2012年01月11日

2011年読んで面白かった本ベスト10

2011年読んで面白かった本ベスト10

10位「日本映画の時代」廣澤榮
日本映画黄金時代東宝の助監督だった廣澤榮氏が黒澤明や成瀬巳喜男の現場を活写する。「七人の侍のしごと」が面白いのは当然として、「成瀬巳喜男のしごと」が無類に面白い。成瀬の助監督だった石田勝心氏が「成瀬さんのメセンの芸だけは怖くて真似できない」というメセンの芸とは?「キャメラは常にフィックス、移動やパンはめったにない。画面内の人物が立ったり坐ったりするのをキャメラは追わない。その動作を見ている人物のメセンで表現する」。それを成瀬は中抜きで撮るのである。つまり「驟雨」では原節子が夫の佐野周二の動きを目線で追うカットだけをいっぺんに撮るのである。ああ恐ろしい・・・

9位「何も隠されてはいない」ノーマン・マルカム
ウィトゲンシュタインの直弟子マルカムが「論考」と「哲学探究」を比較していくところは退屈だけど、クリプキやコリン・マッギンのウィトゲンシュタイン解釈を批判するところは面白すぎる。マッギンなんてまったくウィトゲンシュタインを理解していないとバッサリ斬られている。俎上に載るマッギンの「ウィトゲンシュタインの言語論」は実に奇妙なウィトゲンシュタイン解釈で、ウィトゲンシュタインの「私的言語」や「規則に従う」は外在主義的に解釈するのが普通だと思うんだけど、マッギンはあくまで内在主義的に解釈する奇妙な本。あとは「心の哲学」がウィトゲンシュタイン的手法で一刀両断されていてすがすがしい。この本を読んで「心の哲学」に対する興味をなくした。

8位「映画を夢見て」小林信彦
小林信彦の60〜70年代エッセイをまとめたもの。60年代信彦の過激さ攻撃性は凄い!白坂依志夫や寺山修司への批判は批判を通り越してもはや罵倒である。有名な「仁義なき戦いスクラップブック」も収録。

7位「髪結い伊三次シリーズ」宇江佐真理
特にシリーズ1作目の「幻の声」は時代小説としても短編小説としても完璧。シリーズが下っていくにしたがって主役の世代交代があるんだけど、それには失敗していると思う。だってお文姐さんが出てこないと色っぽさ艶っぽさがなくなるもんなぁ・・・。でもシリーズが完結するまで付き合うつもり。

6位「消えた少年」東直己
東直己のススキノ探偵シリーズの最高傑作は映画化もされた「バーにかかってきた電話」だと思うけど、それ以外ならこれが一番。探偵と高田のコンビとしての魅力が一番良く描かれている。それに犯人の凄さは・・・これ映像化出来るもんなら映像化してみろと。

5位「ウィトゲンシュタイン」レイ・モンク
ウィトゲンシュタイン伝記の決定版。苦しみ悩みさまよい続けた一人の哲学者の人生と思考のすべてをあますことなく描き出す。たいていの哲学者はだいたい平凡極まりない人生を送ってるけど、彼だけは別。オーストリア一の大富豪の名家に生まれ、ヒトラーと同じ学校に通い、大金持ちなんだから兵役なんていくらでも忌避できたにもかかわらず最前線を志願し、英雄的な活躍で勲章をもらい、捕虜になった時収容所で「論考」を書き、バートランド・ラッセルに哲学の道に進むべきだと言われるも、「論考」で哲学の問題はすべて片付いたと確信したので、莫大な資産をすべて放棄し、小学校の教師になる。ところが生徒を殴って気絶させてしまい教師を首になり、絶望したので修道士になろうとしたが断られたので、そこの修道院の庭師になる・・・。ラッセルやムーアによりケンブリッジ大学に呼び戻される時、経済学者のケインズはこう書いている「ケンブリッジに神が来る」

4位「バウドリーノ」ウンベルト・エーコ
ファンタジーでもあり、ミステリ仕掛けやロード・オブ・ザ・リング的な壮大さもあるめくるめく冒険譚。そして一人のちっぽけな人間の絶望からの脱却を描いてもいる。幻想小説なんだけど、12世紀の中世がこれほど身近に、魅力的に感じられる小説はない。バウドリーノに関しては「バウドリーノ、エレクション、言語ゲーム」というものを書いた。

3位「マルドゥック・スクランブル」冲方丁
「マルドゥック・ヴェロシティ」もスクランブルに勝るとも劣らない傑作。「マルドゥック・フラグメンツ」は短編でも魅せる。つまり全部最高。冲方丁を読んだのはこれが初めてなんだけど、“どハマリ”しました。なんて言えばいいのか、ロジカルな山田風太郎といえばいいのか。重厚肉厚で緻密極まりないプロットに奇想天外な超人たちのアクション。読んでて震えるほど面白い。最終章の「マルドゥック・アノニマス」が楽しみすぎてつらい。つーかいつ頃刊行されるんだろう?

