eiga.comの「告白」評を読んであ然としたので批判しつつ「告白」評を書く。まずはその批評を読んで欲しい。
これは復讐譚ではなく、命の尊さを過激に教え諭す残酷寓話である
プロットだけを追えば救いようのないサスペンスに思える。しかし学校という現代社会の雛形と向き合う子供と大人は知っている。少年に愛娘を殺められ報復を企てる女教師、罪を犯した我が子を庇う母、自己中心的な熱血教師――彼らが繰り広げる絶望の連鎖に、一歩間違えれば誰もが引きずり込まれる危険性があることを。中島哲也はトレードマークの華美で過剰な戯画を封印し、時折ユーモアを散りばめロック音楽を被せつつ、13歳をめぐる殺伐とした今をポップな宗教画のようなタッチで描き出していく。
全ては独り語りによって進行するが、彼らは皆、虚空に向かってつぶやくよう。告白映像は必ずしも真実とはいえず、都合のいい解釈や妄想を多分に含むことを示唆する演出は、コミュニケーション不在を強化する。殺風景な画面、褪せた画調。曇天に覆われた校舎、ハイスピード撮影で捉えた暴力。そして祈りにも似たレディオヘッドの歌声。醸成されていくのは大人と子供の陰惨なバトルではなく、孤絶した者たちの魂の叫びに他ならない。
これは復讐譚ではない。学校崩壊の状況下、それでも教師としての性を全うしようとする女性が、子供の目線に降り命の尊さを過激に諭す残酷寓話である。同時期公開の北野武や井筒和幸が描くモラルなきモンスターどもの陰惨なだけの暴力と同列にみなしてはいけない。人間臭いゆえ泥沼にはまった者が抱える痛みと哀しみ。憎悪は反転し慈愛へと向かい、生きづらい時代の大きな物語に昇華する。ーeiga.com新作映画評より
「告白」観た気分がこの批評によって台無しにされた気分。
告白は現実をうつしだした映画なのか?まったく違う。
悪意というイメージを飾り立てたエンターテイメント映画にしかすぎない。それも素晴らしく出来のよいエンターテイメントだ。
清水節氏が比較して得意げに批判している「ヒーローショー」は「告白」と同列に語れるような映画ではない。
「ヒーローショー」はまさに現実そのものであり、そこにいるのは私たちだったかもしれない人たちだ。
私の「ヒーローショー」評はこちら
それに対し「告白」は年寄り連中がそう思いたいだけの「モンスター」としての子どもたち、悪意の固まりとしての子供という幻想でしかない。
年寄り連中はそんなに子どもたちを悪魔のようなモンスターにしたいのか?常に鬱屈し、人を殺しかねないような怪物に仕立て上げたいのか?
だが現実は違う、「戦前の少年犯罪」という著作で知られる管賀江留郎氏が指摘するように少年犯罪は戦後減少しつづけており、少年による殺人件数のピークは1948年に300人の大台に乗り1967年まで300人以上が続くが1968年以降減少しつづけ、2009年にいたっては犯罪を犯した未成年自体6年連続の減少。殺人件数は50件でしかない。
平成17年(2005)の年齢階層別殺人でも未成年の殺人件数は71人。30〜39歳は303人、40〜49歳は219人、50〜59歳は247人、60〜69歳は171人。70歳以上はそれでも未成年より多い74人だ。
少年の殺人率の低さと20歳代に匹敵する50歳代の高さが海外では見られない日本の特徴。ー少年犯罪データベースより
殺人件数でもお年寄り連中が10代を圧倒的に引き離している。映画「告白」では少年法によって不当に守られた子どもたち、という90年代に作られた古くさいイメージを元にモンスターとしての少年を裁くストーリーだが、そんなものはあなたがた年寄り連中の幻想でしかない。
「ヒーローショー」が今の現実をうつしだしている映画なら、「告白」はありもしない悪意というイメージを子供に押しつけているだけ、イメージとしての悪意、何を考えてるかわからない凶暴な少年という幻想としてのモンスターを描いているだけにすぎない。
