映画はライオネル・バリモア一家の基地外っぷりが存分に描かれていて最高に楽しい。でも物語自体は利益追求の銀行家が失っていた人間の善性というものを愉快なバリモア一家とのかかわりあいのなかで取り戻すという、いかにもキャプラ風の結末を迎える。いい映画だ、いい映画だけれども、しかし自分はいつからこういう人間の善性や善意が勝利するという話に眉唾をつけるようになったのだろう。実際今の日本で人間の善意や善性を信じる!みたいな映画が出てくるとまず間違いなく拒絶反応がくるだろう。
頭のよろしい方々にとって人間の善意や善性を肯定するというのは欺瞞に感じられるからなのか、また楽観的に人間や世界を肯定的に描くことは現状肯定につながる、反動だとでも言いたいのか。
おそらくキャプラが「素晴らしき哉、人生!」(1948)で興行的に失敗したのも、時代錯誤的というような冷めた批評があったからではないのだろうか。まるで目に浮かぶようだ、インテリ批評家連中が、キャプラを偽善、時代錯誤、反動などと批判するさまが。
だが、キャプラ作品はそんな批判をものともせず、甦った。むしろすべてをニヒリスティックに嘲笑するこの世界でこそキャプラ作品は光り輝く。
そしてフランク・キャプラのことを考えると、ある一人の現代の映画作家を思い出す・・・細田守のことである。
細田守はこう言う。
現代の日本の家族がテーマっていうと、たいがいシリアスでヘヴィーな問題として描かれてますよね。「家族の再生と喪失」とかさ。肯定的に現在の家族を捉えること自体、現代の日本映画で少ないと思ったわけ。家族同士で傷つけ合うとか、同じ家族なのにどうしてこんなに分かり合えないのか、とかっていうアプローチの方が、たぶん共感は得やすいんです。でもそうなってしまう状況そのものが、今の日本で家族を肯定的に捉えることの難しさの表れなんです。であるならばさ、現代の、ひょっとしたら問題大ありかもしれない日本の家族というものを、なかなか肯定する気になれないような世の中で、どうエンターテイメントとして肯定するか。それが現代日本で最も難しいチャレンジなんじゃないのかなって。もし自分に「家族」というモチーフを与えられたら、どう作るか。自分だったらどうやって家族に励まされたいかと考えた。それが一番今の世界で大事なことだと思えたので。ーサマーウォーズ公式ガイドブックより
キャプラの人間性や世界に対する肯定は時代の趨勢にあらがう蜂の一刺しだった。まさにそれはキャプラの精一杯の抵抗だった。
そして今また、時代の嘲笑にあらがう、たった一人だけの抵抗をこころみる映画作家細田守がいる。
映画誌「この映画がすごい」のサマーウォーズDVD紹介のページで森直人氏は保守的なところが受けたのだろうと揶揄したように書いていたが、森直人氏のその物言いはまるでキャプラをバカにしたかっての批評家たちと同じようだ。
細田守のあえてこの混沌とした世界を丸ごと肯定してやろうじゃないかというのは、蛮勇以外のなにものでもない。世界を肯定する=保守的=反動と考えるような頭の固い“保守的な”批評家にはそれがわからないのだ。
細田守よ、キャプラのように軽やかに世界を肯定せよ!