2位「わが母」ジョルジュ・バタイユ
バタイユの最高傑作じゃなかろうか。「眼球譚」も最高だけど、この息子に対する母親像は斬新。僕の母はエロティシズムを超えた死の化身、タナトスそのもののような母親だった。母親は息子に向かって言う「お前の誤りは退廃よりも快楽にひかれることです」まさにジュリエット(悪徳の栄え)のような母親とそんな母親を憎み恐れ愛する息子。

1位「神学・政治論」スピノザ
スピノザの最高傑作は「エチカ」かもしれないけど、読みやすさ、面白さ、衝撃度でいえばこれがベスト。読むたびに「おいおいこんなこと書いていいのかよ」「マジで!?」「嘘だろ・・・」と、あまりにも過激なのでびっくりする。どんなことが書いてあるかというと、徹底的に聖書を分析してそこに書かれてあることの虚妄を暴き出す。聖書で起こるさまざまな奇跡についてどう解釈するかについては、当時の民衆はおつむが弱かったので、奇跡という論法を使って大衆を驚かせ敬神を促し服従を強制したにすぎないとか。ユダヤ民族が神に選ばれた民族なんて嘘っぱち、それどころか民族性なるもの自体も幻想に過ぎないとか。聖書は馬鹿な民衆を服従させるためだけに書かれたのでおかしなところがいっぱいあること、改竄されまくりなことを実証的、論証的に暴き出している。それじゃあスピノザは聖書なんて捨ててしまえと言っているのかというと違う。たしかに聖書は迷信と嘘と改竄だらけだ。しかしそれでも二千年以上の長きに渡って改竄されなかったものがある。それが神への愛と隣人愛だ。隣人愛というのは近所の人を愛せとか友人や家族を愛せなんていうなまやさしいシロモノではない。自分とはまったく関係のない赤の他人、言葉のまったく通じない外国人、自分に害をなすかもしれない敵対者を隣人といい、彼らを愛せというのだ。スピノザがモーセよりイエスを高く評価するのはここにある。モーセは律法という外的基準に服従することが正しい信仰だとする。イエスはこれを否定し隣人愛という内的基準に従うことこそ真の信仰であるとしたのだ。スピノザがイエスを高く評価するのは民衆をモーセの律法の隷属から解放したことにある。このことはスピノザの国家観に即座につながる。つまり律法=国法に従うことを強制するのはただの隷属でしかない。国家を支えるためには強制ではなく、内側から来る信仰によって支えなければならない、それがスピノザの理想国家である。つまり国家は外的法(国法)と内的法(信仰)によって支えられてはじめて国家として成立する。そしてここからがスピノザの特異な点なのだが、ではその国家は何のために存在するのか?

俺様の自由のために存在するんだよおおおおぉぉぉ!!(江頭2:50風に)

国家の目的は最終的には自由にある。−神学・政治論第20章

自由といってもなんでもやっていい自由ではない(そこを誤解したのがスピノチストでもあったマルキ・ド・サドである)。スピノザのいう自由とは思想の自由、言論の自由のことである。聖書を徹底的に批判し、同胞であるユダヤ人を批判し、モーセを腐し、イエスを評価したのは隷属よりも信仰、信仰よりも国家を優先するがゆえである。そしてそんな国家の究極の目的は「俺が言いたいこと言える自由を守ること!」これが結論。凄いとしかいいようがない。

そのほかにも聖書のテキストの独特の読み方がある。たとえば

言葉は慣例によってのみ一定の意義がある。ー神学政治論第12章

これなんかはウィトゲンシュタインの言語ゲーム的な考え方だ。聖書が神聖なものとされてきたのは慣例であり、長い間の人間の習慣によってでしかないとスピノザはいう。そして聖書にとって重要なのはそこに書かれていることが真実かどうかではない。人に服従を促せられるかどうかだけが重要なのだ。これはようするに聖書のテキストの真理条件を問わない、つまり検証可能かどうかなんてどうでもいい。民衆が驚き、感動し、敬神を促されるようなメッセージさえあればそれでよいのだ。それこそが聖書の役目だというのだ。この考え方は必然的に聖書や信仰は国家を支える道具としての位置づけでしかないことを示す。                                                    

17世紀にこの本が与えたショックはすさまじく、スピノザは全方位的に大バッシングを受けた。この本を出したせいでスピノザはエチカの刊行をあきらめざるえなかった。ライプニッツもびびりまくってスピノザに影響を受けたことを隠し、当時危険思想家といわれたホッブズでさえも神学政治論を読んで「私にはこのような激しいことはとうてい書けない」と言ったという。その衝撃は21世紀の今もはっきりと伝わる。しかしこんな面白い本が、いっこうに復刊されないのはどういうことなのか?私は旧漢字仮名遣い1944年刊行のボロボロの本を読んだんだけど、岩波書店さん復刊してくれないか。

2012年の抱負・・・とにかくスピノザ「神学・政治論」の復刊。もしくは新訳でスピノザ全集の刊行。そしてウィトゲンシュタイン「哲学探究」の文庫化に期待。「論考」があれほど版を重ねているのを見るに、論考の1億倍面白い「哲学探究」が文庫化されれば大ヒット間違い無しではないでしょうか。「マルドゥック・アノニマス」は今年中は無理かな。あと映画ブログやめたい。
posted by シンジ at 20:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
映画ブログ辞めたい

なんで?
Posted by ドリー at 2012年01月18日 23:34
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/245586313

この記事へのトラックバック