2014年09月08日

ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その3多世界論

ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その3多世界論

その1「自由意志と決定論」

その2「量子力学」

シュレーディンガーの猫のパラドックスのもうひとつの解決法がライプニッツの可能世界論だ。可能世界論では現実化した世界だけではなく、現実化しなかった無数の可能世界がモナドの中に存在する。箱の中の猫は50%生きていて50%死んでいるような状態で存在しているのではなく、猫が死んだ状態の世界と猫が生きている状態の世界とに分岐するのである。シュレーディンガーの猫のパラドックスはモナドの無数に存在する可能世界が実はすべて現実化しているのだと考えればよいのだ。

ヒュー・エヴェレット三世(多世界解釈を最初にとなえた物理学者)は猫が生きていると同時に死んでいるという状態がふたつの別個の宇宙でなら可能かもしれないと論じた。−ミチオ・カク「パラレルワールド」


生きた猫が観測された世界と死んだ猫が観測された世界の二つに分岐するのである。世界は決してひとつではない。世界には無数の可能世界があり、そして量子力学の世界ではその無数の可能世界はすべて現実化する。量子論的には世界はどこまでもはてしなく分岐し続ける。そしてそのすべての分岐した可能世界は我々には見えないだけで我々と共存している。これが量子力学における「多世界論」である。

なんて奇怪な説だと思うかもしれない。しかしこの多世界論ならシュレーディンガーの猫のパラドックスだけではなく、タイムマシンのパラドックスまで一気に解決できるのである。タイムトラベルのパラドックスで有名なのは祖父殺しのパラドックスだろう。タイムマシンに乗って(ちなみに物理的な条件が厳しすぎるだけで理論上だけなら過去へのタイムトラベルは可能である。)過去にタイムトラベルし、子供のころの自分の祖父を殺したとしよう。・・・でははたして祖父を殺したわたしはいったい誰から生まれたのだろうか?これが祖父殺しのタイムパラドックス。

しかしこれも多世界論ならパラドックスにはならない。過去にタイムトラベルした時点で自分の元いた世界とはちがう並行世界に来た事になるからだ。自分の殺した祖父は自分の元いた世界の祖父ではなく、並行した別の世界の祖父であり、だから祖父を殺しても自分の存在にパラドックスは起きない。こうして多世界論は量子力学とタイムトラベルのパラドックスを一気に解決することができる。

それでもそんなことは信じられないという人が多いだろう。だが、

物理学者のプライス・デウィットは決定をおこなうたびに自分が複数の別個のコピーに「分裂する」とはどうしても感じられない、と述べた。ヒュー・エヴェレットの返事はガリレオと異端審問所のあいだの論争を踏まえたものだった。「あなたは地球が動いていると感じますか?」と彼はたずねた。彼が言いたかったのは、人が地球の動きを感じないのはなぜかをガリレオの慣性の法則の理論が説明しているのと同じだ、ということだった。デウィットは敗北を認めた。ーディヴィッド・ドイッチュ「世界の究極理論は存在するか」


人は地球が超高速(時速1700km)で動いているなどとは実感できない。しかしそれでも地球は超高速で回転している。それを人が感じないのは慣性の法則があるからだ。それと同じようにわたしたちは世界が決断ごとに分裂するなどとは感じられない。しかし人の感覚や実感よりもいつだって科学理論のほうが正しいのである。多世界論はたとえ奇怪だったり、不可思議に思えてもパラドックスを解決する以上存在するものとみなさなければならない。多世界理論はSFではない。現実なのである。

エヴァンゲリオンファンならばこの多世界論はすんなり受けとめてもらえるだろう。TV版、旧劇場版、新劇場版のストーリーの違いは、碇シンジやネルフの人々のもつ無数の可能世界が現実化した多世界=並行世界をそれぞれ映し出したものなのである。

