昨日続三丁目の夕日がTVで放映されたので公開当時の批評を再掲載してみる。自分で言うのもなんだけど結構核心をついてると思うんだけど。
続三丁目の夕日は恐ろしい
三丁目のファンの、ファンによる、ファンのための映画。三丁目ファンのツボを確実につくストーリー展開と技巧にただ酔いしれるのみ。
しかも、それがファンのこうなってほしいという願望をなぞるだけでないのがプロの仕事。
もしかしてその願望ははかなくついえるのか?と観客を不安にさせておいて大団円にむすびつける手腕はあいかわらず、脚本の山崎貴・古沢良太、両名は観客の心を自在に操るすべを心得ている。
たしかにクライマックスの展開はご都合主義だ。だがそのご都合主義的展開にも製作者自身の考えが垣間見える。
茶川(吉岡秀隆)に容赦なくせまる非情な現実。この現実はあまりにも圧倒的で、茶川が勝利する理屈などどこを探してもない。
それは製作者も観客側もよくわかっている。だが、それでも映画は現実に勝利しなければならない。
そのためにはありとあらゆる映画的技巧をこらしてみせる。列車内でヒロミ(小雪)が茶川の小説を読むシーンがまさにそれである。
前作の指輪シーンも映画史に残る見事なものだったが、今作のこのシーンもそれに劣らぬ名シーンだ。
会社社長(小日向文世)が「願望だな、現実はこうはいかない」とズバリ茶川に言うように、製作者も観客も現実はそう甘くないと知りすぎているがゆえに、この幻想が現実を凌駕するシーンに涙せざるえないのである。
だから俺はこの映画を見終わった後ハッとするのだ。
これって全部茶川の生んだ夢なんじゃないかって・・・・・
クライマックス、圧倒的な現実を前にして茶川が敗北寸前のところでご都合主義的展開で敗北は回避され三丁目のファンの願望どおりになるわけだが、製作者がこれほど意識的にご都合主義を描いたのは明らかに確信犯。
このクライマックスのご都合主義的展開こそ、この映画が茶川の夢=茶川の小説内の出来事であると指し示している。
すでに映画のあのど派手なオープニングからして茶川の小説内だったことでわかるように、映画には「これは夢なんですよ」という伏線がいたるところに散りばめられている。
鈴木オート(堤真一)が戦友と語らうシーンはまさに夢であり、そしてトモエ(薬師丸ひろ子)が以前結婚の約束をかわした男と偶然日本橋で会うシーンも夢。あの男はシベリア抑留で亡くなっているのだ。
それらすべてのシーンが伏線となり、あのクライマックスへとつながる。
茶川と淳之介に過酷な現実が押し寄せ、ふたりの敗北が決定寸前に、自分の小説を読んで唐突にあらわれるヒロミは夢。茶川の願望、茶川の小説内での出来事なのだ。
現実の茶川は淳之介を手放し、ヒロミは大坂の金持ちと結婚する。そんな悲惨な現実を吹き飛ばし、夢を見させてくれる装置こそ映画に他ならない。
これこそがこの映画の真のメッセージなのだ。
これほど製作者が自覚的にこの物語が幻想であることを明確にし、そのうえで感動させる手腕は悪魔的としかいいようがない。
2008年11月22日
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