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後記・・以前からフランク・キャプラ=細田守説は思いついていたのですが、Twitterをやっていてその考えがまとまったので書きました。そのヒントをくれた方々のtweetを感謝を込めてここに残します。
「我が家の楽園」しかし俺はいつからこういう人間の善性や善意が勝利するという話に眉唾をつけるようになったのだろう。実際今人間の善意や善性を信じる!みたいな映画が出てくると途端に拒絶反応がくる。まずは散々否定されてきた家族や世界を肯定してあげるところからはじめるキャプラアプローチ。その後継者が細田守じゃないのか。キャプラも晩年は時代錯誤と笑われ、仕事を失っていった。でもいまだにキャプラ作品は見続けられている。以前思いついたF・キャプラ=細田守が結びついた。ーシンジのtweet
1950年代にアンチハッピーエンディングが登場した以降の世界を生きているからではないでしょうか。ただ世界はそれ以降、2週も3週もしている気がする。ー@kmrtwitさんのtweet
細田さんは『時かけ』のときに『素晴らしき哉、人生!』に言及されてましたものね。http://bit.ly/buHXAN (左記リンク「Q. 二十代後半の独身女性が観て面白い映画があれば教えてください」という質問への返答)ー@ryokikuzakiさんのtweet
細田 「色々とさっきから考えてたんですけどね。フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉人生』という古い映画がありますので、良かったら是非観てみてください。何か感じるものがあるかもわかりません。シナリオを作ってた時に、『素晴らしき哉人生』は良いよねって話をしてたんですよ。」
渡邊(プロデューサー) 「スタッフ内ブームが起きてましたね。」ー時をかける少女オールナイトの質疑応答
おお、自分の勝手な思いつきではなく、細田さんは明確にキャプラを意識してたんですね。世界や人間の暗黒を描く作家は腐るほど大勢います、そしてそれを過剰に評価する批評家も。細田さんには時代錯誤と言われようとキャプラを意識して欲しい。ーシンジ
細田守は幼児のころに『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』を観てしまった世代だと思うんです。その彼が敢てキャプラを推しかつ自らもキャプラで行こうと考えておりかつまた観るものにキャプラを感じさせるのだとしたら、そこに至る相当な思考があるように思います。ー@kmrtwitさんのtweet
自分はセブンや怪奇大作戦世代ではないのでわかりませんが、世界に対する失望や無関心をくぐりぬけて、世界を肯定しようとするまでにいたる細田守の思考というか心意気に感動します。ーシンジ
1.女子高生が結婚相手を連れてくる。
2.簡単にパスワードが解読される。数学オリンピック候補という設定が言い訳がましい。そもそも、その程度のレベルの人間に一晩で解読されるシステムって何なの?馬鹿なの?
3.OZUを作った人と破った人が偶然に出会う。
4.妾の子を大事に育てたのに、財産を持ち逃げ。
どれも御都合主義で幼稚なだけだと思う。
アニメーションやファンタジー映画で猫がしゃべっても、誰も抗議はしません。10mの高さの崖から落ちても、足がすりむけるだけだったとしてもアニメーションなら誰も文句は言いません。しかし、大統領に高校生が軍事戦略を講義したら、変でしょう。
このサマーウォーズという映画は、ただ単に幼稚であるように思われます。残念ですが、監督の細田守に将来性はないでしょう。
話を転がすためのギミックに対する野暮な突っ込みだけ
批評家としての将来性ないよ君w
この映画はギャグ漫画のような荒唐無稽な話ではなくリアルな設定であるように思います。それ故に、脚本に嘘くさいギミックは禁物だと思うのです。アニメーションはデフォルメや過剰な表現が許容され易いのです。私はこの点を指摘して幼稚であると言っているのです。大人が見るにはきつい映画であるとは思いませんか?