しかしそうなるとシン・エヴァンゲリオン劇場版:‖もまた旧劇場版とは違う欝展開が待ち受けているのではないかと戦々恐々としているファンも多いと思う。だがしかし、これも多世界理論の面白いところで、それぞれ無数に枝分かれしていく可能世界は、それぞれ別個の世界として無関係に存在するのではなく、分岐した無数の多世界はそれぞれ量子干渉を起こしている。TV版の最終回のように学園ラブコメのようなエヴァ世界も並行世界には存在するし、人類が滅亡してひとつに解け合った並行世界も存在する。それぞれの世界はお互いに見ることも、触ることもできないが、並行世界同士はお互いに量子干渉を起こし、影響しあっているのだ。

そうした多世界間の干渉を利用するのが「量子コンピュータ」である。量子コンピュータの計算は並行世界にまたがる量子干渉を通じてなされる。そうすることによってスーパーコンピュータでも数千年かかるような計算でも数十秒でできるようになるといわれている。

この量子コンピュータの仕組みは何も計算だけに限られるわけではない。こうした多世界にまたがる量子干渉は人間の知識をも干渉しあう。旧約聖書の昔から人間の道徳律の基礎である「殺すな、盗むな、嘘をつくな」という命令や、17世紀ヨーロッパで生まれた「自然権」「人権」という概念もたまたま生まれたわけではない。無数にある多世界にまたがって人々の知識の干渉が起こり、その干渉の結果、この道徳律が多くの多世界間で採用されたと推測できるのだ。

こうした多世界間にまたがる量子干渉により無数に存在するエヴァの並行世界でも相互に干渉が起こり倫理的、美的、人間的価値に基づいた「より良い」選択と判断をした世界が無数の多世界で多数を占めることになる。多世界間で知識の多数決みたいなものが起きていて、より良い知識が勝利を収めるとその知識が多世界間にまたがり広まっていくのだ。そこでは誰も納得できないような理不尽な世界は多世界間の量子干渉により、現実度が低くなる。

・・・これは何を意味するのか。映画エヴァンゲリオンQのテーマが自由意志と決定論だったのはすでに「エヴァンゲリオンQと自由意志問題」で書いた。エヴァQでは自由意志は決定論的世界の前にもろくも崩れ去る。庵野秀明はさらにシン・エヴァでも同じようなテーマを繰り返すだろうか?わたしはそれはないと予測する。多世界理論による量子干渉の理論が正しければ、次のシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖は決定論に対し自由意志が勝利する展開となるはずだ。そして多世界理論の量子干渉によりシン・エヴァは誰もが納得するような倫理的かつ美学的にもすぐれた価値をともなった大団円を迎えるに違いない。つまり・・・・

ハッピーエンドとなる可能性が高い!!!


ライプニッツ可能世界論の量子力学的解釈による多世界理論はこう「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖」を予測する。




・・・・と思ったら9月5日放映のTV版「エヴァンゲリオンQ」の最後に出てきたこれ

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「EVANGELION:3.0+1.0」!?いろいろ推測してみよう。
まずEVANGELIONのNの字が二重に重なっていることからもこれは多世界理論の並行世界のことを表しているのは間違いない。+1.0は・・・これエヴァQ=3.0、エヴァ序=1.0という意味ならループするという意味になるが、多世界理論と円環構造世界のループとは理論的に相容れないので、ちょっとそれは考えにくい。おそらくこれは、次回作はエヴァQの続きと一応の完結を示した後で、さらにあらたな並行世界の物語「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖1.0」が始まるのだとみる。そしてこれからはシンジやアスカやレイのいた世界とは違う並行世界の登場人物たちの物語「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖1.0」→「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖2.0」→「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖3.0」と続いていくのではないだろうか。

・・・いやらしい話、カラー(庵野秀明の会社)にとってエヴァンゲリオンはドル箱シリーズであり、会社の経営にとって絶対必要なコンテンツだ。ビジネス的な要請上、決して庵野はエヴァから離れられないのだ。だが、わたしとしては庵野にオリジナル長編アニメ作品を撮って欲しいと思っているので「シン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖」は他人に任せて、庵野自身はオリジナル作品を製作して欲しい。

ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測はこれにて完結です。
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2014年09月07日

ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その2・量子力学について

ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その2・量子力学について
その1はこちら

量子の性質をディヴィッド・ドイッチュが懐中電灯の光を遠く離れたところから見るとどうなるかという例を出してわかりやすく書いているのでそれを引用する。

懐中電灯からほぼ1万キロメートルの距離のところでは、光は弱すぎて人間の目では検出できなくなり人間の観測者には何も見えないだろう。しかし、視覚のもっとするどい動物はどうだろうか?カエルの目は人間の目の数倍も鋭敏である。もし観測者がカエルだったとすれば、懐中電灯からさらに遠ざかりつづけても、電灯が見えなくなる瞬間は決してこない。しかしその代わりにカエルには電灯がまたたきはじめるのが見えてくる。またたきは不規則な間隔で現れ、遠ざかるにつれて間隔が長くなっていく、電灯から1億キロメートルの距離ではカエルは平均して1日に1回の割合でしかまたたきを見ないが、ひとつひとつのまたたきはどの距離から観測しても同じ明るさだ。−ディヴィッド・ドイッチュ「世界の究極理論は存在するか」


そのまたたきこそ、光が連続的なものではなく、ひとつひとつの粒でできているあかしだ。測定できるすべての物理的なものは光のように連続的に見えるようにみえて実は粒子でできている。ーそれを量子という。

そしてその量子の奇怪な性質をあらわしたのが量子の「二重スリット実験」である。言葉で説明するとよくわからないと思うので動画を見てほしい。



量子の「観測」によって収縮し、実体化するというこの奇怪な性質こそニールス・ボーアの量子のコペンハーゲン解釈である。

コペンハーゲン解釈
@いかなるエネルギーも量子という離散的な束を単位として生じる。
A物質は点状粒子であらわせるが、その粒子が見つかる確率は波として与えられる。そしてこの波は特定の波動方程式に従う。
B観測をおこなう前、物体はありとあらゆる状態で同時に存在する。物体の状態を確定するには観測をする必要があり、それにより波動関数は「収縮」し、物体が明確な状態になる。観測という行為が波動関数を解体し、物体にはっきりとした実体をもたせるのである。−ミチオ・カク「パラレルワールド」


コペンハーゲン解釈の量子は「観測」によって実体化するという考えを一笑に付したのが、量子論の発展に重要な役割を果たしながら、のちに疑問を呈するようになったシュレーディンガーである。彼の有名な「シュレーディンガーの猫」という思考実験は二重スリット実験によってあきらかになった量子の奇怪な性質を皮肉るために彼が考えた思考実験である。

一匹の猫が箱に閉じ込められているとする。箱の中には毒ガスの入ったビンがあり、ビンにはハンマーが取り付けられ、さらにそれがウランのかけらの近くに設置したガイガーカウンターにつながっている。ウラン原子の放射性崩壊が起こる確率は50%だとしよう。もし崩壊すればガイガーカウンターが反応し、それでハンマーが作動して毒ガスのビンを割り、猫は死ぬ。しかし箱を開けるまで猫の生死はわからない。ー「パラレルワールド」


量子のコペンハーゲン解釈が正しいのなら、箱の中の猫は人間が観測する前は実体化していないのだから、50%生きていて50%死んでいる状態のまま存在することになる。そんなことがありうるか!?というのがシュレーディンガーの言いたいことだ。

最後まで量子論を認めなかったアインシュタインもまたこんなことを言ってコペンハーゲン解釈を嘲笑している。
「月を見たまえ、どこかのネズミが見たときに、あれはいきなり現れるのかね?」

しかしシュレーディンガーの猫のパラドックスには解決策が二つある。ひとつはバークリ的解釈である。バークリは哲学史上では観念論を唱えたことで知られている。バークリの考えはこうだ。「物質は人間の外側には存在しない。物質は人間の心の中に存在する」。たとえば「痛み」を考えてみよう。針で指を刺すとする、その痛みは針という外の世界に存在するのだろうか。痛みは針の中にあるのではなく人間の内側にしか存在しない。それは熱さや冷たさも同じで人間が外側にあると思っているものすべては人間の内側にしかないものだ。