>彼らが繰り広げる絶望の連鎖に、一歩間違えれば誰もが引きずり込まれる危険性がある。
のは「ヒーローショー」のほうであって「告白」ではない。
なぜなら「告白」は決して現実をうつしだした映画ではないからだ。
ここまで書いたら映画「告白」を批判しているように思われるかもしれない。だが実は違います。
「告白」はイメージとしての悪意をありとあらゆる手練手管であやつり描写しつくす大変よくできた犯罪エンターテイメントです。
そんなエンターテイメントを見て余韻に浸っているときに読んだのが
同時期公開の北野武や井筒和幸が描くモラルなきモンスターどもの陰惨なだけの暴力と同列にみなしてはいけない。
この最悪の批評だったので、おもわず映画「告白」まで嫌いになりかけたのを、グッと引き戻して書いていますw
松たか子演じる女性教師がリアルだなんて感じる人がいるのか?母親に注目してもらいたいがために人を殺すことになんら痛痒を感じない少年がリアルか?中学生や高校生が観てリアルに私たちを描いてました、というならともかく(いるとは思えないが)この映画がリアルだと感じるおじいちゃんたちに目を覚ませと言いたい。
ここにはリアルは微塵もない・・・だが、それでもこの映画は面白い。
この映画を「ノーカントリー」のシュガーVSハンニバル・レクターの対決だと思えば、面白さが伝わらないだろうか。この映画はまぎれもなく邪悪なまでの知性を持った怪物同士の頭脳ゲームだ。映画は「デスノート」的な興趣にあふれている。
「告白」原作者に切実な社会問題を訴える意図があっただろうか?俺は無いと思ってる。イメージとして作られた悪意を増幅させ、そこに「デスノート」的頭脳戦を盛り込む。
いわば学校問題を、親子関係を、子どもたちの問題を、その悪意だけを増幅、中島哲也の得意技「デコレート」して、さもそこにリアルな問題があるかのようによそおう。それこそ原作者と中島哲也の悪意以外のなにものでもない。
90年代おそらく酒鬼薔薇事件をもとに狂える子供たち、増加する一方の少年たちの凶悪犯罪という、先にも示したように完全にマスコミのねつ造した虚構が、現実に取って代わる。
そしてその虚構を信じたおっさん連中がマジメな顔して「これは復讐譚ではなく、命の尊さを過激に教え諭す残酷寓話である」などと抜かすのである。これほど滑稽なことがあるだろうか。
鬼の首でも取ったかのように子どもたちの凶悪犯罪をあげつらい、モンスターとしての子供をねつ造してまで憎悪するおやじたちの精神構造こそ、この映画が描こうとした悪意そのものだ。
原作者と中島哲也は見事に糞真面目な年寄り連中をだましきった。この二人こそ悪意の固まりだ。
eiga.comの映画評みたいにテンプレな受取りも世の中あるんだろうけども。
湊かなえの小説全般そうだけど、物事は一面的じゃなく、そこには人間の思惑、感情、それぞれの事実がある、ってのを描きたいだけで、今回のはそれが学校だったと。
バカ教師、バカ親に見えて実際は子供を想ってたり、モンスターな子供に見えても、その考えは単に悪いヤツを懲らしめたい、目立ちたい、勝りたいだったり、そういう生きた人間の普遍心理の延長に、狂気のフィクションを交え、瓦解していく姿を描いて娯楽作としているに過ぎないと思うんですが。実際、その人間の情念のうねりには圧倒されますし、映画はものの見事に映像化している。
多くの人はこんな上手い話がリアルだと思わないだろうし、子供が悪に描かれるだけで一方的憎悪だなんて思わないだろうし。それこそ一面的ですよね。
いい意味で深みのないエンターテインメントな本でした。
まさにハンニバルレクター的かと思います。
なので、現代の子供論とかと一緒にされないでほしいです。
あうとれいじ論も期待してます。
こちらは、なんとか週末に見たいと思っています。
まったく、まったく100%同感です。
教育学部を出た私が言いたかったこと全てを代弁していただいた気分です。
少年犯罪の増加のウソ・・・これは教育学部でしっかり習います。世間と教育関係者とのギャップがありそうですね。
興味深く批評を読ませていただきました。
私が思うに、この映画の売りは、『羅生門』的なストーリー展開
つまり、一つの事件の裏には様々な人物の思惑があることを見せて、
それが最後に一つの結末に収束していく、いわば伏線回収を楽しむ映画
であって、たまたま舞台が中学校になっただけで、
別段、作者や監督は「中学生の心の闇」や「少年法」について
書こうとしているわけではないと私は感じました。
この映画は「社会派」映画ではなく、「エンターテイメント」であるという意見には賛成です。
こどもが過ちを、こどもを殺してしまうような取り返しのつかないような過失をしたとき、死刑にするんでもなく、どうすればいいんだろうという映画かなと思いました。私は普段から被害者家族、加害者家族、更生だとか、社会生活だとか、どうしたらいいか、と考えています。酒鬼薔薇と名乗った男の子は死刑にならずに、、でも結婚したり幸せにもなれず、何のために生きてるんだろうと思います。
むしろ、告白の二人の男のこのように、同じ目にあえたらまだ、つらいけど生きていけるような気がしました。被害者の親、加害者の親、はどうやって生きていくんだろう、本当に苦しいと思います。被害者加害者本人たちよりむしろ苦しいかもしれません。松さんや木村佳乃さんが過剰に極端に演じるからこそ出せる狂った雰囲気はかえってリアルだと思います。
ちなみに私は、こどものとき加害者だったことに苛まれる人間です。加害者意識がある人には、良く見える作品なのかもしれませんね。原作の人も監督もなにかどうしょうもない思いを持ってるんじゃないか
鑑賞して面白いとか社会性とか問題提起とか、
そのような作品ではないと思います。(俳優の演技は別として)サスペンスのように指の隙間から覗き見するホラー映画とも違ってただ気持ち悪くて見て後悔しました。よい作品だという人の心がわかりません。その人たちは悪魔だと思う。
正直なところ、作品を通して伝えたいテーマというかメッセージが全くわかりませんでした。
全ての登場人物の行動の動機が幼稚すぎて人間の狂気を描けてさえいないし、社会に対する何らかの問題提起であるならピントがぼけすぎている。
負の連鎖の最終的な帰結も、深みの無いただの復讐に終わってしまっているし、何より安易に登場人物を殺しすぎている。もったいつけている割に一つ一つの死に意味がなさすぎてそこから汲み取るべきものがあまりに少ない。
シンジさんの言うようにこれはエンタテイメントにしかすぎないと感じました。でも、だとすれば、誰かが書いていたように娯楽にする題材が不適切すぎると思いました。読後感は不快以外の何物もありません。
100歩ゆずって表現の自由ですから書くのは自由としても、それに対して賞を与えたり絶賛するような論調があるということを知り愕然としました。
日本の文学レベルって今、この程度だということなのでしょうか。危機的なものを感じます。
「"少年=悪"。だからそれを更正したやった」"という原作のおそらくは意図的な欺瞞を、映画は最後の台詞たった一つで、「そんなもの幻想だ。ただ彼女は復讐したかったから、復讐したに過ぎない」という風にひっくり返して相対化してしまったのです。「結局同じ穴のムジナなんだ」と。
故に、映画は原作を超えた!というのが私の偏見です。
けどここをみてその違和感が、子供が悪だという一方的に決め付けるというステレオタイプな考え方というのが分かりました。
社会問題に切り込むわけでもなく、ただ人(原作者)の悪意を見せ付けて賞賛を浴びる文学って気持ち悪いものだなと。
せめてラストが彼女が法の裁きを受けて死刑やらなんやらすれば申し訳程度に「復讐はイカン」とオチをつけたほうがよかったと思います。
普段から心のどこかで、成人もしていないガキどもが調子にのりやがってという考えを抱いてしまっていたのですね。批評を拝見して、今更ながらに見事に釣られてしまったと痛感させられました。
未成年ももちろんですが、例えば勤め先の後輩に対しても、表面的な態度はどうであれ、潜在的にこの様な考えを抱いてしまっている自分を恥じる気持ちにさせられた素晴らしい考察だと思います。
ああ、そんなことにも気付かず痛快な映画だったと喜んでいた自分が情けない…。
だから、DVDで見た私と、映画で見た方々では見る角度がちょっとちがうかなーって思いました。
あと映画批評をみたからその映画もきらいになりそうになったってのがわけわからんよ・・・・
安心してみたいだけだから犯罪エンタテイメントってレッテルをはっているとおもいます。
それに私はこの映画をリアルとは思いません。極限にデフォルメ化されていますし、あまりにリアリティに欠けた人物、ストーリーです。
ちょっと現実の問題を茶化して味付けした程度、と考えてもいいのでは?
…若干感情が入ったでしょうか。
大人視点から一方的に子供をモンスターのように描いているとは思いませんでした。
むしろ、親の愛情が欲しいとか何をやっても上手くいかない挫折感とか、犯人の子も普通の子供なんだと言っているように思いました。
ただ、殺人に至る理由は確かに安易でしたね。
本当に殺意があったわりには計画性がなさすぎるし、事故から勢いで…というにも無理がある。
やっぱり、「殺人」というのは相当ハードルが高くどんなに悪いことをしている子でも、そこの一線というのは超えられない。ケンカの加減を知らず死なせてしまった…という結果はあっても、小さな子、しかも先生の子という身近な子を選んで殺すのも無理がある。
酒鬼薔薇のような子は、大人顔負けの知能を持ち、計画性に置いても恐ろしいぐらいに緻密に冷静に行う、もう凡人には到底理解できないレベルの異常性を持っていますよね。育った環境において親の愛情に飢えていたという要因もあったとしても、殺人や死姦という特殊な性癖を持つに至るまでには様々な要因があり、本人にもわからず、精神分析医でさえ困難なレベル。
まぁ、正直いってここまで行ったのなら、本当にモンスターのように感じますが…。
別に子供は悪だという間違ったイメージを助長しているとはおもいません。
少年犯罪が増加しているなどの誤ったイメージはどうかと思いますが。
殺人にしても毎年数十件起こっていますよね。
現実の世界で、実際に少年による凶悪犯罪が起ころうとも。
それを題材にして映画を描くのは、悪いイメージを助長するだけの虚構になるんですか?なぜ?
作品全体を見るとリアリティーが無いようにもおもえますが。
一つ一つを見ていくと、現実に起こり得ることです。
現にサイコパスはそんな理由でと思うような動機で人を殺すようなので。
彼らなりに殺す理由があっても、普通の人が理解できないからサイコパスなのであって。
当然普通の人間が殺人を犯すことのほうが多いかもしれませんが。
あなたもヒーローショー評で、登場人物が自分と同じ人間と言っているくらいですから。
あなたの少年時代を察するに、子供は悪だと決め付ける大人たちに、何か思うところがあるのかも知れませんが。
原作者や監督を悪人呼ばわりすることに驚きです。
少年犯罪を描くと悪人になるんですか?
それはあんまりじゃ(笑)それじゃ少年犯罪を描けないじゃないですか。
まるで子供は悪だと決め付ける大人たち並の過剰反応でしょう。
「命の尊さを過激に教え諭す残酷寓話である」
このに共感できないのは同じです。
書かれている通り、酒鬼薔薇事件などが背景にあるのだと思いますが、2010年だと時代的なズレを感じます。その意味でも教師にリアリティを感じませんね。