但し、コピペが多いですが(笑)。
私は1年以上、ネットに投稿、コメントしていません(本当です)。
私はシンジさんほどではありませんが、かつて映画好きでした。
だからこそ、SWの高評価が多いことに、私はショックでした。
映画マニアやオタクのような人にSW好きな人が多いことは、
彼等は意外なほど視野が狭いのではないか?という疑問を投げかけているように思えるのです。
私はエヴァンゲリオンも庵野秀明も知りません。普通の人は、知らないはずです。
余計なお世話かもしれませんが、視野が狭いことを証明するためにシリーズ1〜3を
あえて投稿することにしました。
少々、上から目線になることを許してください。
恐らく、私の方がシンジさんより年上であること、
少しだけ視野が広いと思われるので(根拠はありませんが・・・)。
個人的にはシンジさんには感謝しています。’山城新伍=張飛’説や東映城の攻防、
ホッタラケの島大コケなど私の知らないことばかり。そもそもホッタラケの島なんて
私は知らないのです。やはりマニアは違います。
しかし、心を鬼にして爆弾を投下することにしました。
特にHALTANさんや太田述正(のぶまさ)氏の冷酷にして正確な分析に脱帽しています。
この二人の慧眼によって、私は進歩出来たと感謝しています。
誰も論理的な反論をしてくれませんね。保守思想とか映画評論家は関係ありません。
ただ、細田さんの評価は厳しすぎたかもしれません。脚本が悪いのだから良い脚本に
恵まれれば、いい映画が出来るかも。
時をかける少女→ギミックが上手なのでタイムスリップという荒唐無稽な話が
リアルに感じられる。だから、ヒロインが魅力的。
サマーウォーズ→ギミックが下手なのでリアルな話が荒唐無稽に感じられる。
だから、ヒーローもヒロインも薄っぺらい。
(オタクの妄想のようなキャラクター)
googleで「サマーウォーズ ひどい」の語句で検索をかけてみたら、
私と同じ見解の人を発見しました。どうやら、私より頭が良いようですね、
私の見解と酷似している。というより負けました(笑)。
私の見解→脚本が幼稚すぎる。
↓この人の見解→アニメ脚本の典型的な失敗例
以下はコピペです。↓
オタク商品研究所plus
アニメとストーリー(サマーウォーズネタバレ注意)
サマーウォーズはアニメ脚本の典型的な失敗例だと思ってます。
ストーリーのために、必然がゆがめられている。
これに付きます。基本的な内容は、夏休み旧家で世界的な騒動に巻き込まれる。といったもの。 これを各個の視点でストーリーを語ると
「夏休みに、美人の先輩のうちにバイトに行ったら、嘘彼氏でびっくり。
そしたらたまたまOZのハッキングAI事件があって、(中略)最後は運良く
暗算で正解しちゃった」(主人公)
「夏休みに、おばあちゃん騙そうと思って、適当な偽彼氏連れて行ったら、
たまたま数学オリンピック級のスキル持ってたの。眼中になかったけど、
泣いてるときに手を握らせたのよ。ちょっといいかなー」(ヒロイン)
「俺、超ゲーマーなんだけど親戚うぜえ。ばあちゃんの誕生会連れていかれたら
OZ騒動があって、たまたまアクセス出来る人間がそこにいたんだよ」(ゲーマー)
「いやー、僕。なんでも乗っ取れてゲーム大好きなんすけど、
たまたま花札だけは負けちゃったんすよ」(おでかけAI)
最悪なのは90歳のおばあちゃん。 ポックリ行く布石は、
・事前に伏せっている・興奮して倒れ込んでいる。で良いにしても初登場以来ですね
・目の前で挙動不審な行動をしている男を、彼氏だと認定。
仮に嘘だと見抜いていても、挨拶しちゃった以上正式なものになる。(要はもうボケている)
・その嘘彼氏を当人の意思確認もなく、くっつけようとする。
・長男の妾の子を引き取って大事に育てたわりには、財産持ち逃げされる。
・長男の妾の子を殺そうとして失敗。でも帰ってきたら迎えてあげてとか書き残してる行動不一致。
・なんか起こってる事件をいきなり「戦争」認定。
・自分がなんとかできると妄想行動。
・災害対策で忙しい中に電話をかけまくり。
・最終的には一家のアバター集めぐらいにしか役に立っていない。
要するに登場人物の動きがストーリーに合わせているだけで、必然の行動ではないのです。
アニメのシナリオがよく陥りがちなことですが、サマーウォーズは特段ひどい。
昔のアニメの方が面白かったとか言う人がいますが、多分その面白いと思ったアニメは、
登場人物の行動原理が丹念に描かれているものだと思います。
「時をかける少女」はたまたま時間移動に巻き込まれたヒロインが、