バークリ的解釈とは最初に世界があってその中にわたしがあるのではなく、わたしのなかに世界があるのである。わたしが「見る」から世界は存在するのだ。まさにバークリの考えは量子論に合致するのである。「わたしがいるから世界は存在する」こうした独我論的考えは当然、わたしが死ねばこの世界は消えてなくなってしまうという考えをもたらす。しかしバークリはそれを否定する。わたしが死んでもこの世界はなくならない。なぜならこの世界すべてを「見る」神が存在するからだ。シュレーディンガーの猫のパラドックスのバークリ的解決法とはわたしが見る前に「すべてを見ているなんらかの存在」がいることによって量子はすでに実体化しているとするものだ。

わたしが観測してはじめて量子が実体化するのであるならば、観測するわたしを観測するものがいなければわたしは実体化しない。さらにわたしを観測する誰かを観測するまた誰かが観測される必要があり、これが無限に続く・・・・。無限後退する議論は偽であると懐疑主義者であるセクストス・エンペイリコスは言っている。バークリ的解釈ではすべてを観測するものは神だそうだが、いまさら神を信じろといっても無理というもの。これでは量子のパラドックスは解けそうにない。

そしてもうひとつの解決法こそ本命のライプニッツの可能世界論によるシュレーディンガーの猫のパラドックス解釈である。

今回は量子論の説明だけでエヴァの話が出ませんでしたが、次回は出ます!
次回はライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その3多世界論です。
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2014年09月06日

ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その1

ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その1

以前、「エヴァンゲリオンQと自由意志問題」というものを書いた。それはエヴァQのテーマが“自由意志はエヴァ世界に存在するか?”というものだったからだ。そしてエヴァQは自由意志に否定的な世界観を描き出した。ー「決定論的世界」である。

決定論的世界とはダニエル・デネットの定義によれば

どの瞬間にも物理的に可能な未来はたったひとつしかない。


というものだ。つまりわたしが今こんなことをしているのも、将来あんなことになるのも、あらかじめ決められているとする考え方。運命や宿命なるものがこの世界の隅から隅まで張りめぐらされているとする世界観のことだ。

わたしはそれを「エヴァンゲリオンQと自由意志問題」では、キリスト教的決定論観によるものとして描き出した。だが、決定論的世界観と自由意志の対立はそれだけではない。決定論と自由意志とがもっとも激しく戦った時代、17世紀ヨーロッパの思想上の戦いをここに描き出したい。

17世紀ヨーロッパでは歴史上最大の決定論と自由意志の論争があった。そしてその論争はひとりの宮廷人を中心に交わされていた。その宮廷人とはライプニッツである。ハノーファー選帝侯に仕えていたライプニッツはそのあくなき知識欲と探究欲でヨーロッパ中の知識人とやりとりがあった。そのなかでもライプニッツ最大の敵といえる人物が二人存在した。

ひとりはオランダのレンズ職人にしてユダヤ社会から永久追放された異端者にして隠遁者であるスピノザである。ライプニッツはその思想上の最大の敵とも言えるスピノザにオランダまで直接会いに出かけて、議論を戦わせている。

そしてもうひとりの敵が万有引力を発見した古典物理学の祖であるニュートンである。ライプニッツとニュートンは微分積分法をどちらが先に発見したかで長年争っていたが、論争はそれだけではなかった。1715年から1716年ライプニッツは死の直前までニュートンの弟子であるクラークと手紙で激烈なやりとりをしている。この論争はニュートンの机からクラークがライプニッツにあてた手紙の草稿が発見されていることから、実質ニュートンとライプニッツのやりとりであるといっていい。

当時のヨーロッパ最高の頭脳三人が同時期に存在し、実際に議論を戦わせたのである。そしてこの三人の最大の争点となる対立こそ決定論vs自由意志にほかならない。

16世紀宗教改革吹き荒れる時代にカルヴァンがアウグスティヌスの決定論的世界観の焼き直しである予定説を唱える。つまり救われるものは生まれる前から神によって決められている。人間が努力して人生を変えようとしても変えられないし救われることもない、という自由意志完全否定の教説。こうしたキリスト教の決定論的世界観に対して非キリスト教の決定論的世界観を打ち出したのがスピノザである。

スピノザはキリスト教の神のようなこの世界の外側にいる(超越的という)存在が世界のものごとを決めているという考えを否定し、世界のものごとのすべてを決めているのは、人間や生物すべてに内在する自己保存欲求(コナトゥス)であるとする。自己保存欲求という原理が原因と結果の無限のつらなりによって埋め尽くされている世界。これがスピノザの決定論的世界である。

われわれの行動すべてはコナトゥスから発する因果関係が網の目状に広がった世界の一点であり、わたしがどのように考え、どのように行動するかも因果関係の網の目世界によってすでに決められている。ひとが自分には自由があると錯覚するのは、因果関係の網の目が広大すぎて主観では捉えられないからにすぎない。・・・ライプニッツはこうした決定論的スピノチズムと戦ったのだ。

ライプニッツもうひとりの敵ニュートンの決定論的世界観は古典物理学の基本仮説からくる。

ニュートンの古典物理学の基本仮説とは
@この宇宙には絶対的な時間と空間の枠組みが存在する。
Aすべての運動には原因がある。原因と結果という因果関係は絶対である。


このニュートンの古典物理学の考えから必然的に導き出される決定論こそ「ラプラスの魔」である。

任意の瞬間における自然界を動かす力をすべて知り、自然界を構成するあらゆる存在の相互位置を知っている知性体は、そのデータを分析に投じられるほどの力量を持った知性であるなら、宇宙で最大の物体ともっとも軽い原子の動きをひとつの式に集約してしまえるだろう。この知性体には不確定なものはない。そして過去とまったく同じく未来もその眼前に開けている。−ピエール・シモン・ラプラス


この古典物理学的超知性体「ラプラスの魔」はすべての物理的な因果関係の網の目を見通せることができる。ゆえに過去だけでなくすべての未来も一望できる。(このラプラスの魔という能力を人が持ってしまったらどうなるかを書いた小説がアダム・ファウアー「数学的にありえない」)

ライプニッツはカルヴィニズム、スピノザ、ニュートンという三者三様の決定論から自由意志を守るために戦ったといっていい。ライプニッツははたしてどのようにして自由意志を擁護したのか。ーそれは「モナド」によってである。

モナドとは日本語にすれば「個別的実体」とでもいうべきものである。つまりこの誰でもない「わたし」自身のこと。それも代わりのきかない、この宇宙でただひとつしかない「わたしそのもの」の本質のことである。宇宙にただひとつのわたくしの「魂」と言い換えてもいい。ライプニッツはこのモナドの特異な概念でもって決定論をくつがえそうとする。

モナドの特異性とは、モナドにはあらゆるすべての「可能性」が含まれているとする点にある。エヴァ世界の現実では碇シンジはエヴァに無理矢理乗せられて、使徒と戦い、サードインパクトを起こすきっかけとなり人類は滅びる。この歴史のストーリーライン@にいる碇シンジだけが現実化したシンジとされる。しかしライプニッツはモナドにはそれ以外のシンジの人生も無数に含まれているとするのだ。シンジの人生@はシンジのモナドに含まれる無数の可能性のうちのひとつがたまたま現実化しただけにすぎない。

だから碇シンジのモナドにはエヴァに乗らずに普通の中学生としてすごしたシンジの人生Aの可能性も存在し、エヴァに乗ったけど途中で戦死するシンジの人生Bの可能性も存在する。使徒を全部倒した後でも人類が滅亡しない人生Cの可能性さえも存在するのである。そうした現実化しなかった無数の「可能世界」もモナドには含まれている。ライプニッツはこの「可能世界」という考えによって決定論を反駁しようとした。「この世界はたったひとつしかない」という決定論的世界観を「この世界は無数にある」という可能世界論によってくつがえそうとしたのだ。

しかしライプニッツのモナドの可能世界論はほとんど誰にも理解されることはなかった。あまりにも奇抜で論証不可能の世迷いごとと思われたのである。だが、ライプニッツの死後200年がたった頃、ニュートンの古典物理学をくつがえす奇怪な物理学が産声を上げる。「量子力学」である。

次回は量子力学の解説から。
ライプニッツ可能世界解釈によるシン・エヴァンゲリヲン劇場版:‖完全予測その2・量子力学について
posted by シンジ at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする