2011年05月17日

本当の私という幻想「ブラック・スワン」

映画「ブラック・スワン」を見た。

ニナ(ナタリー・ポートマン)は母親の代理であり、分身である。母はニナを生んだことによりバレエダンサーのキャリアをあきらめた。それゆえにニナは母のためにもバレエダンサーとして成功しなければならないという焦りにも似た感じと追い立てられるような圧力を感じている。

こういう母子関係はさほどめずらしくない。思い出すのは去年亡くなった高峰秀子と養母の関係がそうだ。高峰秀子の養母「志げ」は兄の子供である女の子をひったくるように奪い取り、自分が女弁士だった頃の芸名「高峰秀子」から秀子と名付けた。高峰はこう言う。

「デブ(志げのこと)は、自分が“高峰秀子”のつもりだったのよ」ー高峰秀子の捨てられない荷物より

母と娘の同一化。捨てられない荷物・・・

登場人物の配置もエディプス葛藤として見ればわかりやすい。バレエ団の演出家トマ(ヴァンサン・カッセル)はニナの「父親」。ライバル、リリー(ミラ・キュニス)は「妹」。トマに魅了されることは、母親に取って代わって父親と愛し合うということであり、ニナにとって母殺しを意味する。母との同一化を解消し、父と一緒になりたいという願望。リリーは自分と同等の存在であり、嫉妬の対象、父親からの愛を競い合う「妹」。妹さえいなくなれば「父」を独占できるのだ。

そしてこの映画を支配する最も重要なイメージは「鏡」。この映画における「鏡」の意味はラカンの「鏡像段階」で説明がつくと思う。

鏡像段階論とは、幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、成長して鏡を見ることによって(もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって)、鏡にうつった像が自分であり、統一体であることに気づくという理論。ーwikiより


鏡にうつった自分とは、また他者から見られた自分でもある。他者から見られた自分とは、母の分身としての自分、母に欲望される自分であり、トマからの承認を得ようと必死になるが実力が足らない自分であり、トマの承認をかけて争うリリーに脅威を感じる自分である。

ニナは悲鳴を上げる。鏡にうつる私(鏡像自己)は私じゃない!鏡にうつる私は、母や、トマや、リリーから見た私であり、本当の私じゃない。「本当の私」は母を上回るバレエダンサーである私であり、トマの要求に完璧に応えることのできる私であり、リリーを凌駕する力量を持ち、トマの愛を独占することのできる私だ。

・・・・だが、もちろん「本当の私」など幻想である。「私」はあくまで「他者」から見られた存在としての「私」なのだ。「本当の私」は虚構でしかない。

ーラカンは、このような鏡像段階があるということは、結局のところ、自己(自我)というものは最初から社会関係の中にくみこまれているものだとみなした。つまり、無垢の自己なんてものは最初からありはしないとみなしたのだ。もっとはっきりいえば、そのような社会的関係によって疎外されるということが自我をつくるのだと考えた。ー松岡正剛の千夜千冊・ジャック・ラカン「テレヴィジオン」より

つまり他者から見られた鏡像を自分だと認めたくないー他者から疎外された自分こそ「本当の私」だと思い込む。虚構としての「本当の私」

ニナは鏡の中の自分=他者から見られた自分を殺害し、「本当の私」を取り戻す。「完璧な」自分を。だが、もちろん「本当の私」という自己統一像は幻想でしかない。その幻想のなかで生き続けることは狂気か死を意味する。

「私、感じてたわ。完璧よ。私、完璧だったわ」
ニナは観客の喝采を浴びながら、完璧な自分として死ぬ。舞台という虚構の中で「本当の私」として歓喜のなかで死ぬのだ。

これを熱狂の中で、歓喜の絶頂の中で死ぬのだから本望ではないかという考えもあるだろう。だが、鏡像の中の私を殺した「本当の私」は偽りのイメージとしての私でしかない。偽りの自分をリアルな自分と錯覚することでしか歓喜を得られなかったというのは、やはり皮肉で残酷なことではないだろうか。

つまりあのラストシーンはすべて幻想だと考えられるのだ。鏡像自己を殺害し、本当の自分=完璧な自分となって、圧倒的なダンスを披露し、観衆の喝采を浴びるというのはニナの都合のいい幻想でしかない。つまりあの喝采もニナの幻想であり、客席に座る母親も幻想なのだ。偽りの自己イメージが見せたほんのつかの間の夢。狂気の幻。それが映画「ブラック・スワン」のすべてである。
posted by シンジ at 06:04| Comment(0) | TrackBack(3) | 映画批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: いや〜、とんでもない怪作でした。 2分で分かる『ブラック・スワン』あらすじ紹介いってみます。 (ネタバレしてます!) ニナ(ナタリー・ポートマン)は「白鳥の湖」の主役 ...
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Tracked: 2011-05-17 08:13

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Weblog: 作曲♪心をこめて作曲します♪
Tracked: 2011-05-19 18:54

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