2015年05月08日

北野武「龍三と七人の子分たち」の次回作は時代劇版「フリークス」か安土桃山版「アウトレイジ」か

北野武「龍三と七人の子分たち」の次回作は時代劇版「フリークス」か安土桃山版「アウトレイジ」か

「龍三と七人の子分たち」が大ヒットしているので北野武監督の次回作もワーナーが配給するのは確実。そこで北野監督の龍三公開前のインタビューから、北野映画の次回作を予想してみる。

北野武監督が次回作として構想中とあげている作品は大体3本。時代劇二本に、恋愛映画一本です。そのなかでも最も実現性の高そうな作品が時代劇版「フリークス」です。

「江戸時代に障害者が生まれるとそこに捨てられるっていう部落があって。で、主人公は殿様の子で、双子なんだけど、当時は双子って
「畜生腹だ」っつって嫌がられた。っていうのがあって。殿様の子供が双子で、その一人が捨てられて、捨てられたとこがその障害者の部落で。そこの親分が「ここで生きるためにはしょうがないんだ」つって、その子の片腕を取っちゃう。そいつが実は運動神経がすごくて、丹下左膳みたいに強くて、片手で熊殺したりする奴に成長して。で自分たちを差別する町の代官みたいなひどいのがいて、それで城を攻めちゃうと。そうするとそこに自分とそっくりな奴がいて、それが殿様で、双子の片方で・・・・っていう話。ーCUT5月号北野武インタビュー


時代劇版「フリークス」と書いたのは、トッド・ブラウニング「フリークス」(1932)のことを念頭においています。映画「フリークス」とは見世物小屋の障害者たちの復讐劇を描いた映画で、実際の小人や下半身のない障害者を起用しているので当時物議をかもした問題作です。しかしそれだけでは終わらないのが北野作品です。

「ただ、その映画で見せたいのは、立ち回りもそうだけど、実は・・・死んじゃったけど、振付家のピナ・バウシュっているじゃない?障害者が踊るっていう。ひとりが踊っているのを観ると変な動きなんだけど、全員揃うと異常にかっこいいの。生で観たことあんだけど、もうブレイクダンスみたいになってるわけ。だから松葉杖とかダンスに使えないかって考えたり・・・村祭りのシーンを要所要所に入れて、片足で杖ついてて、杖の音とタップシューズの音でカタカタカタカタって激しくやり合うとか。そうすると映画的にはすごいなと思って」


殿!これやりましょう!これ絶対傑作になりますよ!めちゃくちゃ面白そう!!・・・ただ問題は障害者を描くことが配給のワーナー的にはどうなんだろう?という問題がありますが・・・。でもこんな野心的で面白そうな企画はめったにないんでぜひ実現してほしい。

もうひとつの時代劇企画はズバリ、安土桃山版「アウトレイジ」

豊臣秀吉が主役の「首」ってタイトルの映画とかね。本能寺で明智光秀に織田信長を襲わせたのは実は秀吉と家康の策略だったっていう話なんだけど。でもそれを秀吉の視点で映画にするんじゃなくて、雑兵っていうか、百姓で槍もって戦に参加した奴から見た秀吉の話なんだけど。その話の中に高松城の水攻めなんか出てくるんだけど、秀吉と家康は光秀に信長を襲わせて。秀吉、あんとき高松からすごい速さで京都に帰ってきたじゃない。あれは実はもう準備をしてたって話で。/それで秀吉が高松へ行く前に堺の商人がダーッと行って、高松城の周りの米をみんな買い漁るのね。相場の二倍の値段で。それで高松城の兵糧係も米を持ってっちゃって「高く売れました」って喜んでんだけど、その後三万の大軍で攻めて行って兵糧攻めにしちゃうので、村人を全部城の中に追い込むんで食うものなくて、向こうの城主が切腹して終わるんだけど、そのあとまた堺の商人が行って米を買った金の三倍で売るっていう(笑)そういうエピソードをいっぱい入れて「きたねえ!」っていう映画をやりたいんだけどね。−北野武「やり残したこと」


「汚ねえ!」連中の謀略戦を描かせれば北野武の右に出るものはいません。安土桃山版「アウトレイジ」間違いなく傑作になると思いますが、問題になるのは「予算」でしょう。なにしろ信長が本能寺で暗殺されるシーンや、高松城水攻め、中国大返しまで描くとなると、莫大な製作費がかかること必定です。正直そこまで北野作品に大予算をかけるガッツが今のワーナー日本支社にあるとは思えないのです。

そこでもう一つの企画、北野武念願の企画だという「純愛映画」が浮かび上がってきます。

「それとか純愛ものを撮りたい。純愛ものなんだけど、実は主人公を取り囲む人間関係がすごい笑っちゃうとか、お笑いがいっぱい入ってくるんだけど」−CUT5月号


・・・私も長年北野ファンを続けてきましたが、これに関しては「嫌な予感しかしない」といわせていただきます。殿の恋愛観って「いつまでもお弁当作ってあなたをお待ちしてます・・・」的なあれでしょ。この恋愛観って完全に明治大正時代の恋愛観なんですよ!(苦笑)。

これは本人も認めるところですが、北野武にとって女性は二種類しかいません。「おかーちゃんとおねーちゃん」の二種類です。これは「性の二重基準」といわれるもので、女性を性的な主体とは認めないミソジニー男性がよくやることです。女性を性的主体と認めないにもかかわらず、そんな女性の母から生まれてきた自分という矛盾を解消するために、男性は女性をおかーちゃん=聖女と、おねーちゃん=娼婦に二分するのです。だから北野武が「純愛」映画を撮るというときは女性をありえないくらい美化し理想化=聖女化してしまうのが目に見えてしまう。率直に言わせてもらえば、女性を美化し理想化するような人は「恋愛映画」は撮らないほうがいいです。

というわけで、北野武「龍三と七人の子分たち」の次回作の有力候補は時代劇版「フリークス」か安土桃山版「アウトレイジ」で決まりではないでしょうか。超楽しみ!!みんな、北野武新作が見られるまで生きていような!
posted by シンジ at 18:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする