最後の活動屋ともいわれるキャメラマン木村大作の初監督作品「劔岳・点の記」
いろんな伝説的エピソードを残してる人でwikiにも書いてあるけど黒澤明の「用心棒」の時は撮影助手として犬が人の手首をくわえてるシーンのピントを合わせている(くわしくはwikiへ)
とにかくあまりのうるさ型のため監督や俳優ともめることしばしば。俺の好きなエピソードは深作欣二「復活の日」(1980)の撮影の時、俳優のボー・スベンソンがあまりにわがままだったため木村がぶちぎれて、とにかく撮影の時もそうじゃない時もスベンソンにガン飛ばしまくってたら、食事中にスベンソンが木村のところにやってきた。木村は殺すつもりでテーブルの上にあったナイフをつかんでスベンソンに飛びかかろうとしたところスベンソンが「大作すまなかった」とあやまってきてその後一切わがままを言わなくなったというw
まあそういう人、本物の活動屋ですから俺も褒める気満々でいきましたよ・・・・。確かに映像は凄い。この雄大な光景、美しい自然を撮りさえすれば映画になるだろ!と思うのは当たり前だ。どんな映画人だってこのあ然とするような驚異の自然を目の前にしたら、この自然さえキャメラにおさめればそれだけでドラマティックになると錯覚するよ。
春、劔岳周辺を浅野忠信と香川照之が下見に行くシーンなんて極彩色の油絵みたいで圧巻だもん。まだ日本にこんな自然残っていたのかという驚きと、おそらくこの自然は映画の舞台である明治時代と何ら変わりない景色なんだろうなという感慨と。この景色だけ長回しでじっくり見せて欲しいと思ってしまった。
ただ、自然は素晴らしいんだけど人間ドラマがくそつまらないんだよ、というか人間ドラマいらなくね?とにかく人間描写やドラマが希薄だから、「もう人間はいいから自然をうつせ、自然を」と思ってしまう。
この映画最初から劇映画じゃなくドキュメンタリーとして映画化した方が面白かったんじゃないか。それか徹底的にドキュメンタリー方式の映画として(フェイクドキュメンタリーとして)
ドキュメンタリー方式なら最初っから人間のドラマなんぞにかまける必要もなく、そのまま登山という過酷な苦行に顔つきが変わっていく俳優たちの反応を生でとらえたほうが迫力が出ただろう。
ただ木村大作は活動屋だから、どうしても劇映画として映画を撮ろうとしてしまう。「劇」映画としてはこの映画の劇=ドラマはあまりにも弱い。いちおう日本山岳会との競争めいたことはあるにはあるが、べつにそんなことどうでもいいじゃん。
この映画の違和感は監督自身がこの圧倒的な自然の魔力に取り憑かれているのにもかかわらず、それでもなお劇映画としての体裁をとり繕おうとしているところにある。
この映画を見て誰もが考えること・・・まちがいなくこの映画よりこの映画のメイキングのほうが面白いはず・・・。
映画本編より映画のメイキングの方が圧倒的に面白いものに「映画は戦場だ・深作欣二inバトル・ロワイヤル」がある。「もののけ姫はこうして生まれた」を撮った浦谷年良による映画メイキングドキュメンタリーの大傑作だ。
4時間(!)もあるメイキングだけど一秒たりと弛緩しない。なぜならただ漫然と映画の撮影現場を撮るだけの凡百のメイキングとは一線を画し、人間深作のユニークさと狂気をうつしだし、さらには深作欣二の演出術まで緻密に分析するその徹底ぶりに映画好きとしてはよだれが出てしまうほどの出来だからだ。とにかくレンタルでも何でもいいから「映画は戦場だ」を見て欲しい。ぶっちゃけバトルロワイヤルの1億倍面白いから。
・・・もし劔岳のメイキングを3時間くらいNHKあたりで放映してくれたらかぶりつきで見ますよ俺は。
俳優の話。本当にひさびさに気づいたことがある。宮崎あおいちゃんがこんなにも愛らしく素晴らしい女優であることに〜!
少年メリケンサックの時は「クドカン・・・けっ!カ〜ッペッ!」(笑)とか意味もなく敵視していたのでせっかく大好きなあおいちゃんが出ているのに無視してしまった俺ですが、この劔岳を見てあおい愛が復活!あおいちゃん最高。
この映画で心底ワクワクしたのははっきりって壮大な自然のシーンかあおいちゃんの着物姿だけ。洗い髪のまま浴衣姿のあおいちゃんが出てきたときにはもうこの映画ここで終わってもいい!とさえ思った(笑)
木村大作はホントに自然と女優を美しく撮ることができる。もうそれだけですべて許す!
2009年06月27日
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