一回目はこちらhttp://runsinjirun.seesaa.net/article/21351151.html
この作品はいろいろ謎がある作品でとくに釈然としなかったのがラストである。
この作品について書かれた批評やブログを見ても、この作品のラストシーンがまるで兄弟の和解を示しているかのように書かれている人が多い。そしてそれに感動している人も。
俺はこのラストシーンに対し以前こう書いた“ラストシーンは兄弟の和解ではなく、いまだ欺瞞と狡猾のなかにあるということだ・・・・。”
正直いってこれを書いたときはそれほど自分の批評に確信があるわけではなかった。だが今月号の「この映画がすごい」の名越康文の批評を読んで確信するにいたった。
ー兄の稔(香川照之)が智恵子(真木よう子 )に好意をもっていることを猛(オダギリジョー)は感づいていた。だからこそ猛は智恵子と性的な関係を結んだのでしょう、つまり嫉妬ですよね。
ー猛は自分と兄との愛を温存するために、兄からこの女性を本能的に奪おうとするわけです。
ー猛は最後に稔を裏切ることで兄との絆を試そうとする。
ーそして七年後、稔がいよいよ出所してきます。まるで記憶喪失にでもなったように外をフラフラ歩いている稔。しかし考えれば、これは稔にとって新しい人生に踏み出せる再生のチャンスでもあるわけです。ですがそこに猛が現れて「兄ちゃん、家に帰ろうよ!」と叫ぶ。そして弟の姿に気づいた稔はニコッと力なく笑う・・・・。
ーこれは兄弟の絆の復活というポジティブな解釈も成り立つでしょうが、僕には稔が弟の愛という呪縛にまたとりこまれてしまったというとても怖いシーンにうつりました。ー名越康文
たしかにこの映画結構重要であるはずの女の描写があっさりしすぎていた。あきらかに猛(たける)の愛の対象は兄>>>>女だった。
さらにこの映画最初から最後まで観ていればハッピーエンディングでないことはあきらかで、弟は兄の狡猾さを許せず、兄を罰するために裏切るわけで、そんな兄に対するいびつな愛をみせつけておいて和解などという甘っちょろい結末であるはずがないのである。
はぁ〜・・・・とにかくひさびさに脳みそフル回転させて観た映画だ。疲れる、でもその価値があるすごい映画だから観てください。単純にオダギリジョーのファンだからという理由でもいいですよ。この映画でのオダギリジョーの演技は神レベルですから。
オダギリジョーのほかの記事は
http://runsinjirun.seesaa.net/article/17796212.html
http://runsinjirun.seesaa.net/article/20647473.html