大好きなドラマだった「ハゲタカ」の映画を見たよ。うん、ちゃんと映画になってる。画面も映画的な画面になってるし、シネマスコープに違和感がない。まぁもともとドラマに映画的な映像と演出を持ち込んでいたから、それを変える必要はなかったんだね。
物語的にはっきりと中国を敵役にしたことも評価できる。ハリウッドなんてその時々のアメリカの敵、ソビエトに代表される共産主義だの、日本だの、アラブだのを映画の中の敵役として有効に活用してきた。
そういうやり方を偏見を助長するものだという批判は正しいとは思う。でも10年前、20年前、30年前を振り返ってその当時の人々が一体“何を恐れていたのか?”を記録として映画に残すということは大事なことで、映画史的にも歴史の資料的な意味合いにおいても「映画の敵役」の歴史は重要な意味を持つ。
全体的には面白く見たんだけども、素人目から見てどうしてもプロットに致命的なミスがあるように思えるのでそれを指摘したい。(ネタバレありなので注意してください)
まずドラマを見た人でも見てない人でも思う疑問、劉一華(玉山鉄二)を殺すのって派遣工(高良健吾)であるべきなんじゃないか?俺はてっきり派遣工が殺したんだと思って見ていたんだけど、全然違う単なる通りすがりの強盗に刺されて死ぬ。
劉と派遣工の二人の出るシーンはどう見ても濃厚なボーイズラブ風味wで俺みたいなよこしまな人間は劉が派遣工をホテルに誘うシーンで「ぎゃあぁぁぁぁっ!!」と心の中で叫んでしまったw
あのくそまじめなNHKドラマ映画が、お、男と男のくんずほぐれつを・・・だってあのシーン俺じゃなくたってそう見えるよね?実際には派遣工はマンダリンホテルのゴージャスな雰囲気にびびって逃げ出すんだけど、俺には「お、俺・・男は初めてだから怖いっす・・・」って感じで逃げたんだとしか思えなかったw
とにかくこの玉山鉄二と良健吾二人きりのシーンは完全に狙っているとしか見えず怪しさ全開でムズムズした(尻的な意味で)。そういう意味からいっても(どういう意味だよw)劉を殺すのは派遣工の良健吾でなくてはならないんだよ!絶対。
もうひとつ、これは致命的な演出上の欠陥で、なぜ劉がそれほどまでにアカマ自動車にこだわったのか?というネタバレ的なものがラストの家の壁に描かれた絵でわかって深い感銘をもたらす・・・はずだったシーンなんだけど、もうその絵、映画の途中で写真で出てきたじゃん!!
劉は子供の頃見たアカマの自動車に憧れて戸籍をねつ造してまで日本にやってきた。そうした劉の思い入れがあのラストのボロ家に描かれた赤い自動車の絵ではっきりとわかってそこで感動させるというプロットが、映画の途中であの絵がチラチラ写真にうつしだされることによってその本来あったであろう演出意図をぶちこわしてしまっている。
ようは演出の大友啓史は「市民ケーン」がやりたかったんでしょ。劉の“ローズ・バッド”があのアカマの赤い車だった。じゃあ市民ケーンどおりにやりなよ。市民ケーンでローズ・バッドが何度も何度もうつしだされるか?バラの蕾は最後の最後まで引っ張ってラストのほんのワンカットだけうつしだすのが正解でしょ。ここは明白な演出ミスだと思う。
あと気になったというか面白いことに気づいた。出演者たちの演技の質がそれぞれまったく違うんだよ。新世代の俳優である大森南朋や松田龍平の演技の質と、柴田恭兵の演技の質がまったく違うんだ。
新世代である大森や松田はまるで息を吐くかのように演技をする。つまり普段の素のトーンと演技のトーンをとりたてて変えようとは思っていない。ところが柴田恭兵はそうじゃない。すべてのセリフを心からふりしぼるように全身全霊で吐き出す。別にどっちの演技がいい悪いと言いたいのではなく、まったく演技の質や方法論が違う俳優同士が同じ画面にいることの面白さを感じた。
と、まあいろいろ書いてきたけど力作には違いなく、ドラマのファンがお金を払っても損はしないエンターテイメントにはなっています。ただファンドマネージャーがヒーローというのはなんか時代錯誤的な感じは否めないな〜と。
この映画も時代に即応するように派遣切りの問題とかサブプライムの破綻とかを脚本に盛り込んではいるものの、もう映画より現実の方がはるか先を行っているような気がしてならない。そういう意味ではこの経済破綻をオリバー・ストーンが「ウォール街2」でどのように描くのか興味はある。
2009年06月11日
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