無名でも面白い役者にはどんどんシーンが増えていくという北野演出の即興性が発揮されていて、そりゃ役者たちは北野監督を愛するだろうなと思う。(たとえば「ソナチネ」(1993)ではすぐ死ぬはずだった大杉漣の死がどんどん先に延ばされていった)
名のあるキャスト、無名の人たちもあわせて15〜16人以上のキャストが常時入り乱れての男騒ぎ。そしてその登場人物の多さこそがこの映画のスタイルを決定づけている。
2時間以内にこれだけの人物を描くため、ほとんど間もなく、すき間もなく、余韻もない。たたみかけるようにプロットが進行していく。単純化した人間像とむきだしの権力闘争もあいまって、かって北野映画に存在した叙情性がなくなり、カラッカラに乾いた世界があらわれる。
「アウトレイジ」は旧来の作品が持つ詩心が奪われているーロベルタ・ノビエッリ(ベネチア、カ・フォスカリ大学)5月25日朝日新聞夕刊「キタノの詩的世界どこへ」
というイタリア人研究家の指摘もあるくらいだ。
実は私も最初はそう思っていた。しかし映画を見ていくうちに奇妙な感覚に襲われるのだ。私と同じような感覚を映画に出演している石橋蓮司も感じたようで
台本の段階では情緒みたいなものをすべて切ってしまって、欲望と意地だけに絞り込んである作品だなと思ってました。でも、出来上がった作品を見ると、何か見終わった後にすごく情緒を感じるんですよね。何でこれだけの情緒が出てくるのかなと、とても不思議に思いながら映画を見ました。ー石橋蓮司「アウトレイジオフィシャルガイドブック」
繰り返される派手なバイオレンス、怒りや憎しみさえない上意下達で機械的に殺し殺されていくヤクザたち。
そうした繰り返しを見ていくうちに心の奥底から奇妙な感慨が湧いてくるのだ。この人間という動物たちの滑稽さ、その滑稽さの先にある哀しみを。
しかし私にはまだこの哀しみがどこからやってくるのかわからなかった。それがはっきりわかったのが、あの体育館裏のシーンである。
ここからネタバレになるので注意してください。
北野武演じる大友は権力闘争に敗北し、次から次へと自分の子分たちが殺されていく中ある決断をする。
大学時代の後輩である片岡(小日向文世)を電話で学校の体育館裏に呼び出す大友。北野映画ファンならそこから壮絶な復讐劇が始まると期待するだろう。
・・・・だが北野武演じる大友は片岡の前に両手を差し出し自首するのである。
北野映画を「その男凶暴につき」(1989)からずっと見てきた映画ファンなら愕然とするはず。
「あんまり死ぬのを怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」ー映画「ソナチネ」より
死が怖いにせよ、蛮勇にせよ、虚無にせよ平然と死に向かってジャンプしてきた北野武はここにはいない。仲間をすべて見殺しにしてでも自首して生きながらえ、刑務所の中で老いさらばえていくことを選ぶのだ。
この体育館裏のシーンはいままでの映画のトーンとあきらかに違う。体育館裏でひとりポツンと立っている北野武は恥ずかしげに、所在なさげにたたずんでいる。
生きていることは恥ずかしい・・・でも死ぬこともできない。このような北野武の姿を見たのははじめてだ。
片岡に両手を差し出し手錠をかけられる大友。歩きだすと大友の主観視点になり、校舎の影からスーツ姿の男たちがあらわれる・・・(ハメられたか)・・・大友は死を覚悟する。だが、大友の眼前にあらわれたのは警官たちの姿とパトカーだった。
この時大友はあきらかに「安堵」するのだ。
自分の身の安全を確認して「安堵」する北野映画の北野武を見ることになろうとは・・・
今までの北野映画、そして北野武が演じてきた登場人物を思い出してみてほしい。かって北野映画で北野武がこのような身の処し方をしたことがあるだろうか?
