詳しく分析するためにはもう2回ほど観るべきなのだが、いま観終わったばかりの興奮のまま書きたい。だからわけわかんなくても気にしないでほしい。
この映画の構造について、兄(香川照之)は女を殺したのか?という“藪の中”的な真相追求の裁判劇と、兄と弟(オダギリジョー)の心の中にある深淵という“藪の中”。ふたつの“藪の中”の螺旋的な構造。
最初、観客の興味をひっぱるのは当然のごとく裁判劇のほうなのだが、拘置所での兄弟のたった2回の面会シーンにより兄弟の心の中に蓄積されたどす黒い泥ねいが噴出するにいたり、もはや本当に兄は女を殺したのか?という疑問よりも、このふたりの兄弟のへだたりと闇に焦点が移ってくる。
この面会シーンはホントすごいわ。ふたりの才能あふれる俳優のガチンコ勝負に背筋がゾクッとくる。
この面会シーンではワンカットごと、いや一瞬ごとに二人の心理、相貌がまるで万華鏡のようにクルクルと変わる。一瞬ごとにサスペンスがおとずれるというのか、あきれるほど素晴らしい脚本、演出、演技の三位一体。
誠実でやさしい兄の狡猾さを見た時、弟の中でなにかが崩れ落ちる・・・。
兄は己のひた隠しにしてきた本性をさらけだし弟の欺瞞を暴く・・・。
字にすれば簡単なことでも、これを映像化するのは至難のわざだろう。だが監督の西川美和はやってのける。人間心理の微妙なあやを繊細かつ大胆に描いた西川の手腕に空恐ろしさすら感じる。
裁判劇というちっぽけな枠組みを超える人間の葛藤劇。
ここからは俺の解釈なので間違っている可能性・・・・・・弟(オダギリジョー)は尊敬する兄の狡猾さ罰するために裁判でウソをついたのではないか?
そうでなければあの兄の腕についた傷はなんなのか?女を助けるためにつけた傷跡ではないのか?
“藪の中”よろしく、または黒澤明の「羅生門」のようにいろんな角度からみた事件の再現シーンがあるが、オダギリジョーが古い8ミリを見ながら想起したシーンこそ真実ではなかったか?
だとするならば、ラストシーンは兄弟の和解ではなく、いまだ欺瞞と狡猾のなかにあるということだ・・・・。
・・・・・う〜ん違うかな。二度目観て分析するわ。
しかし女性がよくこれほどまでにからみあった男のドロドロを描いたなぁ。ハンパない高度な脚本だよ、コレ。そしてその監督の高度な脚本と演出に200%の力でこたえた俳優もすごい!
複雑怪奇な男のゆがんだ欲望と嫉妬を怪物的な演技力で表現しきった香川照之とそれを真っ向から受けてたったオダギリジョーのすごさに脱帽!
オダギリジョーはこの作品でスターからアクターになった。もう同年代で並ぶものはいなくなったんじゃないか。
そして日本映画界は西川美和という巨人を手に入れたのかもしれない。
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