2010年03月24日

押井守が語る北野武

押井守の「勝つために戦え監督篇」が死ぬほど面白い。古今東西の映画監督を押井守独自の勝敗論から語るという一冊。色んな著名監督、ヒッチコックだとか、タルコフスキーだとかJ・キャメロンを語っているんだけど、自分は北野武ファンなので押井守の語る北野武が一番気になる。ということでどんなことを語っているのかというと・・・

押井守・基本的に全部見てるし好きな監督の一人。僕としてはかなりシンパシーを感じてる監督だよ。

僕は基本的に(北野武は)間合いの人だと思ってるよ。あと意外にもと言うか、実はカメラワークに長けた人。それは「キッズ・リターン」なんかを観ればわかるよ。あのカメラワークはすごいなと思ったもん。

ー(質問者)カメラマンにはどれぐらい指示してるんですかね。

押井・納富貴久男さん(銃の発砲、弾着など特殊効果の第一人者)に聞いたんだけど、やっぱりかなり指示してるらしいよ。

押井・納富さんの話ではとにかく段取りのいい人で無駄なことをしないんだって。忙しい人だから、最小限の時間で最大の成果をいかに獲得するかを考えてるみたい。だからカメラのポジションから撮る順番から段取りまで、すべてがとにかくクレバーな監督だって。もっとも納富さんはクレバーな監督しか評価しないんだけどさ(笑)

確かにキッズ・リターンのキャメラワークは秀逸。オープニングの移動撮影にもしびれたけど、なんてことはないボクシングジムに入っていく安藤政信を後ろから追ってゆくシーンにステディカムを使用したりしていた。殿は(早く帰りたいから)早撮りフィックスだけの作家じゃね〜ぞ!(枠内シンジ)

押井・異業種の監督でなぜたけしだけが成功したのかっていうと、彼の映画を作っちゃったからだよ。僕がよく言ってる<発明>だけど、「キタノ映画」っていうものを発明しちゃったんだよね。憧れなんかでは全然作ってない。他の監督はだいたい、いいシーンを撮ろうとか、いいショットを撮ろうとか、名シーンを撮ろうとか考えてる。でもいい絵を撮ろうと思ってる限りいい絵にならないのが映画なんだから。PVだったらそれでいいんだけど。あの人は頭のいい人だから、自分がどこで勝負すべきなのかっていうのを考えたと思うよ。だって一本目から確立されてるからね。

これもわかる。北野武は初期の作品ではいいシーンとかいいショットを撮ろうなんてこれっぽっちも考えてはいなかったはず。ソナチネなんかでは意識しなくても凄いショットが撮れていたのが、「HANA-BI」(1998)以降、ショットや間合いにずれが・・・

ー(北野映画の暴力は)それまでの深作欣二さんとか、日本映画の暴力映画の系譜から見ても・・・・・。

押井・全然異質だと思うね。たけしの映画からは怒りとかそういうものをいっさい感じないし、むしろ虚無的だよね。あの呆気なさというか、情もなければ怒りもない。人間の生の暴力っていうか。「ソナチネ」だったかな?エレベーターのなかでボカンボカンというのがあったけど「すげえな」と思ったもん。ああいうのはやっぱり日本映画の系譜には全然ないよね。ペキンパーとも違うと思う。ペキンパーの場合はもっと情緒みたいなのが出るからね。暴力そのものに悲しさみたいなのが出てくるけど、たけしにはないもん。ずっと虚無的なまんま。なんか風景のようにというか、みんな日常行為と同じように撮ってるというかさ。もちろん明らかに意識的にやってる。あえてロングで撮ったりとかね。あるいはワンショット入ったりとかね。すごく「風景」なんだよね。

北野映画の暴力を「風景」というのは、まさにそのとおりだな〜と。黒沢清監督ももろにそうですよね。暴力や死をなんてことはない「風景」や「日常行為」のように描く。最近黒沢清の「蛇の道」(1998)を見たんですけど、心底ぞっとしました。人の命は羽毛より軽いことを「風景」として描くことの恐ろしさ。

ーたけしの映画の中には、評価のしにくいお笑い系の映画があるじゃないですか。

押井・たけしの中ではやる理由がきっとあるんだろうね。たけしの場合は自他共に認める自分の作風みたいなものがあるわけだけど、「そういう監督なんだ」って思われちゃうのが自分自身で嫌なんじゃないかな。

ーフィルモグラフィーを並べた時に「そろそろこういうのが入っとかないとな」という感じで撮ってる感じがします。

押井・明らかに意図的に撮ってるよね。3〜4本に1本ぐらい必ず入ってくる、世に言うたけしのしょうもない映画っていうのは、僕は全体のなかで機能してると思うよ。あれによって、時々とんでもないものを作っちゃって大失敗するんだ、という評価を世間的に獲得してるんだから。次々と失敗できない企画が回ってくるハリウッドの監督に比べたら全然プレッシャーないもん。

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押井守の北野武論で最も核心を突いているのが、ここ。北野武は意図的に失敗作を定期的に作っている。そしてそのしょうもない失敗作が北野武のフィルモグラフィー全体でみれば見事に機能している。

北野武は「座頭市」(2003)がヒットした時こう言っている「これであと2本は失敗できるな」と。その予言どおり、立て続けに酷評、大コケの作品を撮った後、今年6月公開の「アウトレイジ」で評価を一変させるつもりなのだ(予定)。これは北野武/ビートたけしファンにはおなじみの「振り子理論」というやつです。(とは言ってもアウトレイジが駄作なら、殿のもくろみも崩れ去るんだけどw)

北野武が自身のフィルモグラフィーやキャリアを全体として考えているとするなら、北野がどんな作品を自身の遺作にするかは想像がつく。間違いなく、どうしようもないほどくだらない、しょうもないバカ映画を撮って自身のフィルモグラフィーを完成させ、世界中の北野映画ファンを煙にまいて、最後っ屁をかますつもりだろう。いままで映画作家づらしてきたけど、全部嘘なんだよ〜だ。バッカじゃね〜の、と。

「こんなえいがにまじになっちゃってどうするの」


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posted by シンジ at 17:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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押井守、宮崎駿とジェームズ・キャメロンを負け組扱い
Excerpt: 1 名前: ママカリ(catv?)[] 投稿日:2010/05/07(金) 18:42:18.57 ID:hOrodoNC押井守の勝敗論第2弾 名匠巨匠をぶった斬る『勝つために戦え! 監督篇』(略..
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