そしてこのシーンを見たことにより、はっきりと理解することができた。「アウトレイジ」という映画のいつ果てるとも知れぬ暴力の連鎖に哀しさを感じたその理由を。
この体育館裏のシーンに象徴されるように、作品全体に北野武のもの哀しい視線を感じたからなのだ。
そのもの哀しさとは、かっての北野映画にあった死への渇望ではなく、生きることの恥ずかしさからくる諦念から生じていると思う。
人間や世界をみつめる視線の変化を、スタイルや語り口ではなく、人物の行動そのもので北野映画の変化を、すなわち自分の変化を伝える。このような映画作家は希有としかいいようがない。
体育館裏のシーンは北野武の透徹した諦観と哀しみがはっきりとあらわになった名場面だった。
そうした北野武自身の変化は発言からも読み取ることができる。週刊朝日6/18号「アウトレイジにいたる数学的映画観」より
岩切徹「「菊次郎の夏」(1999)も「アキレスと亀」(2008)も“1”についての物語です)“1”って何ですか?」
北野武「凄い難問だよね、1はなぜ1なのかって。(略)1を作るためには2が、2を作るには1が必要なんだよ」
岩切「0は?」
北野「0は考えないな、オレ。0の0乗は0だけど、1の0乗も2の0乗もあらゆる数の0乗は1だから、0は1として扱う」
数学の世界において「0」は「無」であり、映画の世界に置き換えればそれは「死」だろう。ここで北野武は「死」を考えないとはからずも宣言してしまっている。
北野武の発言は死にあふれているアウトレイジと矛盾しているように思える。だが、この「0は考えない」こそこの作品の大友の行動とぴったり符合するのだ。
そして「0」を考えていたかっての北野武を象徴するものこそ椎名桔平演じる水野である。アウトレイジのパンフレットで北野武はこう言っている。
「椎名さんが演じる水野って役をいかに殺すかというのが、いちばん気にしたところだね。カッコ良く死なれちゃ困る。映画のトーンに合わないからね。だから、いちばん残酷な手段で殺されることにしたの。本当は大友っていう俺の役がやられなきゃいけないんだけど、そっちはそれなりの普通の殺し方にしようって」ー北野武
そして北野演じる大友は逮捕される直前に刑事の片岡に水野の安否を真っ先にたずねている。なぜそこまで水野の死が強調されねばならなかったのか?
ここまで水野の死を象徴的に描いたのは、はっきりとしたわけがある。椎名桔平演じる水野こそ北野武が若ければ演じていた役であり、かっての北野映画で北野武自身が演じていたはずの存在だからにほかならない。
かっての自分自身の死を念入りに描き、年老いた今の自分は卑劣で醜悪な生を選ぶ。
アウトレイジで様々な趣向を凝らして死んでいったものたちこそかっての北野武自身なんだ。北野武は自分で昔の自分を殺していったんだよ。
0は考えず、1を考え、1になることを望んでいる一人の男。
それが今の北野武だと思う。
人間は、中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。ー寺山修司
「アウトレイジ」の続編「アウトレイジ ビヨンド」の批評「アウトレイジビヨンド完全読解」もあります。
アウトレイジ論すごく理解できました。
見終わった後、傑作ではないがなんかすっきりしない、なにか残る感触があり、答えを求めていたところです。
椎名氏演じる水野が武であることそして、かっこ悪く死ぬこと、、、なるほど。
です。
ですが、椎名桔平演じる水野を若い頃だったら武が演じていたっていうのは違うと思います。親分というポジションはソナチネでもbrotherでも武本人が演じてましたし、brotherの寺島(アウトレイジの水野のポジション)も親分の為なら命を張るという昔気質のヤクザを演じていました。今回もサウナのシーン(当初、椎名がやるはずだった)を武本人に変更したり、國村準をボディー一発で沈めたり、前にでようとするところは全く変わってないと思います。今回はいつもの北野組ではなく初めての大物俳優がたくさん出た群像劇なので、空気を読んで武が一歩引いたというのが正解じゃないかと思ってます。
公開時に見逃した『アウトレイジ』をこの度レンタルで観まして(実は加瀬君目当て)、目を覆いたくなるような暴力満載ながらもなんだか見ているうちから妙に悲しさに取り付かれていました。
それはどこから来るのだろう・・・と思いながら珍しくネットの映画感想を見ていて、殴られるつもりで体育館裏に参りましたが、そこで緻密で鋭いシンジさんの考察群に出会うことができました。
「見終わった後に情緒を感じる」との石橋蓮司さんの感じ方に同感です。
「情緒みたいなものをすべて切って」しまったためか、バイオレンスっぽいのにメンタル的には非常に禁欲的でプラトニックな趣。
「人はなぜこんなことをするのだろう」と、滑稽さと悲しみを感じます。
ここまででも十分なのに、その後の大友の行動への考察には痺れました。
>「生きていることは恥ずかしい・・・でも死ぬこともできない」
>この時大友はあきらかに「安堵」するのだ。
なんだかこの映画のたけしは、普段よりぼんやりとして精彩を欠くようにも感じていたのです。
それが、全員モンスター的な悪人じゃなく、弱さを併せ持っているということの証左にもなり、それにより全員のキャラクターの陰影がはっきりしたようにも思い当たりました。絶頂で怖いものなしに見える水野さえも同じく。
文芸路線に走らず、本線のヤクザ映画を作ることで、老成より老残の哀しみを表現したのかと思い、余計『アウトレイジ』が愛しくなりました。
インスピレーションを与えてくれる考察ありがとうございます。他の記事(観た映画中心に)も読ませて頂いて楽しんでいます。是非またお邪魔させて頂きたいのでよろしくお願いします!
>なんだかこの映画のたけしは、普段よりぼんやりとして精彩を欠くようにも感じていたのです。
まさに、そのとおり。自身の老いもエンタメ映画に取り入れてしまう、どんな映画にも自分が色濃く出てしまうさまはフェリーニにも比するものがあります。