最後には友達と別れざるを得なくなるという、「決定事項」に振り回されてる訳ですが、
やはり感情面行動面がちゃんと書かれているから、見ていて気持ちよくスッキリ終わるわけです。
不自然な内容であっても、最後にサッパリ合致させるのがいい映画というもので、
雰囲気だけでは、どうにもならないと思うのです。
コピペ終了↑
そもそもリアリティのない設定が多すぎでしょう。
90歳のおばあちゃんが女子高生の孫娘の結婚を心配している。そんなアホな!孫娘が35歳なら説得力があるでしょうが、馬鹿馬鹿しいこの設定がオタク好みのように
思われます。気のきいた脚本家なら、もっと説得力のある展開を考えるでしょう。
変更→90歳のおばあちゃんが完全にぼけてしまい、孫を自分の末娘と
勘違いしているとか(末娘は30歳の時、交通事故で死んでいる)。
孫はかつての自分の娘にそっくりだ(笑)。
オリジナル→妾の子がOZUを開発。主人公がパスワードを偶然、解読してしまう。
主人公は数学オリンピックの候補(御都合主義のオンパレード)。
変更→妾の子がOZUを開発する必然性なし。ハッカー集団と暗号のプロが
パスワードを解明。
主人公が数学的才能でハッカー集団の秘密を知ってしまう。
※ちなみに、第二次大戦中のドイツ軍が使用したエニグマの暗号が完全に解読された
のは2006年だそうです。しかも世界中のパソコンを、つなげて成功したそうです。
他にも挙げようと思えば、いくらでもある。
ようするに御都合主義ではダメと言っている。ストーリーが御都合主義なので、
リアリティがない。だから登場人物にリアリティが作れず、魅力がない。
絵がうまくても、演出が出来ても脚本の不備はカバー出来ない。
細田さんはそのことにすら、なぜか無頓着。
SWが好きな人から野暮な突っ込みが入りそうだ(笑)。
あざとい設定の大家族に巻き起こるリアリティゼロの事件。
どこか記号のようなキャラクターの登場人物たち、あざといね〜。
絵の構図や色使いは褒めることが出来ても、感動はどう考えても無理だ。
私は1ヶ月ほど前に、中国の動画サイトから宮崎駿の『となりのトトロ』を
初めて見ました(けしからん)。
『となりのトトロ』→ 生き生きとした現実感のある姉妹と詩情に満ちたストーリー。
『サマーウォーズ』→ オタク好みのキャラとSWで起こる事件のわざとらしさ。
比較するのが馬鹿らしいですね。
私が子供向け映画と幼稚な映画について考察した背景には、二つの映画の
違いが対照的であると感じたからです。
『となりのトトロ』→ 子供向けなのに大人を感動させる力がある。
『サマーウォーズ』→ 大人向けなのに幼稚すぎる。
※私はロリコンでもアニメオタクでもありません。アメリカの映画評論家roger ebertは
『my neighbor totoro』をgreat moviesに分類しています。great moviesには
『god father』や『rashomon』もあります。
’roger ebert’で検索してみてください。
厳しいようですが私やオタク商品研究所plus氏の方が、
批評家にふさわしいようですね。W
私はかつてアメリカ映画のマーケティング優先ぶりに不快な感情を持っていました。
そして常に、映画をTVドラマより格下とみなし、馬鹿にしてきました。
私は'HALTANの日記’を読んで自分の甘い認識を反省しました。
思い当たることがいっぱいあったのです。
深夜にテレビで黒沢清の『ドッペルゲンガー』を見てあまりにもつまらないので寝てしまった。
この映画、ヒットしなかったようだ(一般大衆は正直ですね)。
海外ドラマ『ホーンブロワー 海の勇者』は恐ろしくレベルが高かった。
2時間ドラマ『横山秀夫サスペンス モノクロームの反転』は面白かった。
段田安則、伊武雅刀、石橋凌は素晴しかった。黒沢清の映画より価値がある(笑)。
日本マンガ界もテレビ界もマーケティング優先で、自由競争をしている。
日本の映画界だけが競争をしていないようだ。
私は西川美和さんの映画『ゆれる』を見て感動した記憶があります。
ですが『ディア・ドクター』には疑問符がつきます。
あなたが偽医者にかかっていたと仮定してみて下さい。偽医者がばれた時、
あなたなら、すぐに他の医者にかかるのではないですか?その時のコストは?
もし、病気が悪化していたら、誰の責任ですか?
ベテランの看護婦は偽医者を見抜いた段階で、すぐに通報するべきでは?
そもそもベテランの看護婦は偽医者を簡単に見抜くのではないですか?
