2009年07月03日

傑作といいきれない違和感が「ディア・ドクター」

ディア・ドクターを見た。む、難しい・・・。いや映画は平易な表現を使ったかっちりした作りの人間ドラマになっていて誰でも楽しめる間口の広い作品になっています。


それでもこの映画を論理的に批評するとなるとなかなか言葉が出てこない・・・映画を批評するってこんなに難しかったっけ?いい映画なのは間違いないんだけどな。


俺は日本映画界で西川美和が一番の監督だと思ってるし、尊敬もしてる。でも素直に傑作といいたくない自分と違和感を感じる自分がいてここ数日悩みに悩みまくっている。こんなことはじめて。


この違和感の正体を探り探り書いていくので文章的にはお粗末になる可能性があるのでそこは勘弁してもらいたい。


まず脚本の構造に違和感を感じる。この映画の視点はどこにあるのか?こういう映画〜ある秘密を抱えた人物を中心に物語を描く場合、狂言回しという存在が必要になってくる。


この映画の場合、狂言回しは研修医の瑛太と、失踪した伊野医師を捜索する刑事二人の二つの視点からなる。


しかしこの映画最初から最後までこの視点が定まらない。この奇妙な医師伊野(笑福亭鶴瓶)を狂言回し=外部の視点から観察していくのかと思いきや、さにあらず。中途半端に伊野の心情に寄り添う形で進んでいくのだ。


狂言回しという外部の視点からこの伊野という男の秘密や嘘が浮き彫りになっていくのではなく、最初から伊野が偽医者ではないかとほのめかしたうえで、伊野が普段から不安にさいなまれていく様子を描写したりする。


じゃあ、伊野がいつ偽医者だとばれるのかドキドキするサスペンスがあるのかといえばそんなものもない。(たしかに気胸手術のサスペンスはさすが西川!といった感じだけど)


ものすっごく中途半端な視点なんだよ。「市民ケーン」みたいに狂言回しを使って伊野という一風変わった男の正体が暴かれていくスリルも中途半端。その逆にフリッツ・ラングの「飾り窓の女」のような完全に犯罪者側の視点から自分の犯行がいつばれるのか?というサスペンスも中途半端。


研修医や看護婦の視点からちょっと不可解な伊野先生を見たり、刑事の聞き込みによる外部から見た伊野を証言させたり、伊野自身の視点で今逃げだそうかという1人称視点に唐突になったり(手術後エレベーターを見つめるシーンね)視点が頻繁に変わるから注意力散漫になり画面に集中できないし、サスペンスも生じない。サスペンスが生じなければ伊野の葛藤や周囲の人の困惑も描けないだろう。とにかく脚本がとっちらかって未整理のままという感じ。


確かに俳優は魅力的で、鶴瓶はこの役をやるために生まれてきたといってもいいくらいのはまり役だし、余貴美子は最近絶好調で脂がのりきってる、おくりびとやTVドラマの刑事一代も素晴らしかった。そしてこの映画で助演女優賞総なめするんじゃないだろうか八千草薫の品の良さたるやもう・・。


俳優陣が素晴らしい仕事をしているだけに脚本の構造的欠陥だけが残念。さらにいえばラストカットも完全に蛇足。今年のベスト10には確実に入ってくる作品なのは間違いないが、西川美和ファンの俺にとっては残念な出来。でももう一度見にいく。
posted by シンジ at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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