2010年02月18日

夢もなく才能もなく金もなきゃ生きてちゃいけないのか「ボーイズ・オン・ザ・ラン」

この映画は人にはすすめない、恥ずかしいから。なぜならこのスクリーンにうつっているのは俺だから。

俺はシネフィルぶって「ノーカントリー」や「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」みたいな映画なんぞを理屈をこねて褒め称えたりする。ごめん、それ全部ウソだわ。ノーカントリーやゼア・ウィル・ビー・ブラッドには微塵も俺が存在しない、いいかえれば感情移入するべきモノが何ひとつない。

シネフィルぶりっ子の俺は感情移入できなくたって傑作はある、と建前上は言ってきたけど、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を見てわかった。スクリーンの中に俺がいなきゃ、その映画は俺にとってはなんの意味もないって事を。

スクリーンの中に自分を見つけてしまったらどうなるか?

批評は完全に意味をなさなくなる。ただ客席の暗闇の中で恥ずかしさと痛さで身もだえするだけ。

スクリーンの中に自分を見つけることはめったにない、ボーイズ・オン・ザ・ランはキッズ・リターン以来はじめてスクリーンの中に自分がいたー「これは俺の映画だ」

人生に負け続ける男、峯田和伸演じる田西はこれがきっかけで大きく人生を変える事はないだろう。これからもオナニーをし続け、恥をかき続け、女から振られまくる。負け犬人生を歩み続けるだけだ。

だが、それがどうした?俺の心の師匠北野武は言う

「夢もなく才能もなく金もなきゃ生きてちゃいけないのかって」


夢もなく才能もなく金もなく誰からも愛されなくたって、それがなんだってんだ。

「世間じゃよく、どうせ死ぬんだから楽しく生きようなんていうけど、オイラは逆で、どうせ後で死んで身軽になるんだから、生きてるうちはヒドイ目に会おう、辛く生きようと思ってる。幸せになろうなんて、考えてないね」


田西も俺も一生ヒドイ目にあい続け、一生満ち足りるような事はないかもしれないが、それがどうした。

それが人間だバカヤロウ。

黒川芽以演じるちはるみたいなビッチに惚れるなんてバカじゃないの、とかいう奴こそバカじゃないの。

「どんな女に惚れてもそれが利口なんだ。いちばん馬鹿なのは何もしないで老いぼれることだ」ー「ラストショー」(1971)


どうせ負け続けの人生なんだ、どんな糞ビッチでもいいから本気で愛したもん勝ちなんだよ。

2010年俺のベスト1映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」

でもこの映画は誰にも見せたくない。俺の映画、俺だけの映画。

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追記・・・感情のおもむくまま勢いで書き殴ったのを後から読むとかなり赤面するが、昔の自分を思い出して恥ずかしさと屈辱に身もだえするのも人生の一部だ。

冷静になって映画の事を考えると、峯田和伸はホントにすげえな。電話で相手に啖呵を切るシーンと、ラストの電車での別れのシーンの感情の爆発は今思い出しても鳥肌が立つ。

日本の映画界は絶対に峯田和伸を手離したらだめだ。この男は映画に愛されている。
posted by シンジ at 19:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
モテキはきれいな非モテ漫画
ボーイズ・オン・ザ・ランはその分実直だ
Posted by at 2010年02月19日 03:52
子供の頃はウルトラマンになりたった。思春期の頃はロックミュージシャンになりたかった。大学生の頃は一流企業のサラリーマンになりたかった。今、何にもなれなかった人は田西になればいい。だって田西は負けても誰かの為、自分の為に立ち向かっていくんだもんカッコいいよ。
Posted by ゆうき at 2010年02月19日 18:36
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