私は、仕事の関係で大病院の外科から心療内科までの医者を見た経験があります。
休日には専門医でもオールラウンドな判断をしなければなりません。
映画の中の鶴瓶さんも基本は同じです。
映画の中では、偽医者がばれないための説得力のある設定は、なかったように
思います。そもそも、そんな設定があるなら、このドラマにスリルは生まれにくい。
私の大学の医学部の先輩は共通一時試験が1000点満点の時代に900点以上の
成績だったそうです。他の学部なら東大にも入れそうだ(笑)。
黒沢清を知らないくせに、TVドラマを褒めるなんて、お前はバカか?
西川美和は天才だぞ!そんな怒りの声が聞こえてきそうです。
私は西川美和の文学的才能に敬服していますが『ディア・ドクター』は
果たして傑作なのか?
評論家からマスコミ、映画オタクまで『ディア・ドクター』は絶賛の嵐のようです。
しかし、もしUSAなら、この映画はインディーズかインデペンダント映画の扱いと
なり話題にもならず、評価は賛否両論となるのではないでしょうか?
私はこのことをHALTANさんのブログから学びました。
続く
HALTANの日記
↓以下はコピペ
・・・「技術」のない偽医者が「思いやり」だけで「医療」を行う!?
偽医者の無資格診療など危険極まりない。医学部(とくに国医)が難関であり、
また学部生時代から初めてそれなりの医者になるまでにそれなりの努力と修練を
要求されるには理由があるのだ→医者は本来はそれだけ高度な専門職なんだよ。
・・・また医者=「赤ひげ」のような善意の超人でなくてはならない、
この我々素人の(場合によっては本職の医療労働者さえ抱いている)
思い込みがどれだけリアルで医者を燃え尽きさせ潰してしまったことだろうか?
万が一、実際の映画もその程度の中身しかないとすれば
(さすがに素の西川さんはここまでストレートに「馬鹿」ではないと思うが)、
そんなくだらない映画などますます作るべきではない。
まあロケ地を「スタッフとお金を出し合って共同でここに別荘を
買おうかって話しているんです。食べ物も美味しいし、人も優しいところですね」
とまで褒め称えた西川さんも、いっそ本当に「偽医者」しか来ないような
「無医村」に移り住んでみればいいんじゃねえか?
西川さんの映画に関してはさっきたまたまネタバレを読んでしまい
(もっとも別にあの設定を隠してもいないようだが)、
「この設定じゃ早坂暁の『夢千代日記』のケーシー高峰と同じじゃんw」
とガッカリしてしまった。主人公(鶴瓶)の失踪と彼が隠し通してきたある
「秘密」・・・この程度のネタならそれこそ
アメドラの『FBI 失踪者を追え!』Without a Trace では毎回やってるだろ(爆)
しかもドラマのストレートな面白さとしては絶対にWithout a Traceの方が
遥かに上に決まっている
(「観てない」のに好き勝手言うね、我ながらwww
Without a Traceはシーズン3までは結構観たよ)
そもそも(ちょっと具体例が出てきませんが)今の日本の
「単館系」監督が作り込む程度のキャラクターやドラマなど、
アメドラなどではエンタテインメントの中で普通にこなしている
レベルに過ぎないのではないだろうか? 少しあの描写やセット・キャラクターが
凝っていていいとかその程度のことで評価され過ぎなんじゃないの?
今の日本の映画・TVの制作条件ではそうした作り込みに時間とお金を
使うだけで力尽きてしまうから自ずと評価のハードルも下がってしまうのかもしれない
[映画から遠く離れて]「技術不足」「現場の余裕不足」の監督が撮り
「映画(ドラマ)を知らない」一般観客が観て「通を気取りたい」
シネフィル・映画ジャーナリズムが誉め殺しする・・・ガラパゴスの日本映画
たまたまネットをウロウロしていて知ったんですけど・・・。
09年に公開された日本映画で、たぶん09年度の映画賞・ベストテンを
総舐めしそうな某映画の監督さんって、現場ではこんな感じなんだそ〜です
(別にゴシップというわけでもなく、御本人がインタビューで自ら語っていたらしい話も含む)
脚本も自分で書くが(現在の自分の演出の実力を踏まえた上で)
現場で撮れる範囲内のことしか書かないことにしている。
俳優には基本的に任せている。心理などは説明するが細かい演技はつけない。
・・・本当はもっと色々書いてあったんですけどね。まあ要約すると上の二行に尽きると。
・・・要するに監督としては本当に「何もしていない」らしい・・・orz
今まで拙ブログで書いてきたことは我ながら大して的外れでもなかったんだな〜と
手前味噌にも思う。
(1)要するに今の日本の監督の多くは単に技術が無く、「下手」で、
俳優の動かし方さえ知らない。
・・・それが「作家性」「わざと素朴に撮っている」と好意的に誤解されているのだろう。
↑コピペ終了
続く
ALTANさんは厳しいですね〜。ネットには鶴瓶や八千草薫の演技や存在感を褒め称える
声にあふれているようです。HALTANさんの認識はこれです。↓
残念ですが、日本映画界は製作のシステムが崩壊しています。
そのために、映画製作者と観客のレベルが低下して、偽医者のようなチマチマしたテーマの
映画を「通を気取りたい」シネフィル・映画ジャーナリズムが誉め殺しする・・・
恐らく、アメリカではTVレベルでいくらでもやっている話なので話題にもならない。
アメリカは映画やドラマを作る層、見る層が厚い。
日本人は日本の「物語媒体」の衰弱にもっと本質的危機感を持たなければ・・・
経済悪化に伴って、日本映画界、テレビ界はドラマを作る機会は減っていく。
1970年代以降の日本のプロデューサー・監督たちは如何にスポンサーを騙して
「誰も観ない」映画を濫作し、しかも1円の黒字も出せなかったか?
’HALTANの日記’の中の過去ログをよく読んでみることをお勧めします。
シネカノン、是枝、黒沢明、黒沢清、で検索してみてください。
HALTANさんの意見に同意する必要はありません。私もすべてに同意する気はありません。
考えるヒントには、なるのではないでしょうか? シリーズ2 終
私にはアニメの詳しい知識はありません。最近になって、宮崎駿の思想に興味を
持ったので宮崎アニメをテレビでやる時は録画して見るようにしています。
押井守の映画は『イノセンス』しか知りません。アニメといえば、
宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999のイメージしか残っていない私は、その映像の
素晴しさにショックを受けました。しかし、中身の難解さには閉口しました。
オタクやインテリはいろいろと詮索するのでしょうが、本当は無内容なのではないかと
勘繰っています。なにしろ、会話に荘子が出てくるのです。中身が何もないことを
隠すために、いろいろと小難しい屁理屈をつける。
最近、この見方が正しいのではないかという援軍を得ました。
↓以下コピペ
太田述正コラム#3857(2010.2.28)
<皆さんとディスカッション(続x758)>
そうそう、オフ会の2次会の時に、『パトレイバー2』の映画評はいつ出るのだと
いう質問が出ました。
その時もお答えしたのですが、映画評を書くつもりはありません。
メカオタク(メカフェチ)の押井監督の、自身で創造(想像)したメカや
自衛隊(的)メカ等、自分が好きなメカが先にあって、同監督が、それらを
視覚刺激的に動かすために必要な最小限のストーリーを無理矢理でっちあげた作品が
『パトレイバー2』だとしか言いようのないほど、この映画のストーリーは日本や世界の
実態と何の関係もないばかばかしいものであって、そうである以上、太田流評論の出る幕が
ないからです。
そこを強いて評すれば、この作品は、押井監督を始めとする最近の大部分の
日本人の頭の中の漂泊者のようなカラッポさとアンニュイを忠実に映し出している、
といったところでしょうか。
熱狂的押井ファンの逆鱗に触れたかな。
こわいこわい。
↑コピペ終了
『スカイ・クロア』本作はヴェネチア国際映画祭で反響があり多くの海内メディアから
取材を受けたが、主な質問は物語そのものではなく、「現実に少年少女が兵士として徴用され、
命を散らしているのに、「生を実感するため」などという空虚な理由のために戦うなどという
作品は、フィクションであるとしてもどうか」など世界観についてであった。(Wikipediaより)
『スカイ・クロア』の映画化は原作者の依頼によるものなので、厳密には押井守の思想とは
断定出来ませんが、ヴェネチア国際映画祭では一般客が途中で退席、新聞は酷評。
こんな内容では、そんなの当たり前ではないですか?
