2009年12月17日

ワンピースファンはわからずとも日本映画ファンならわかる尾田栄一郎・鈴木敏夫対談

鈴木敏夫のジブリ汗まみれポッドキャストから抜粋書きおこし。

尾田栄一郎・僕が一番好きなのは森繁久彌さんが森の石松を演じた「次郎長三国志」(1952年から始まったシリーズ作マキノ雅弘監督)なんです。次郎長三国志を見たときに「これこそ!」と思いました。自分のやりたいことはこれだ!この人(マキノ雅弘)やってたっていう。なんでこんな人が有名じゃないんだろう。はじめて意識した監督です。


しょっぱなからこれである。ワンピースファンの皆さんすいません。尾田先生のことを書きますが、おそらくひとつも理解できないと思います。この記事は日本映画のファンだけに向けて書きます。

尾田・中村錦之助が大好きなんです。

鈴木敏夫・なんでぇー!(笑)

尾田・かっこいいじゃないですか!「瞼の母」(1962年加藤泰監督)とか感動しまして、あの演技力!あれは演技力がないと全然成立しない映画ですよ。

鈴木・一応昔ね、マンガの編集者やってたんだよ。ホントに古いんだけど、1973年頃かな。

尾田・生まれてません・・・。

鈴木・うそぉー!(笑)

尾田・今34歳ですけど・・・1975年生まれです。

鈴木・今日はワンピースの1巻だけ読んだんですよ(笑)

尾田・七人の侍をイメージして・・・

鈴木・やっぱそうだよね。

尾田・なぜ鈴木さんとこんな話になったかというと、ジブリで今度、次郎長三国志をお願いしますと言いに来たんです(笑)


鈴木・なんで次郎長三国志なのかはすごいよくわかる。ワンピース第1巻読んだだけでわかった。

尾田・古いものにすっごい興味があって、大元をたどったら、昔から落語とか漫才とか古いものを聞いていてちょっと変な子供だった。中1の時の親からの誕生日プレゼントが新春寄席のチケット(笑)。なんでそこに興味を持ったかというと、昔の漫才師の人たちが真似をするんですよ、浪曲の。それこそ広沢虎造とかの。

鈴木・虎造聞いたの?

尾田・大好きです!

鈴木・大好きなんだ!!(笑)

尾田・広沢虎造iPODに入ってますから。虎造ファイルがありますから。

鈴木・だって広沢虎造という人は本当に人気があったのは、ぼくらの親父の世代だから。僕は親父がラジオで聞いてるのを横で聞いていた。僕が驚いたのは山下達郎も虎造が好きだって聞いたとき。

尾田・聞くべきですよ。かっこいいですよ。僕は落語を聞く種族ですから。

鈴木・落語は誰を聞くの?

尾田・誰でも聞きますね。新しい人たちも古典も。落語ファイルがありますし、特に好きなのは柳家権太楼。あの人はすごい名人でしょう。

鈴木・さっきの次郎長三国志、森の石松のセリフあるでしょ、森繁の。あのセリフは男はつらいよの寅さんの決めゼリフになっている。僕の想像だけどね、山田洋次という人は次郎長三国志が好きで、おそらく当時映画館でノートに森繁のセリフを書き取ったはず。

尾田・渥美清さんのでていた、中村錦之助さんの・・・

鈴木・「沓掛時次郎 遊侠一匹」(1966年加藤泰監督)僕はあの映画大好き。

尾田・あの映画で渥美さんが啖呵切るのすっごいうまいなぁと思って。

鈴木・長谷川伸っていう人が原作で、渥美清の登場シーンだけがオリジナル。これを作った人が加藤泰。その叔父さんが山中貞雄。

尾田・それは誰ですか・・?

尾田さん次郎長三国志や中村錦之助作品はかなり見てるにもかかわらず、加藤泰も山中貞雄も知らないという、しかも鈴木敏夫が山中貞雄の「丹下左膳百万両の壺」のことを話し始めると、「あれ僕大好きなんですよ!」という。山中貞雄は知らなくても百万両の壺は大好きという、一体どういう映画の見方をしているのか?おそらくその作品が名作だとか有名な監督作品だとかいっさい知らずに片っ端から映画を見てるみたい。作家主義や名作主義に偏らない正しい映画ファンといえるかも。
その後、座頭市の話になる、尾田さんはほとんど座頭市を見てると言うが、座頭市第一作目の「座頭市物語」のことは知らないらしく、鈴木さんが話し始める座頭市と平手造酒の一騎討ちに大喜び、拍手喝采している。

鈴木・本当のこというとね、ワンピース読んでね、最初の感想「なんだこれ、ヤクザ映画だな」(笑)

尾田・(任侠映画が)好きなんだと思う・・・だったら、今回の映画(ONE PIECE -FILM- STRONG WORLD)見て欲しいなぁ(笑)後半見て欲しい。今回は僕は日本人の討ち入りDNAに問いかけたんです。雪の降る夜に討ち入りをするという。

鈴木・今回製作総指揮?10周年。

尾田・10周年でまかされたので「よし、任侠映画作ろう」と思って(笑)

鈴木・やっぱり尾田さんってすごいな。自分の年齢より昔のものを見てる人って、ものを作る人に共通してますね。

正直ワンピースには興味なかったのですが、尾田先生が中村錦之助好き、任侠映画好きと聞いては黙ってはおけない。ワンピース見にいこうかな。ただ、今はワンピースはポニョを超える記録的な大ヒットだそうで、もう少し客足が鈍ったら行く。

“鈴木敏夫のジブリ汗まみれポッドキャストその2”もひたすら映画談義。尾田さんの、というより、鈴木さんの映画一人語りになっているので興味のある方はぜひ聞いてください。ただし、アニメファンやワンピースファンはおそらく何を話しているのかまったくわからないと思います(笑)
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2009年12月15日

町山智浩・柳下毅一郎、深夜のストリーミング生中継が面白かった!

眠れずにTwitterなどをボーッと眺めていると突然起きた事態。おそらくほとんどの人が見逃しているし、録画もされてないと思うので、どんなことが起きたかを取り急ぎ記録します。

まず12月15日深夜1時52分ガース柳下(柳下毅一郎)がiPhoneを使ってUstream中継をこころみるとTwitterでつぶやく。

そこにウェイン町山(町山智浩)が登場し、電話するから柳下のiPhone番号教えろとつぶやくのが2時8分
Hey @kiichiro 柳下、i-phoneの番号、メールして。電話するから (garth live > http://ustre.am/5NJ)


そして唐突なまでに新宿ゴールデン街の飲み屋にいる柳下さんとアメリカの町山さんとの会話の映像がストリーミング生中継ではじまるのだ。自分はiPhoneを持ってないのでわからないが、iPhone2つとUstream(http://www.ustream.tv/)で世界中に生中継で発信できる仕組み。

最初は町山柳下二人とも勝手がわからないため、町山さんの音声が聞こえないが、しばらくして町山さんの音声もiPhoneから聞こえてくるようになり、二人の映画談義が始まる。(ちなみに映像はゴールデン街の飲み屋にいる柳下さんをうつしだしていて町山さんは音声のみ)

録画も録音もしてなかったので、記憶だけで書きます。あやふやなところがあるので注意。

まず柳下さんが絶賛するイーストウッド最新作インヴィクタス(invictus)をいきなりけなす町山さん。南アフリカの代表チームが勝ち上がっていくきっかけが描かれていないのが相当ご不満の様子。それでも柳下さんはマット・デイモンをはじめていいと思ったと絶賛。

次は町山さんがイーストウッドにインタビューしたときのこと。これは初耳だったんだけど、今のイーストウッドの妻は日本人だそう。40歳くらいの日本人女性だそうです。あと、イーストウッドとモーガン・フリーマンは相当仲がよいらしくイチャイチャしてて、できてるんじゃないかと思ったそうです。
イーストウッド、モーガン・フリーマン=ホモ説by町山智浩


この時点で二人のストリーミング生中継を見ているのは100人ほど、もったいない。

次は柳下さんの今年のベスト1映画「空気人形」の話から柳下さんの理想の空気人形映画話(妄想)がはじまる。空気人形を持ってる男の隣室に住む安達祐実がどうして私を抱いてくれないの!という映画だそうです・・・・町山さん沈黙。

お次はジェームズ・キャメロンの「アバター」の話題。アバターにはエイリアン2に出ていた、超マッチョ女軍人のバスケスが出ているらしく。キャメロンはホントマッチョ女好きだな〜という話。
追記・・バスケス役の人が出演しているわけではなく、ミシェル・ロドリゲスの演じる役がバスケスっぽいという話でした。というご指摘をtamatowaさんからいただきました。ありがとうございます。

ここでiPhoneの電池が切れて終了。町山柳下両氏はこれでなんとか金取れないかとスポンサーを募集。面白い試みなので是非続けて欲しい。

さらにおまけ。朝の6時30分頃Ustreamを使っての生中継に町山さんが挑戦。うまく中継することができた町山さんはこのUstreamを使って、TBSラジオKiraKiraや、アメリカ映画特電も生中継したいそうです。
町山さん中継URLはここ
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2009年12月12日

なぜマイマイ新子という良作がヒットしないのか?

