものを「悪の枢軸」と名づけた。自分たちの対抗者を「道徳的に劣ったもの」、絶対的な敵としたのだ。対抗者を絶対的な敵とみなすことが、非人道的な殺戮の道を開くことになるのは歴史が証明している。香山リカの論理はブッシュとまったく同じものなのだ。

このようなオルタナティブが存在することすら許されない世界において大衆の集団的同一化という情念は行き場を失い、さまよい、そして右翼ポピュリズムへとたどりつかざるえない。

しかしこうした右翼ポピュリズム政党には弱点がある。ポピュリズム政党は「反体制」「反エリート」を掲げるがゆえに政権の座についた途端その力を失うのだ。

1999年の選挙でハイダ−の自由党はポピュリズム的戦略で保守党を猛追し、得票率27%で第二党に躍進。しかしそれ以降、政権への参加によって自由党の勢いは弱まっていった。2004年の欧州議会選挙では得票率がついに6.7%にまで落ち込む。ー「政治的なものについて」


シャンタル・ムフはこのような危機に対する解決策として、大衆の集団的同一化の対象としての「党派性」の復活。そして党派ごとの対立はあくまで政治的対立であってそれを道徳的対立へとすりかえないこと。政治的に対立する多様な党派を認める「多元主義」の確立を提唱する。

シャンタル・ムフのポピュリズム拡大、伸張の原因の分析は鋭い。ただ気になるのは「多元主義」という解決策である。多元主義の下ではそれこそ「極右」「極左」「原理主義的宗教」という極端な党派性も容認される。しかしながら万が一それら「極右」「極左」「原理主義的宗教」が政権の座についた場合、彼らが真っ先に実行するのは「多元主義」の否定ではなかろうか。

またムフの考え方はヨーロッパには当てはまっても、日本には当てはまらない。ヨーロッパの右翼ポピュリズムは反グローバル主義を掲げているが、日本のポピュリストたち(たとえば小泉純一郎や橋本徹など)は逆にグローバル主義的自由経済を推進しているように見える。おそらく、このねじれ現象は固定化した日本の社会構造に対するオルタナティブとしてグローバル自由経済とポピュリズムが合体したからではないだろうか。

いずれにしろ現代の日本にとってシャンタル・ムフの考えはアクチュアリティのあるものだといえよう。
posted by シンジ at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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