最新作は『ASSAULT GIRLS』、〈アヴァロン(f)〉と呼ばれる仮想空間と、そこで飽くことなく
繰り返される“狩り”という名のプレイ。見渡す限りの大荒野と、砂煙をあげて疾走する
巨大モンスター〈スナクジラ〉の群れ。迷彩戦闘機を操るスナイパー、
変幻自在に姿を変える女魔導師、馬を駆りアサルトライフルを抱えた女戦士。
対戦車砲をかついで荒野をさすらう大男。そして、彼女たちを空中から監視し続ける
〈ゲームマスター〉……。(公式サイトより)
まんまテレビゲームではないですか?
私の直感と太田氏の評論は、どちらも当っているようです。
映画を見ていないのに、批評するな!熱狂的押井ファンの怒りが聞こえてきそうです。
HALTANさんもアニメオタクに厳しい意見を述べていましたが・・・
太田述正さんのブログのテーマは、アングロサクソン研究と日本の将来についての
広範な考察です。マキアヴェッリとヒットラー、南京事件と米国の原罪、などのコラム
を読めば尋常でない太田さんの頭脳に感服することでしょう。
そして、恐ろしい結論に到達するかもしれません。
押井監督を始めとする最近の大部分の
日本人の頭の中の漂泊者のようなカラッポさとアンニュイさは何が原因なのか?
↓
ANSWER 安全保障をアメリカに丸投げし、経済成長に専念する吉田ドクトリンを長きにわたって
続けたたために、政治家が堕落し、一般大衆にもその汚染が蔓延するようになった。
オタクの出現とその無内容さは、その象徴に思えてなりません。
私は保守思想家でも右翼でもありません。太田述正ブログを読み続けてきた私の結論に、
賛意を求める気はありません。
ただ、考える糧にして欲しいだけです。
シリーズ2 HALTANの日記
シリーズ3 太田述正ブログ お勧めです。
終
までは読んだ。
映画評に客観的で確実な真実という物は存在せず、あるのは解釈だけ。takahashiさんがどれだけ論理的に分析していてもそれは解釈でしかない。唯一絶対に正しい映画評などないのです。
要するに好きな映画は人それぞれなので気楽に映画を楽しみましょうということです。
あと長文はご自分のブログでお願いします。
正直に言うと、コメントした後に自分の醜さに嫌悪感を抱いていたのです。
1 ’爆弾を投下してやる’という傲慢さ。
2 押井守を批判することによってオタク全体を批判することは論理の飛躍であり、学者や評論家 の偏見そのものでしかない。そもそも自分自身が映画オタクそのものではないか?
3 『サマーウォーズ』を酷評して喜んでいたのではないか?別のブログでOZUの描写の素晴しさ、 独特の浮遊感を作りだすカメラワーク、村上隆とルイ・ヴィトンのアニメーションプロジェクト「SUPERFLAT MONOGRAM」を監督したのは細田守であること、等の批評を知りました。どれも 自分にはない視点であり納得しました。確かにOZUの描写は人間技とは思えません。自分の独善性に恥じ入りました。
確かに’唯一絶対に正しい映画評などない’のです。映画はただの娯楽にすぎません。ただHALTANさんの分析には耳を傾けて欲しいと願っています。’日本映画界は製作のシステムが崩壊している’という認識は客観性があると考えられるからです。
シンジさんの面白い視点は興味深い。私は、北野武が時折、ひどい映画を作るのが不思議でならなかったのですがシンジさんのブログで納得しました。今後もブログに期待しています。
最後まで長文で申し訳ありません。私の’誠意の証’と解釈してください。
自分の傲慢さと独善性を反省しています。
’本当に申し訳ありませんでした。’
このブログでコメントする資格はありません。
今後、コメントはしません。