Twitter上で話題沸騰していた「マイマイ新子と千年の魔法」を見た。なぜ話題が沸騰していたかというと「なぜこんないい作品が、もうすぐ上映打ち切りになるのか!」という映画愛あふれる声が充満していたのだ。上映延長を求める署名も行われているようだ。というわけで、あわてて映画館に駆けつけた次第。

このマイマイ新子を見てすぐに思い出したのが、映画「天然コケッコー」。緑あふれる牧歌的な光景の中ですくすくと育つ子供たちの世界を描いたもので共通点がいくつもあるが、映画自体の持つメッセージというか、映画の芯の部分がまったく違うという点がマイマイ新子を特異な映画にしている。

まずマイマイ新子で驚かされるのは、過去も未来も空想もすべて同じ時間、同じ空間を生きているというメッセージがある。千年前のお姫様も、川を走る何かも、そして今現在もすべてが同時進行。これはいくつものストーリーが同時進行しているという映画話法的な意味ではない。マイマイ新子の世界では未来も過去もない。千年前のお姫様は“今”を生きているし、新子は友達と別れ、土地を離れる未来を生きている。過去は失われた時間ではなく、未来はこれからくる時間のことではない。すべてが同時進行。

これに対し、天然コケッコーでは時間というものは失われていくものであり、だからこそ、そよ(夏帆)は哀惜の感情を持って幸せだった時間と空間を封印する(最後の黒板へのキス)。時間は流れて過ぎ去っていくものだから、思い出というもう二度と戻っては来ない過去をいとおしむ。これはノスタルジーという言葉で説明のつくものだ。

だがマイマイ新子の世界にはノスタルジーという考えがそもそもない。ノスタルジーの世界では別れや死は忌むべきもの、物語の終わりを意味するが、マイマイ新子の世界では、出会いや別れ、喜びや悲しみ、過去と未来、生や死ですら等価。同じように価値あるものだから、とりたてて大げさに描く必要がないのだ。

その片渕須直(かたぶち・すなお)監督のメッセージが強烈に出たのが、ラストのくだりである。

ラストでは大好きなお爺ちゃんの死、そして住んでいた土地との別れ、友達たちとの別れが立て続けに起こるが、片渕監督はびっくりするくらいのスピードで、それらを一気に描写する。まるでそれらのことが重要ではないかのように、まるで当たり前であるかのように。

正直これには驚いた。よこしまな映画ファンである自分は、このラストを使って客の涙を振り絞らせるような演出を心のどこかで期待していたからかもしれない。しかし片渕監督はストイックなまでにこの映画の思想に忠実だった。

それが先ほど書いた、この世界はすべてが等価であるから、喜びも悲しみも、生も死も当たり前のように生成し、繰り返し、千年前の姫は今このときも防府の道を牛車に乗ってゆき、新子が防府を離れ大人になった未来も今このときに存在する。だからとりたてて人の死や、友との別れを大げさに描く必要がないのだ。このラストの異様なまでのストイックさはこの映画のメッセージそのものなのだ。

実に見事な映画だった。だが冒頭に書いたように興行的には苦戦しているという。これに関しては正直、映画興行を調べたり考えたりしている自分にとってはうなずけるところがあるのが悲しい。

なぜマイマイ新子という良作がヒットしないのか?

第一に映画を見る観客のターゲット層を完全に読み間違えていること。
アニメであること、また絵柄を見ても子供をおもな観客として想定していたと思うが、この映画は酸いも甘いも噛みわけた大人が見て楽しめる映画になっている。

第二にあまりにも高度な手法で物語を描いているがゆえに、単純に感動したいだけの客には高尚すぎたこと。
純粋な映画ファンである自分はラストのストイックな処理の仕方にしびれるような感動をおぼえるのですが、いい映画はヒットすべきだと思っている興行ウォッチャーの自分が、片渕監督もっと観客サービスしてもいいんじゃないですか?とどうしても思ってしまう。つまり、映画的には堕落、大衆迎合といわれようと、もっとわかりやすい“泣き”のポイントを作ってもよかったのではないか?映画のメッセージ的にはまったく正しいストイックさといえるのですが、そこまで読み取れない観客の方が多いと思う。

