2010年12月04日

山中貞雄と三村伸太郎、脚本をめぐる攻防

三村伸太郎オリジナル脚本「海を渡る祭礼」を読んで、山中貞雄と三村伸太郎の友情を思う。

1941年公開稲垣浩監督「海を渡る祭礼」のストーリーは・・

ある港町で祭礼が行われる。そこに稼ぎ時だと集まってくる旅芸人たち。猿回し、手妻師、ガマの油売りに雇われた居合抜きの浪人などなど。そんなひと癖もふた癖もある芸人たちが同じ宿の屋根の下コメディタッチの群像劇が展開される。だが、そんなおおらかで楽しい日々に不穏な影が差す。横暴な馬術曲芸団が祭礼にあらわれ芸人や露店をけちらして、金にものを言わせて場所を横取りするのだ。馬術団の横暴は芸人たちの泊まる宿でもおこる。やくざまがいの馬術団になすすべもない芸人たち。そして馬術団の横暴が極限まで達したときいつもは頼りない浪人が馬術団の頭を一刀のもとに斬りふせる・・・。
平和の戻る祭礼だったが、みなを助けてくれた浪人はいない。馬術団に呼び出され一人出かけていったまま帰ってこないのだ。それでも浪人に恋していた娘は浪人さんは必ず帰ってくると信じて待ち続けるのだった・・・。

この三村伸太郎の脚本を読んで気づいたことは、構成が山中貞雄の「人情紙風船」(1937)と同じだということ。最初はコメディタッチで群像が描かれ、次第に悪がクローズアップされていき、最後は不吉な死のにおいをただよわせて終わる。あまりに不吉かつ曖昧に終わるラストに「えっ!?」と口に出してしまったほど。斬新なラストだと思う。この脚本を読むと三村伸太郎にとって「海を渡る祭礼」が“ある人”との特別な関係抜きでは語ることのできない作品だということがわかる。

ある人とはもちろん山中貞雄。鳴滝組の仲間でもあり、梶原金八名義で共同シナリオを書く仲。その三村と山中が最初にコンビを組んだのが1934年山中貞雄監督作「雁太郎街道」。この時山中貞雄は初めてのトーキー作品のため自信のなかったダイアローグを三村伸太郎に頼んでいる。

そして山中三村コンビ作の中でもとりわけ評価が高く、キネ旬5位にもなった「国定忠次」(1935)。グランド・ホテル形式を採用した巧みな構成は本家エドマンド・グールディングの「グランド・ホテル」(1932)より見事な出来映えと飯田心美が書いているほど。

ところが三村は脚本執筆時、「グランド・ホテル」のことをまったく知らなかったという。つまり「国定忠次」の脚本は山中によって大幅に書き換えられている。

当時三村は山中の他に稲垣浩ともコンビを組んでいて、岸松雄が山中、稲垣と組んだ時の三村伸太郎の違いをこう書いている。

三村が稲垣と組んだ場合は、三村はあえて構成を無視して書いている。構成にこだわりすぎるとシナリオの生命が消散してしまうからだという。
山中とコンビを組む場合は、山中がシナリオの形式構成について三村をいろいろと啓発し、三村のシナリオに手を入れたという。ー「日本映画における外国映画の影響」より

「国定忠次」のグランドホテル形式の構成は山中の手によるものだということがわかる。

しかし山中が「国定忠次」の脚本に手を入れたとき、さすがに三村も頭にきたのか親友である山中をチクリと批判している。

山中は私のシナリオを整備し、刈り取って、美麗流暢な手法をもって、におやかな感覚的な作品にまで磨きをかけている。その代わり主人公の忠次は形式のなかに少しばかり窮屈そうにかしこまっている。ー「日本映画における外国映画の影響」より

作品が山中の手により傑作になったことを認めつつ、山中のほどこしたがっちりした構成では忠次のキャラクターがかならずしも活かされていないと愚痴っている。

そして山中三村コンビの最後の作品「人情紙風船」(1937)。この作品でよく知られているのは、三村脚本の「人情紙風船」と完成した「人情紙風船」とでは180度違う作品になっているということです。

三村伸太郎版「人情紙風船」の後半のストーリーはこうです。

髪結い新三は白子屋の娘お駒を誘拐するが、あっさりと返す。お駒はそんな新三の男らしさに惚れる。面子をつぶされた源七親分は新三に闇討ちをかけるがアベコベに殺される。親分を殺された子分たちは新三の命を狙い、数十名で長屋を襲って包囲する。そこへ長屋の連中が新三を守って蜂起する。海野又十郎も長屋の連中と連帯して立ち上がる。ー「映画監督山中貞雄」加藤泰


山中貞雄版「人情紙風船」のストーリーも一応書いておきます。

髪結い新三はお駒を誘拐するが、大家の汚い取引にうんざりしてお駒を返す。(お駒は新三に惚れはしない。)面子をつぶされた源七親分は夜中に新三を呼び出し殺す。海野又十郎はお駒の誘拐に関わったと誤解した妻に殺され、妻も自害する。

三村版と山中版がまったく違うストーリーでびっくりする。これには三村も驚いたようで、試写を見た三村は

私は「人情紙風船」をはじめて見たときには、ほんとうに肝をつぶしたように驚いた。この作品は私のシナリオに似て非なるものである。


三村版人情紙風船は違う階層の人々の連帯や、暴虐に対するコミュニティの蜂起などが描かれるオプチミスティックな世界観であるのに対し、山中版人情紙風船は階層の違う人々の断絶ばかりでなく、家族間での断絶、同じコミュニティに属している人々のあいだの無関心を描いている。

つまり山中の改変はシナリオをズタズタに切り刻んだというたぐいのものではなく、三村のシナリオの根底にある思想そのものをまるごとひっくり返している。これは三村にとって単にズタズタにされるよりもはるかにショックが大きい。

三村は試写を見るまで自分のシナリオがここまで根本から改変されたことを知らなかった。三村は混乱し、激しい怒りもおぼえただろう。しかし「国定忠次」の時には山中の脚色をチクリと批判した三村も「人情紙風船」のシナリオ改変については批判や不満らしきものをどこにも書いていない。

おそらく三村は文句を言う相手が「人情紙風船」公開後すぐに軍に招集され1年後には戦病死したことで批判や愚痴を一切封印したんだと思う。それが三村の山中に対する哀惜の念であり、友情の証なのだろう。

しかし三村の山中版「人情紙風船」に対する複雑な思いは年を経るにつれ、敬愛する友、山中への感嘆に変わっていく。そうした思いが昇華され結実したのが先に挙げた「海を渡る祭礼」なのです。

「海を渡る祭礼」の構成は山中版「人情紙風船」とうり二つであり、死のにおいただよう陰惨なラストも山中版「人情紙風船」のラストと同じ。

三村伸太郎作「海を渡る祭礼」は山中版「人情紙風船」への複雑な思いを乗り越えたオマージュであり、三村から山中貞雄への愛情と尊敬に満ちた返礼なのだ。
posted by シンジ at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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