2012年04月03日

ジョン・ハート「ラスト・チャイルド」「アイアン・ハウス」の倫理観について

まず最初にジョン・ハートの「アイアン・ハウス」を読んでとまどったのは、その倫理観である。殺し屋が組織から抜けたために追われるというベタなストーリー展開に、殺し屋の弟の周りで起こる謎の連続殺人事件というミステリが重なる。問題は二人の殺人犯が不幸な身の上だったとはいえ、大量に人を殺しておきながらその罪を咎められることなく、幸せをつかむという、「え?その倫理観あり!?」というハッピーエンディングになっているところです。

実はこの倫理観は「アイアン・ハウス」の前作である「ラスト・チャイルド」を読んでおけばわかることでした(先にアイアン・ハウスを読んだ)。ラスト・チャイルドはかなり露骨にキリスト教的価値観を押し出している作品で、特にある黒人の存在は完全に「デウス・エクス・マキナ」といっていいでしょう。デウス・エクス・マキナとは神の突然の参入という意味です(キリスト教神学用語ではなく古代ギリシア演劇用語のラテン語訳ですが)。過酷な現実に唐突に現れる神の手。簡単にいってしまえば「ご都合主義」のことです。しかしこれがキリスト教圏では「ご都合主義」とは呼ばれずに、世界の理(ことわり)となる。なぜなら神のいない世界では「救い」が存在しない。救いが存在しない世界、すなわち神のいない世界観はキリスト教にとってはありえないのです。

ジョン・ハートはかなり露骨にキリスト教的価値観を押し出してくる。そのことがわかれば、「アイアン・ハウス」の倫理観も理解できるようになる。殺人者二人がなぜ罰を受けずに幸せを手に入れることが出来たのか?それは「神は罪人の回心を特に喜ぶ」というキリスト教的価値観が背景にあるからです。
一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要の無い99人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。−ルカによる福音書15・7

私は以前ブログでキリスト教的殺人者であるジル・ド・レのことを書きましたが(園子温のキリスト教理解は見せかけか第一部ジル・ド・レ篇)、彼は100人以上の少年を虐殺しながら、その罪を認め涙ながらに謝罪したことで裁判を見守る大勢の聴衆を感動させています。なぜ聴衆や裁判官は虐殺者ジル・ド・レに感動したのか?それはこのような極悪非道の罪人が「回心」できたのは神の恩恵によるものにほかならないという考えがあるからです。だから人々は罪人の回心=神の恩恵ととらえ、それをたたえるのです。その最高の例として、最初はキリスト教徒を弾圧する役人だったのに「回心」して使徒となったパウロがいます。
posted by シンジ at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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