第三に原作があまり有名じゃないことと、ターゲット層があいまいだったがゆえの宣伝展開のミス。
そう考えると原作なしのオリジナルで大ヒットを飛ばしたサマーウォーズはつくづく異例な事だったんだなと。

理由の第二については反論もあると思う。マイマイ新子自体すでにいい映画なんだから、大衆に媚びるような演出は必要ない、と。でもいい映画にはヒットしてもらいたいし、ヒットしない映画とその製作者の末路は非常に厳しいものがあるのはご存じの通りです。観客へのサービスは決して映画としての堕落ではない。たとえば、観客へのサービスとやりたいことへの確固たる信念は決して対立するものではないことをピクサーはしめしていると思う。

とにかく一見の価値ある映画なので上映が打ち切られる前になるべく急いで見た方がいいです。
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2009年12月06日

映画評を書くのに脚本家の名前を出さない奴は俺が殺す!

キネ旬のオールタイムベスト映画遺産200での山根貞男と向井康介(脚本家)の対談を読んで脚本家の憤懣やるかたない思いを知る。

他の脚本家の方の仕事を見たり読んだりしていると、脚本家それぞれの癖があることがわかってきますよね。ああ、あの人らしいお話の作り方だなとか。でも、結局、そういう部分も“監督の色”としてとらえられてることが、たまにあったりするんですよ。最近でいえば、僕が好きな脚本家に「時をかける少女」や「サマーウォーズ」の奥寺佐渡子さんがいるんですが、ああいう構成命の映画で奥寺さんが果たした役割ってもっと大きいはずなのに、それがどうして監督の細田さん寄りの評価になっちゃうのかなーとは思いましたよね。ー向井康介


向井氏のそのご不満はよ〜くわかる、よ〜くわかるけれども、キネ旬発行の細田守本を読めば、それが誤解だということがわかる。サマーウォーズの企画が検討されたのが2006年7月、2007年12月に脚本の初稿完成。そして最終稿は2008年の3月までかかっている。脚本完成まで実に1年と8ヶ月かかっている。当然ながらその間売れっ子脚本家の奥寺佐渡子を拘束できるはずもなく、奥寺はたびたび違う仕事で抜けている

「そろそろプロットくらい入りませんか?って言っちゃったくらい粘り強いというか、ずっと雑談ばかりというか。もういつになるかわからないので、私も次の仕事を入れては途中で抜けて(笑)。でも戻ってくると、少しずつ的が絞れてきている感じはありました」ー奥寺佐渡子


奥寺が抜けている間も、細田守とプロデューサー陣(角川書店渡邊隆史、マッドハウス斉藤優一郎)は延々議論を続けて物語を固めている。そしてサマーウォーズに関してはプロットは細田守自身が書いている。さらにここからが重要だが、実写映画とアニメ映画の違いは、アニメは脚本を完成させた後、絵コンテという作業がある。

じつは絵コンテというのは、必ずしもシナリオに即しているとも限らないんですよ。実写の感覚でいえば、絵コンテというのは脚本の最終稿を監督が描いているみたいなことですね。シナリオにないキャラクターが絵コンテに出てくることもある。そういうことからの逆算で、絵コンテからキャラクターをデザインすることもあります。ー細田守


こうして完成したのが映画サマーウォーズです。じゃあなんで脚本のクレジットに細田守や他のプロデューサー陣の名前が載らないのかというと、細田さんが以前いた東映動画からの伝統なのか、あるいは脚本家に敬意を表してクレジットを辞退してるのか、実際のところはよくわかりません。

ただ向井康介氏の不満は痛いほどよくわかります。ほとんどの映画評や評論家たちが映画を論じる時、脚本家の名前をあげようともしない。それは映画に関して書いてるほとんどのブログもそう。

最近もこれおかしいんじゃないかということがあって、あのイーストウッドの「グラン・トリノ」のことですが、あの映画を語るとき誰もが、というかほとんど全員がイーストウッドの人格、歴史をふまえて映画を語っているんだけど、それおかしくね?

