ブルーレイの七人の侍はセリフがはっきり聞き取れるという噂があったが・・・実際は氷川竜介氏がTwitterでこう書いている
『七人の侍』ブルーレイ、簡単に確認しました。画像はHDとして細かくなってますが、ネガ傷や現像ムラを修復してる羅生門レベルではないです。音声は多少は聞きやすくなってますが、相変わらずこもり気味なので、聞こえないとこは聞こえないです。
ー残念w
ーテレビと映画の違い
沈まぬ太陽を見てテレビと映画の演出の違いについて考える。映画とテレビの違いについては自分の中の基準は黒沢清かもしれない・・いまはまだはっきりとは考えがまとまらないが・・。
沈まぬ太陽がXとY軸しか使っていないテレビ的演出なら、黒沢清はXとY軸とZ軸をも画面構造に取り入れているとはいえまいか。
沈まぬ太陽の監督若松節朗は決して黒沢清の「トウキョウソナタ」の冒頭のようなカーテンが風で揺らめく演出はできないのだ。それが映画のZ軸というものだ。
若松節朗の演出はきわめて2次元的で、そこで表出されるのは登場人物とその場所でしかない。ようは画面で構成されるものはすべてその場の説明でしかないのだ。
黒沢清は違う。黒沢清は説明以外の説明がつかない何ものかを画面に現出せしめる。それが映画演出のZ軸だ。
映画演出とテレビ演出の違いについてはまだまだ考察中なのでここまで。
ー高峰秀子について
高峰秀子の映画はたくさん観ている。好きな映画監督が成瀬巳喜男と木下恵介だと必然的に“デコ”の顔ばかり見ることになるからだ。
「わたしの渡世日記」は驚くべき事実ばかりで読んでいて「えーっ!」とか「マジで!?」とかつぶやいてしまう。とくに東海林太郎の養女となっていた2年間はそれだけでも1冊の本にできるんじゃないかという奇妙さ。黒澤明との恋についてももっと読みたかった。
わたしの渡世日記の中で好きなエピソード
〜子爵のお姫様東坊城英子が女優になることに宮中は大反対。しかし大正天皇の后である貞明皇后は「女優になることがなぜいけないのですか?職業に貴賎はありません」その一言で東坊城英子は女優入江たか子になった。
ー映画批評について
スーザン・ソンタグは芸術に対する批評は内容ではなく形式をこそ扱うべきと説いた。つまり知性による一元的な解釈をしりぞけて、価値判断の基準となるべき感性による官能美学を復権させようとしたのだ。ー江南亜美子
敬愛する町山・宇多丸両氏の映画評はあまりにも破壊力があり、伝染力も強いため(ショックだったのは私のよく見るブログで映画評も書いてる人が、まず町山評を(PodCastで)聞いてから映画を見にいき、町山氏のいうとおりだったとその映画を酷評していることだった。そのやりかたは映画ファンじゃないでしょう!映画ファンというのは事前情報は何も入れず、一切の先入観を排除してから映画を楽しむものなのに、この人は最初から町山評で固定観念を植え付けてから、自分の感想は書かずに町山評のとおりって・・・)町山・宇多丸両氏の批評に触れたものは便利な町山・宇多丸フォーマットにのっとって映画を理解した気になってしまう。それほど町山・宇多丸評は影響力が強い。
これはソンタグのいう批評の一元化という危険な罠ではないだろうか。自戒の念をこめて記す。