あの映画の脚本を書いたニック・シェンクはイーストウッドのことを一切想定せずに書いたとインタビューで答えてる。しかもイーストウッドはニック・シェンクの書いた脚本をほとんどいじらずにそのまま映像化している。

今回のストーリーはニックとデイブ・ジョハンソン(ニック・シェンクのパートナー)の実体験がもとになっている。故郷のミネソタで見聞きしたことや地元の人々との交流が下敷きなんだよー「グラン・トリノ」プロデューサーロバート・ローレンツ


つまりあの映画はニック・シェンクの人生や蓄積された経験をもとに描かれた物語なんだ。それをほとんどの批評家はニック・シェンクの名前すら出さずにイーストウッドがすべて創造したかのように書いている。あの小林信彦と芝山幹郎ですらキネ旬5月上旬号イーストウッド特集での対談で脚本家のニック・シェンクに一言もふれてないのはちょっとひどいと思った。これはチェンジリングにも言えることで

「チェンジリング」にしたって、ロン・ハワードのお下がり企画ですからね。構想10年とか言われても信じてしまいそうですが。脚本のJ・マイケル・ストラジンスキーは、SFドラマとアメコミで有名な人ですが、実録物は、あれが初めてだったはず。ーTwitterよりtamatowaさんからの引用。


チェンジリングを賞賛する批評でストラジンスキーの名前をあげたものがどれだけあっただろうか?おそらくほとんど、ない。

古くは七人の侍などの脚本家橋本忍も

どんなに自分が黒澤映画へ貢献しても結局、黒澤監督一人の手柄となる。

という理由で黒澤映画から離れているし、十三人の刺客などで有名な脚本家の池上金男も同じような理由で脚本家をやめ作家池宮彰一郎に転向した。

最近では映画「アマルフィ」の脚本家トラブルで脚本家のクレジットがはずされ、激怒した荒井晴彦がフジテレビのプロデューサー二人を呼び出して糾弾のようなことをおこなっている。(月刊シナリオにその様子が収録されているが、雰囲気はそれほど糾弾っぽくはないけど、呼び出された臼井裕詞らにとっては荒井晴彦が相手というだけで恐怖だったでしょうw糾弾の内容としては脚本家との間にトラブルがあったなら架空の名前の脚本家をクレジットに出せというものでした。たとえば山中貞雄なら梶原金八というペンネームがあるというような。今月刊シナリオが手元になく記憶で書いてるのでくわしくは月刊シナリオを読んでください)

このように脚本家受難話は枚挙にいとまがない。

しかし、あえて脚本家の方に言いたいのは、批評家も監督を中心に見る“作家主義”という誤謬にとらわれているなら、脚本家も脚本が絶対不可侵の聖域だとする別の“作家主義”にとらわれているんじゃないかということです。

とくに大物脚本家ほど「俺の本を一行一句たりと変えることはまかりならん」と要求する方がいるそうですが、それこそ映画がチームによる集団作業によってできる芸術であることを理解していないのではないでしょうか。

キネ旬の細田本を読んで痛感するのは、映画はたった一人の才能で作るものではなく、多くの才能が膨大な労力と知恵を結集させ、一つの作品のために奉仕するという姿です。脚本だけが作品を支配する唯一のものという考え方は、監督が映画の唯一の創造主であるとする間違えた作家主義的考えと何ら変わらない。

ただ、映画評に関しては、誤った監督主義的なものはすぐに正せると思います。それこそが映画評ビジランテ(自警団)をおこすことだ。すなわち

街のダニどもと、映画評を書くのに脚本家の名前を出さない奴は俺が殺す!
Copyrightウィークエンドシャッフル

ホントに細田チームには奥寺佐渡子さんを大事にしてほしい。(奥寺さんはやせれば凄い美人です。でもやせないで!)
posted by シンジ at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

イングロリアス・バスターズの衝撃。あるいはせっかちでめんどくさがりの映画作家

イングロリアス・バスターズの衝撃。みんな指摘してるし、びっくりしてるであろうイングロリアス・バスターズ第一章のすごさ、完璧さ。一章だけ見たら格調高いヨーロッパ映画かと思えるほど。

直接的な暴力もない、恫喝もない。登場人物二人の穏やかなセリフの応酬だけで胃がキリキリ痛むような緊張感。なんらテクニカルな演出や意表を突くショットもないにもかかわらず、ここまでのサスペンスが生じるのかと愕然とする。誰だタランティーノはへただと言った奴は。

ヒッチコック的なテクニック(またはいかにもなホラー映画的な音楽)など使わずにここまでサスペンスを生み出した映画監督は前代未聞だろう。イングロチャプター1はもっともっとほめられてよい。

またこのはじめて見る役者二人の素晴らしさはなんなんだ!ランダ大佐役のクリストフ・ヴァルツはこの映画一本で映画史に残るだろう。こんな演技のうまい人をハリウッドが使いこなせるはずもなく、しょーもない悪役にキャスティングしては腐らせてしまうだろうが、もうあなたはこの一本だけで十分歴史に残ります。名前はわからないけどランダ大佐に対峙するフランス人のおっさんも凄いよこの人。セリフ極少、ほんのかすかな仕草や表情で精一杯の勇気、恐怖、そして哀しみを表現してしまう、誰か名前教えてください!

追記・・わかりました!あのフランス人のおっちゃんはDenis Menochet(デニス・メノチェットさん?)でした。詳細はここ

最高に贅沢で濃密な第一章を堪能したと思ったら第二章はきわめてはちゃめちゃで奇怪なQT節に戻ってしまう、まあいかにもタランティーノっぽくて安心はするんだけどw

ゲシュタポ殺しのドイツ人を助けてバスターズの仲間に引き入れるシーンなんて、乱暴すぎてあきれてしまう。普通の戦争映画なら仲間の奪回に十分な手順を踏むのが当然なのに、戦争映画にとって一番の見せ場でもある作戦の過程部分を省略、いきなり牢屋の前にバスターズ集合。適当すぎw

そこ省略するか?普通は歩哨の目をかいくぐり、あるいは忍者の如く倒しながら厳しい監視の目をくぐり抜け、鮮やかな手口で仲間を脱走させる描写は欠かせないはず。QTだって好きな戦争映画に「大脱走」をあげてるくらいだから、ディテールの描写と緻密な手順がカタルシスを生むことを知ってるはずなのに、そこはすっとばしていきなり本題。唐突にクライマックス主義。

QTが脚本を書いた「トゥルーロマンス」(1993)もそういう見せ場絶対主義的なところがあったけど、このイングロではそれがさらに推し進められて、映画の途中の過程はすべてすっとばして、全篇見せ場だけをつなげるという、乱暴乱雑きわまりないスタイルが頂点に達している。簡単に言えば何本かの戦争映画のラストシーンだけをあつめてそれを雑多につなげて1本の映画を作ってしまったような。

QTって間違いなくシナリオの教科書みたいなの読んでないよね。いまのハリウッド映画はそうしたシナリオの教科書どおりの展開を見せる映画がほとんどで、プロットが完全にマニュアル化してる。

シナリオの教科書いわく、映画は三幕構成でなくてはならない。いわく、プロットシフトポイントも三回なくてはならない・・・とかさ。ためしにシナリオの教科書読んでみてください。いまのハリウッド映画は全部教科書どおり、マニュアルどおりに作られていることがわかってうんざりしますよ。

そういうマニュアルどおりに撮られた映画が氾濫するなかQTの乱雑さは映画を発見、発明したのは俺だ!的な純粋さと無邪気さがあってたいへん好ましい。

あとQT本人がせっかちでめんどくさがりというのもこの見せ場連続スタイルに関係あるかもね。とにかくQTは「俺は自分の見たい、興奮するシーンだけで映画を構成したいんだ!余計な手続きや手順なんてどうでもいいじゃん!」と思ってるんでしょう。だから戦争映画にとって必要なシーンや、手順を全部ふっとばしてしまう。中間省略映画。

はたしてこういう乱暴なスタイルでタランティーノがどこまで映画を撮り続けることができるのか不安になるが、本当なら「ジャッキー・ブラウン」(1997)が成功していれば、こっちのスタイルで映画を撮り続けることができたはずなのだが・・・。(ジャッキー・ブラウンが失敗したのが以降のQTを変えたとはユリイカの蓮實重彦黒澤清対談でもいわれている)

いずれにしろ、このイングロリアス・バスターズは大傑作なのは間違いないので観た方がいいです。

あと、クライマックスの映画館のシーンでユダヤの熊ともう一人が袖に隠した特殊な銃で殴るように撃つシーン(超かっこいい!)があったけど、あれも何かの映画のオマージュというかぱくりなんだよね?どの映画かわかる人いる?

追記2・・あの殴るように撃つ銃は実際に存在した銃で、アメリカ海軍開発の「フィスト・ピストル」というものみたいです。正式名称はハンド・ファイアリングメカニズムMk2。装弾数はたったの1発だけ。一回殴ったらそれで打ち止めです。なんのために作られたのかさっぱり?
posted by シンジ at 17:01| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする